【 しょっぱい雨 】
◆zsc5U.7zok




45 名前:No.14 しょっぱい雨 1/5 ◇zsc5U.7zok 投稿日:08/04/27 21:53:41 ID:hzLdGZsy
 私は平凡な女です。
 腰まで伸びたストレートヘアは綺麗だと褒められますが、枝毛だらけでキューティクルなんて無いし、睫毛は濃くて長いのですが、下を向いているために逆さ睫毛が痛いです。
 優しい人だとよく言われますが、それは打算が入っているからですし、おっぱいはEカップですが、乳輪が若干大きくて乳首が陥没しています。
 それでも何かしら特徴があるだろう、とおっしゃる? そうですねぇ……。あ、一つだけあります。
 私、川に住んでるんです。淡水性とでもいうべきでしょうか。普通、人魚は海で暮しておりますから、塩味には鈍感なのです。それはそうでしょう?
 だって、人間のように一々海水を辛いと言っているようでは、海では暮せませんからね。
 しかし、私はわけあって塩味に敏感な身なので、このように川に住まざるをえないわけですね。
 こんな私も昔は海に住んでいたのですよ。しかしまぁ、慣れてしまえば川の暮らしも中々良いものですけどね。
 多少のゴミに目を瞑れば、私が暮らす川は素晴らしい環境だと言えます。水はある程度綺麗で、水深もそこそこありますし、岸のすぐ傍にある桜並木は本当に美しいのです。
 さて突然ですが、これから私は皆様方にとっては些細な、しかし私にとっては大切なとある出来事の顛末を語ろうと思います。
 ここで私と出会ったのも何かの縁です。
 川の真ん中で独り言をブツブツ漏らし続ける人魚がどれほど物悲しいものであるか、想像できる皆様方であれば、きっと最後までお付き合いいただけると信じております。

 天気が良いのに何もすることが無いとき。大抵私は川の流れにその身を任せゆらゆらと漂っております。
 そうしていると、自分の抱えている悩みや様々な問題がどうでもよくなった気がするからです。
 その日もそうでした。
 降り注ぐ陽光は私の肌色の頬を温め、火照ったピンク色に変えていたに違いありません。私は真っ青な空を流れる雲を、ボーっと眺めているだけで、自分の顔の色は分かりませんでしたが。
 どれくらいの間そうしていたでしょうか。眩しかった太陽は次第に西へと傾き、いつしか私はまどろみの中に飲み込まれていたのです。
 なんとも日差しの気持ちいい日でした。女とはいえ涎を垂らして寝こけたからといって、誰が私を責められましょう?
 しかし、野暮な方はどんな世界にもいらっしゃるもの。私の至福の時間を邪魔せんとする方が現れたのです。季節は春。サクラが散り始めてすぐのことでした。

 突然の激しい衝撃の後、私は水の中で目を覚ましました。とりあえず、上から何かが降ってきたという事だけは理解できました。はっきりと何が起こったのかまでは分かりませんでしたけれど。
「……一体何事でしょう」
 私は、ずきずきとした痛みの残る鼻を撫でながら、水面を見上げました。すると、薄く差し込む日の光にいくつかの四角い影が照らされているのが見えたのです。
「ふむ、あれは何でしょうか」
 私は、多少の興味と少しの不安を持ってその四角い物体の正体を確かめることにしました。基本的には暇人なので、こういったことは大歓迎なのです。
 ともかく、私は高鳴る鼓動を抑え付けるように右手で左胸の辺りを掴みながら、そっと水面に顔を出したわけです。
 衝撃の正体はあっさり過ぎるほどあっさり判明しました。先ほどまで私が寝ていた辺りには大量の本が浮かび、水面はいつもよりも激しく波立っていましたから。
 たまに心無い人が、川に雑誌を捨てることはありましたが、このように大量の本が一度に捨てられるのを見るのは初めてです。
 私は、なんとも恥知らずな人がいるものだなと苦笑を浮かべながら、そのうちの一冊を手に取りました。本は濡れている以外は新品同様で、カバーも鮮やかでした。


