【 【蚊 no seikatsu (積み重なる死躯 】
◆/sLDCv4rTY




41 名前:No.13 【蚊 no seikatsu (積み重なる死躯 1/4 ◇/sLDCv4rTY 投稿日:08/04/27 19:27:57 ID:k5onid+X
 1

 青空へと伸びる鋼鉄のビルが黄色い砂漠のうえに点在していて、その一つ一つが長い影を引いている。影はその黒色を、宙を舞う黄土色の砂ぼこりに黄ばませている。
皺とポケットに砂が入り込んだ背広を着るマネキンが、巨大な影の横に小さな影をつくって立っており、
赤い陽射しと砂の混じった熱風に、その体を熱そうにカタカタと震わせていた。

 蚊 が……
 蚊 ga umareru

 雲間の向こうへと伸びているあるビルの、二階にあるひどく歪んだ部屋のなかで、鼻のない太った男がぼんやりと全裸で突っ立っていた。
 この部屋以外の部屋々々は、すべて、その真ん中に一脚の歪んだ椅子が孤独に置かれているだけで空室だった。
「さばくだ、永遠の乾きのさばくに、なみだなどすぐ、うばわれてしまう」鼻の無い平らな顔から涙を流して、男はそう言った。
 男は貧しい生活をして、ところどころにほつれのある小さな網戸越しに青空をながめて生きてきた。
……青空! それは彼の生き甲斐であり、彼の生涯そのものだった。


 話は変わるが、普通の一人の人間が、その姿を“一匹の蚊”へと変えることは、多々ある。
しかし、彼はなれなかった。なりたかったのになれなかった。蚊に、なれなかった。
青くおおきな空へ羽ばたきたかったのに、ただ鼻がなくなっただけで蚊にはなれなかった。
そのために泣いていたのか、彼は。
 こぼれた涙が歪んだ床につくる水溜まりは大空のように青い。

 また話は変わるが、蚊になりたい人間が、その姿を“一脚の椅子”へと変えることは、多々ある。
 彼は茶色い木でできた、背もたれのある椅子になった。足元に水溜まりをのこして、他の部屋の“彼ら”と同じように。
 部屋はもう歪んでいなかった。一種のゆがみである人間がきえたから。水溜まりだけが醜く歪んで、いつも表面に細かな波があらわれた。
 水溜まりにはいつか無数のボウフラが涌いてきた。鼻がなくなった代償として、彼の涙に、蚊の卵がまじっていたのだ。
それが彼にとって嬉しいことなのかどうかは、彼がもう、意思の無い一脚の椅子になってしまったため、判らない。


42 名前:No.13 【蚊 no seikatsu (積み重なる死躯 2/4 ◇/sLDCv4rTY 投稿日:08/04/27 19:28:12 ID:k5onid+X
 青空に、紫色のちいさなちいさな雲がちょこんと産まれた。
その紫色の雲は急速に殖えて辺りを暗くし、いつか砂漠は完全な闇になった。
 ビルの一室の暗い水溜まりで、褐色の肌のボウフラは赤ん坊のようにうごめいている。


 2

 一年が経ち、ボウフラたちは豆粒のようなサナギになり涙の水溜まりで命とゆらめく。
 雲はまだ、窓の向こうの空を覆いつくしていて、部屋は虚無と見間違えるほど真暗だった。


 3

 蚊 ga umareru


 4

 無数の蚊が、生まれた。
黄褐色の殻を喰い破って涙のみずたまりから飛び出して、暗く静かな部屋に蚊は増えていった。


 5

 彼らは血を吸うかわりに“涙”を吸って生きている。
涙の水溜まりは枯れなかったから、“彼ら”はずっと部屋にいた。

 暗闇の砂漠に透明な雨が分厚い雲からふりおちはじめ、風とともに次第に強くなった。
太陽さえをも冷たい石へと変えてしまいそうな強い雨が、風と共に降り続いている。


43 名前:No.13 【蚊 no seikatsu (積み重なる死躯 3/4 ◇/sLDCv4rTY 投稿日:08/04/27 19:28:30 ID:k5onid+X
 6

 雨が止んだ。紫の雲が消えた。窓からは青空が見えた。


 7

 蚊たちが、“めざめた”
涙の水溜まりに青空が映ったのを、蚊たちは見たから。
位置的には空など映るはずのない所に水溜まりはあったが、水溜まりはごく自然に、また無表情に空と雲を映している。
 めざめた蚊たちは、網戸のところどころにあるほつれからそれぞれ青空のもとへと部屋を抜けていった。

