【 猫と夕暮れ 】
◆www..KONOU




67 名前:No.18 猫と夕暮れ 1/5  ◇www..KONOU 投稿日:08/05/11 22:17:58 ID:XmVWIlNz
 僕にとって、圭介叔父さんというのは一番身近にある世界だった。圭介叔父さんは父の弟で、物心就いたときから
公園の近くに住んでいる。父が言うにはすぐどこかに行ってしまう根無し草で、母が言うには定職にも就かずうろうろ
している少し困った人。少し長い髪の毛に無精ひげがトレードマークの三十を少し超えた彼は、金を稼いでは家を開け
色々なところに旅立つ「困った大人」だ。ほんの少しのお金と薄汚れた小さなリュックを背負ってあてもなく出かけて
行ってしまう。困ったものだと言う両親の顔がいつもどこかくすぐったそうな笑みを浮かべているのを僕は知っていた。
本当は羨ましいんじゃないかと思っていた時期もあったけど、今ではもう分からない。自由な叔父に憧れていたのか、
それとも一箇所にとどまれない彼に呆れていたのか。いずれにせよ、二人とも叔父さんヘの印象はそう悪いようには
思えなかったし、それは世間一般からの評価と同じだった。
 圭介叔父さんはいつだって唐突だった。先週帰ってきて木でできた妙な人形をお土産に持ってきたかと思えば、
今週はもう居ない。そして週末になると帰ってきて、また変な木彫りのトカゲを持ってきたりする。三日で帰ってきた
かと思えば一ヶ月以上帰ってこないことも度々あった。
 圭介叔父さんの持ってくるお土産には様々なものがあった。ある時はしおれかけた花、ある時は魚のキーホルダー、
そしてまたある時は現地の友人が作ったという石鹸とレース。それらが世界中のお菓子やつまみと共にやってくるのだ。
ただれそうなくらい甘いキャラメル入りチョコレートや、すごい色をした綿菓子、ラムネ。上品そうな箱に入った
クッキー。どれも僕が知らない国の言葉で飾られていた。父さんはブロックの生ハムとソーセージが気に入り、
母はそれらの悪い食べ物――母は健康に悪そうなお菓子を目の敵にしている――への不満をすくすくと育て、たまに
渡されるブランド物のバックや珍しいアクセサリーによってその不満を引っこ抜いたりを繰り返していた。
「いいのかしら、こんな高価なもの」
 母は何度となく圭介叔父さんに聞いたが、聞かれた本人は暢気なもので笑いながら答えた。
「いいんですよ、現地の友達が作ったもので持って帰れって聞かなかったんですから」
 実際、彼は様々な国に友人を持っていた。叔父さん宛ての荷物は全て僕の家に届く。なぜなら、圭介叔父さんの家に
人がいることなんてほとんどないから。その荷物や手紙はいつも見たことのない不思議な封筒や切手が張ってあって、
とても楽しかった。
 ある時、圭介叔父さんが学校に現れて僕を連れ出したことがあった。無精ひげに作務衣の彼は、あたりに強烈な
違和感をぶちまけながら先生をごまかし僕の手を引いていた。
「ねぇ、どこに行くの?」
「まだ内緒だよ」
 いひひと笑う圭介叔父さんはどこから見ても不審者だった。僕は少しの緊張と興奮を隠しながら車に乗った。
「しかし、江戸川が教師ねぇ。世も末っつーか何が起きるか分からんもんだ」
「江戸川先生のこと知ってるの?」


68 名前:No.18 猫と夕暮れ 2/5  ◇www..KONOU 投稿日:08/05/11 22:18:33 ID:XmVWIlNz
 圭介叔父さんは煙草に火をつけながら言った。片手運転は危ないのにな。
「知ってる知ってる。あいつが給食のときに残してたもんとか、筆箱ん中に隠してあるもんとかも知ってるぞ。
江戸川と叔父さんは同じクラスだったんだ」
 江戸川先生と圭介叔父さんが同級生だったということよりも、圭介叔父さんにも子供の頃があることに驚いた。
そしてきっと落ち着きのない小学生だったんだろうなと思った。
 車はどんどん郊外へと走っていく。まだ午前中、今もみんなは学校で授業をしていると思うと、後ろめたい
ような誇らしいようなくすぐったい気持ちになった。知らない道を三十分ほど走った後、車は一軒の小さな車屋に
ついた。車屋といっても修理とかをするところらしく、組み立てる途中の車やドアの部分だけが落ちてたりした。
「いよぅ、遅かったな」
「悪い悪い、ちょっとゲストを迎えに行ってたもんでさ」
 車屋から黒いつなぎを着た髪の長い男の人が出てきた。僕は車から降りてお辞儀をした。つなぎの人は目を
ぱちくりさせて言った。
「なんだよ、男じゃん。どうせなら女の子連れてくれば良いのに」
「馬鹿お前、こういうのは男同士でやるから楽しいんだろ。それにご要望どおりぴちぴちの小学三年生だ」
 そう言いながら叔父さんは作務衣の上から青いつなぎを着た。
「司、こいつは片山っていうちょっと不良な車屋さんだ」
「はじめまして司くん。ちょっと不良の片山です」
 片山さんはウインクしながら手を差し出した。僕はおずおずと握手した。そしてやっぱり叔父さんの友達は
変な人ばっかりだな、と思った。片山さんはぶつぶつ言いながら僕のために小さなつなぎを出してくれた。
それまでの間僕は車を見ていたのだけれど、僕がずっと見ていた車に片山さんが気づいて嬉しそうに話し始めた。
「つかっちゃん、これ好き? これはフェアレディZのS三○っていうんだ。かっこいいだろ」
 僕は慌ててうなずいた。聞きなれない言葉は見たこともない車によくあうなと思った。
「でも今日はこの車じゃない、あっちの車を使うんだ」
 そう言って片山さんが指差した先には、真っ白な車が置いてあった。クリーニング屋さんとかが使う、箱っぽい車。
その車はガラスとミラー、タイヤのところにビニールが張ってあって、周りにはいろんな色のペンキが置いてあった。
「一回やってみたかったんだよー」
 圭介叔父さんはつなぎを腕まくりして大きな筆を取り上げた。僕は思わず歓声をあげた。
「いいの? 本当に描いてもいいの?」
「いいのいいの、好きに描いてちょうだい」
 片山さんはなぜか少し得意げに言った。