46 名前:No.14 しょっぱい雨 2/5 ◇zsc5U.7zok 投稿日:08/04/27 21:53:57 ID:hzLdGZsy
「何だ、生きてたんだ? 死んでるのかと思ったけど」
 唐突に声が掛けられます。
 そういえば説明していませんでしたが、私の姿は、基本的にほとんどの方々には御覧になる事が出来ません。そうでなければ、今頃私は珍獣扱いをされていたに違いありませんね。
 だから、私に声をかける者など、ここしばらくはいなかったのです。
 私は恐る恐る声のした方に顔を向けました。濡れて目に掛かった前髪をかき上げると、そこには不機嫌そうな顔をした少年が立っていたのでした。
「面白い? それ」
「えっと、まだ読んでないですよ?」
 私は答えました。少年の瞳は、私の顔を見てはいないようでした。
「お姉さんおっぱい大きいね」
 どこ見てるんですか! なんて言いません。代わりに、私は気持ち体を水面下に沈めました。
「今、隠そうとしたの? 自意識過剰なんじゃない?」
 少年は全く表情を変えずに言いました。
「ごめんなさい。でも男の子ってそういうものでしょう?」
「何それ。男はそういうもの? 舐めてるの?」
 ……よくよく考えてみると、おっぱい云々を先に口にしたのは彼の方ですから、私の認識はあながち間違っていなかったと思うのです。
 でも、私は何となく気圧されてしまって、ごめんなさいと言うのがやっとでした。
「分かればいいよ。ところで、その辺に浮かんでる本を残らず集めてほしいんだよね。濡れちゃってるけど僕のなんだよ、一応。お姉さんのせいなんだからさ」
 私は彼に言われるままに、本を集めてあげました。鼻の頭はまだずきずきしましたけど、断る事は出来ませんでした。
 集めながら、何故会ったばかりの彼の言う事を素直に聞いているのだろう? と疑問に思いましたが、これも単に私が暇だったからに違いありません。
 集め終わると、彼はうん、と一つ頷いて濡れた本をビニール袋に入れました。
「ご苦労さん。それじゃね、お姉さん」
 彼はそう言うと、もう私には興味を失ったように行ってしまいました。濡れた本一冊をその場に残して。

 そのときはそれでこの奇妙な出来事は終わったのだと思っていました。
 彼のちょっぴり偉そうな態度は、生意気な年下好きである私の琴線に触れるものではありました。
 けれど、私がしたことといえば、ステキな男の子だなぁと溜息を吐いた後、残された本を読んだくらいで、また会いたいとかそういった積極的な考えはありませんでした。
 しかし、不思議な事にその少年は、それ以来ちょくちょく私の元にやってくるようになるのです。
「いや、お姉さんの名前とかどうでもいいよ」
 私が名前を言おうとすると、それは少年の声に遮られてしまいました。
『他人に名前を聞くときにはまず自分が名乗ってからだろ』と言われた直後の出来事だったので、私はポカンとしてしまいました。


47 名前:No.14 しょっぱい雨 3/5 ◇zsc5U.7zok 投稿日:08/04/27 21:54:12 ID:hzLdGZsy
「それより、どう? 僕が置いていった本面白かった?」
「あ、はい。面白かったです。豚や河童や猿が喋ったり戦ったり、とても非現実的ですね」
 答えながら、なんともマイペースな子だなぁと思いました。友達は少ないだろうなぁとも。
「非現実的とか、人魚が何言ってんだって感じだよね」
「確かにそうかもしれませんね」
 このように、他人と会話を交わすのは本当に久しぶりのことでした。私は、なんとも言えないむずむずした思いで、尻ビレの辺りが痒くなりそうでした。
 彼は、来るたびに違う本を私の元に持って来てくれました。
 私はもちろん、基本が水の中ですから本をびしょびしょに濡らしてしまうのですけれども、彼はそれについて嫌な顔はするものの文句は言いませんでした。
 