 蚊たちがまばらに出ていった空の下は、もう砂漠ではなかった。砂漠だったところはすべて灰色のコンクリートで舗装され、ビルをよけるようにジグザグな道がつくられて、
さらにどぶまでつくられそのどぶは道とともにずっと向こうまでジグザグに伸びている。
 蚊たちが飛んでいる道のかなり前方には傾きながら立っている電信柱があり、
その電信柱のかげから、ピエロの顔をした犬がその四つの足でコンクリートを踏んで歩いてくる。
茶色い毛をしたその犬は、人間のような平べったい顔をまんべんなく白く化粧して、赤いお手玉みたいな鼻と黒いひし形のアイ・メイクをしてなにかを呟きながら歩いてくる。
黒い集団となった蚊たちはマララマララとその翅をうるさくならしながら犬とすれちがう。
口紅を滅茶苦茶に塗りたくられ巨大になった唇を、赤い鼻をゆらしながら犬は細かくうごかして「しょせん蚊は蚊なのだワン」と見下したように吐き捨て歩き去っていった。
 数百匹の蚊たちのうちの何匹かは、犬に踏まれてブドウのように中身を飛び出させて潰れコンクリートの上に一枚一枚張り付いて死んでいた。
 黄色い太陽のしたで飛ぶ飛ぶ蚊たちのずっと後ろの方では、電信柱のもとで一休みをしはじめた犬が、
小さなりんごである自分の鼻をむしり白い歯でシャリリとかじり、すがすがしい笑顔で二つのひし形を歪めていた。

 蚊たちはその一匹一匹が一つの方向へと向かって飛んで行く。途中で、涙を吸えず体力の無くなってきた蚊が次々に墜落していき地面に横たわった。
 地面に落ちた蚊の死躯は、何処かからあらわれた死神がいちいちつまんでどこかへ持って帰っていった。

 ネバネバしたけむりにその身をからめとられたり、
エプロンおばさんに食材として捕まえられたりして数を減らしながらも、蚊たちは目的地に近づいていった。
 蚊たちは高いビルの間を抜けて草原と草原を走る汽車の横を飛び汚れた背広を着た巨大なマネキンの足をくぐり海岸線に沿って黒く羽音を唸らせて、目的地である、丘へいく。


44 名前:No.13 【蚊 no seikatsu (積み重なる死躯 4/4 ◇/sLDCv4rTY 投稿日:08/04/27 19:28:52 ID:k5onid+X
 丘に着くころにはあの無数に飛んでいた蚊はたった一匹しか生き残っていなかった。丘のうえで羽ばたく最後の一匹は、すこし揺れながらも空中で静止している。
 その小高い丘からは青い海がよく見えた。そして丘には、緑を盛る一本の木と、小さな一個のぶらんこがある。
 蚊はいつのまにかいなくなり、ぶらんこには一人の男が座っていた。
それは見間違えでもなんでもないし、もちろん虚無ではない。太ったその男はたしかに風を感じて、きい こお、とぶらんこを微かにゆらしていたのだ。
 きい こお
 彼はぶらんこに座ったまま青空の向こうをみつめて、蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「きい、こお」
 彼の目には青い空ともっと青い海との境目がみえた。その水平線は目にためた涙でグニャグニャとゆれまがっていた。
 ある日の小高い丘のうえで、男はぶらんこをゆらして、わらった。どこまでも伸びていく血だらけのビルの群れを背景にして。


 8

 ――涙に似た血でその鋼鉄の身を赤く濡らす大きなビルが“そこ”には点在している。そしてその一つ一つが赤く長い影を引いている。
それらのビルのそれぞれの部屋には、無数の蚊が発生して黒だかりにみちていて、しめった床には蚊の死躯が砂漠の砂のように積もっていた。
 反世界の青空にぽっかりとうかぶ白い太陽と同種の、その狭い虚無の部屋々々。蚊の黒霧で充たされたそのなかには、いつも一脚の歪んだ椅子が置かれている。
 またそれぞれの部屋のなかを、悪意の窓たちがいつも睨んで監視をしている。
監視をしながら、それぞれの部屋のそれぞれの窓たちは、妄想を――――空白に似た罪人に「罰」をあたえる自分を想像して、蚊と椅子しかない部屋でそれぞれ奇妙に笑っている。

 永遠の青空にうかんでいる円い空白と同種の、その狭い虚無の部屋々々。
乾いた羽音がみちるなか、蟲の霧と無数の死躯とに汚くまみれる椅子をみて、いつも、悪意の窓が笑っている。

 血だらけのビルたちは笑い声をあげながらどこまでもどこまでも伸びていく。そのたびに、歪んだ椅子と黒い死躯をそのうえに積み重ねて。





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