「あなたは何故ここにこうやって来てくれるのですか? それも本を持って。もしかして私に惚れましたか?」
 例えば、こう訊いたことがありました。すると彼はこちらを見ようともせずに……
「そんなわけないだろ。常に頭からずぶ濡れで生臭い女に、何で僕が惚れなきゃならないんだ」
 生臭いと言われたのは初めての経験です。人魚の肉というのは、食べれば美味で不老長寿の秘薬になると有名なのです。
 しかし、例えばマグロの刺身が好きではない人間にとっては、それはただの生臭い肉片に過ぎません。
 私も彼のストライクゾーンからは大きく外れているらしく、彼にとってはただの生臭い女でしかなかったのでしょう
「返した本は読みました? 私が言うのもなんですが、とても面白いですよ?」
 私がこう言うと、彼はカピカピになってページの貼り付いたそれをこれ見よがしに摘み上げると、私の頭に向かって投げてきました。
「い、痛いです」
「うるさい。誰がこんな風にページが汚れてくっ付いた本を読む気になるんだよ?」
「でしたら、ここに全て置いていっていただければ、私が……い、痛い痛い」
「僕が金を払ったものを、生臭い女なんかにやれるか」
 彼は癇癪を起こしたように私に本を投げつけました。
 私はそれを頭で受け止めると、彼が落ち着いた後でまた集めるのです。本はその度水面に投げ出され、濡れては乾き乾いては濡れることを繰り返しました。
 何故、彼は私が見えるのだろう? 何故、彼は私に会いに来るのだろう? 楽しい時間の裏側で、私は考えましたが、全く分かりませんでした。
 正直な所、分からなくてもいいと思っていたのかもしれません。
 結局それから、彼とのこの奇妙なデート(?)は暫く続きます。

 何日が過ぎたでしょうか? すっかり散ってしまった桜の木が、しとしと降る雨に濡れて細い枝をしならせていたのをよく覚えています。
 私が水面にゆられながら雨粒を顔に感じていると、突然味わい慣れた衝撃が鼻の頭を襲いました。
 それは彼とのデート開始の合図でもありました。私は投げつけられた本を拾い上げた後、彼の元に運んでいくのが日課となっていたのです。


48 名前:No.14 しょっぱい雨 4/5 ◇zsc5U.7zok 投稿日:08/04/27 21:54:28 ID:hzLdGZsy
 時々外すことがあり、その際に「コントロール微妙ですね」というと、至近距離で顔面を痛打されるわけですが。
 雨の日に来るのは初めてのことでした。私は多少不思議に思いながらも、いつも通り彼の立っている岸の方へと泳いでいきました。
「珍しいですね。雨の日は来ないと思っていたのですが」
 彼は左手で紺の傘をさし、右手には絵本ともう一本の傘を抱えていました。いつも彼が持ってくるのは、小説であったりマンガであったりと、彼自身が読む本ばかりだったのです。
 しかし、これは偏見かもしれませんが、彼が今手に持っている絵本は、明らかに彼が自分で読むとは思えませんでした。
「ん」
 彼はそれを私に差し出しました。その表紙には、色とりどりの美しい魚と珊瑚に、真珠の首飾りを下げた金髪の女の子の絵が描かれておりました。
「人魚姫……ですか?」
 もちろん、一応私も人魚ですから人魚姫くらいは知っておりました。けれど、まさかそれをいかにも訳ありな私に突きつけるなんて思ってもいませんでした。
「あなたは筋金入りのサディストですね」
「今頃気付いたの?」
 私の言葉に彼はそう言って、今まで見たことも無いような優しい笑みを浮かべるのでした。

 私は過去、人間に恋をしました。人魚姫のようなドラマティックな恋愛ではありませんけれど。相手は中々ハンサムで、彼の釣り針に好奇心と食欲の旺盛な私が食い付いたのが出会いでした。
 彼は私を見て恐れるどころか、熱い眼差しで愛を語ったのです。当時の私は恋に恋する少女でしたから、彼の言葉をすっかり信じてしまいました。
「明日、僕らが出会った桟橋まで来てくれ。迎えに来るから結婚しよう!」
 彼の言葉に私は決意を固め、人魚姫のように魔女に頼みに行ったのです。
「私を人間にしてください」
「ならば、その代わりにお前のその声をお寄越し」
「いやです。まけてください」
 当然です。だって声が無ければ愛を語り合えないのですから。魔女は私の即答にしばし呆気に取られていましたが、しばらく考えた後でこう言ったのです。
「じゃあ、代わりに涙をもらうことにしよう。それと、まけてやるんだから、お前は恋に破れても泡にはなれず、人魚に戻ることになるが、それでも構わないかい?」
 もちろん私は了承しました。綺麗な死に様になって興味ありませんから。
 そうして人間になった私は、約束どおり彼の待つ桟橋へと向かいました。しかし、私を待っていたのは、彼の愛の抱擁ではなく絶望でした。
「お前、ふざけんなよ! 高く売り飛ばせると思ったから、お前みたいなバケモノと一緒にいてやったのによ。人間のお前なんかに用は無いんだよ」

「馬鹿じゃないの!?」
 私の話を聞くと、彼は開口一番そう言いました。
「あう」
「つか、一時の感情に任せて、よくもまぁそんな取引したもんだね。この世に屑なんて吐いて捨てるほどいるのにさ」


49 名前:No.14 しょっぱい雨 5/5 ◇zsc5U.7zok 投稿日:08/04/27 21:54:45 ID:hzLdGZsy
 彼は酷く面白く無さそうな顔をしていました。もしかして妬いてますか? と聞いたら人魚姫で頭を叩いてきました。
「……何で海に帰らないの?」
 しばらくの沈黙の後、彼にしてはとても珍しく多少の遠慮を込めながら、それでもこちらを見ずに訊いてきました。
「人魚だからって、仲間がいないわけじゃないでしょ。海に帰れば恋人はともかく友達くらいいるんじゃないの?」
 雨が段々酷くなってきたので、彼は私に傘を差し出しました。水の中に住む私が、ワンタッチ式の傘を開いてさすというのはなかなかに滑稽な姿だったと思います。
「人魚っておとぎ話のアイドルでしょう? だから、オシッコをしたり、汗を流したり出来ないのです。何せアイドルですから。そうすると、塩分調節のためには涙を流すしかないんですよね」
 傘に弾かれる雨音が、私達を包んでいました。彼は私の言葉を真剣に聞いているようでした。私は岸に腰掛けて話を続けました。
「涙を流せないと海には住めない。だから私は川に住んでいるのです」
「……それ本当なの? 色々と矛盾があるんだけど」
 私は精一杯の笑顔を作って彼に答えました。
「もちろんデタラメです。あ、痛い痛い! ごめんなさい!」
 人魚姫で散々叩かれた挙句、傘まで取り上げられて踏んだり蹴ったりでした。まぁもともとずぶ濡れなので、雨はどうでもよかったのですが。
「ただ、涙を奪われてから、海の水が辛く感じるようになって住めなくなったのは本当です。案外、私の理論も合っているかもしれません」
「だとしたら、本当にお姉さんは馬鹿女だよね。屑のために一人ぼっちになって、寂しいのに泣けないなんてさ! 大馬鹿にもほどがある」
 私は空を見上げました。灰色のグラデーションで染められた空からは、一粒一粒がしっかりと分かるくらい大きな水の粒が落ちてきているのが分かりました。
 少し意識を外に向ければ、体を流れ落ちる雨粒が、はっきりと感じられました。
「……泣いてるんですか?」
 目を拭う少年に、私は笑顔を向けました。彼が何故泣くのかは分かりませんでしたけど、でもきっと私のために泣いてくれているのだろうということは分かりました。
「……ただの雨だよ。」 
 私は決して流れることの無い涙を確かに頬に感じながらも、私のために泣いてくれる少年を優しく抱きしめました。
 彼の着ている服が多少生臭くなってしまったのは、致し方ないですよね?

 これが私の語りたかったことの全てです。彼は相変わらず、不機嫌そうな顔をしながら私の元に来てくれます。
 彼に会ってから、私の何かが変わったような気がしますが、今は考えるのが面倒臭いのです。
 そういえば、何故彼に私の姿が見えたのか、彼に聞いたのですが……
「それは、お姉さんがドMだからだよ」
 という答えが返ってきました。
「どんな理由であれ、求め合う男と女には常識が通用しないということでしょうかねぇ……って痛っ!」
 今はこうして投げ込まれる本を待つ日々が、それなりに楽しいのです。  了



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