69 名前:No.18 猫と夕暮れ 3/5  ◇www..KONOU 投稿日:08/05/11 22:19:25 ID:XmVWIlNz
 それから僕と大人二人で車に思いおもいの絵を描いた。僕は車に赤い車の絵をぐるりと描いた。叔父さんと
片山さんはげらげら笑いながら渦巻きや雲を描いた。
「自転車はやったことあるんだけどさぁ、やっぱり描くスペースが違うね」
 叔父さんは嬉しそうに車に字を書いていた。もう遅刻はしません。それを見て片山さんが噴出した。
「そういえばさぁ、今日江戸川にあったよ。あいつ教師してた」
「マジで? 江戸川ってあいつだろ、トイレで煙草吸ってた」
「そうそう、世も末だねぇ」
 知りあいとはいえ、子供を学校からつれてくるのは世も末じゃないのかしら、と僕は思った。
 それから僕達は蕎麦を食べ、もう一度車の絵付けに戻った。出来上がった車はそこらで走っている車とは全然違う、
特別なやつだった。煙草の煙を吐き出しながら、圭介叔父さんが言った。
「こいつでいつかドライブしようぜ、絶対気持ち良いよ」
「後ろにバーベキュー用のコンロ積んどくよ。なんだったらテントとかも入れちゃえばいい」
 片山さんも煙草をふかしながら言った。僕は一緒に行けたらそれはそれは楽しいだろうなと思った。だけど、結局
コンロもテントも使わなかった。帰って父さんにこっぴどく叱られた叔父さんは、またどこかに旅立ってしまったのだ。
「あいつは地に足が着いてないんだ。あの年でまだモラトリアムやってるんだよ。ああなると一種の病気だ」
 父さんはビールを呑みながら言った。僕は風呂に入りながら、圭介叔父さんの背中に羽が生えて空を飛びまわって
いる所を想像した。叔父さんはニコニコ笑いながらずっと遠くまで飛んでいってしまう。そして時々戻ってきて、
僕の知らない世界を見せてくれるのだ。モラトリアムという言葉の意味は分からなかったけれど、そのときの僕には
父さんが叔父さんを妬んでいるようにしか思えなかった。
 それからどんどん月日は流れたけれど、圭介叔父さんは相変わらずだった。ひょいと現れてはお土産を渡し、色んな
話をしてくれる。中学校に入った年に一番最初にくれたお土産はアメリカのポルノ雑誌だったし、翌年はよく出来た車
の模型をくれた。魚は七輪で焼くのが一番美味いと言って叔父さんは庭先で秋刀魚を焼いているとき、外国で登山した
際に食べた山イチゴの話をしてくれた。
「それがすっごい甘くて、腹いっぱい食ったら後で腹壊してなぁ。あん時は死ぬかと思ったよ」
 そう言って、横に居た猫を撫でた。その猫は僕が小学校のときに拾ってきて、叔父さんと一緒に母さんにお願いした
けれど飼わせてもらえなかった猫だった。結局圭介叔父さんが引き取ったが、いかんせん飼い主がほとんど家に居ない
ので僕の家で世話をしていた。猫はちっとも帰ってこない主人に体を摺り寄せ、にゃあと鳴いた。僕と猫は圭介叔父さん
の帰りをとても心待ちにしていた。日に焼けていて、いつだってひげを生やしている圭介叔父さん。僕の目から見ても
とてもかっこいい顔をしていたし、猫も父や母よりも叔父さんのほうに懐いていた。
でも春を過ぎて夏を駆け抜け、秋を見渡し冬を超えても、叔父さんは帰ってこなかった。


70 名前:No.18 猫と夕暮れ 4/5  ◇www..KONOU 投稿日:08/05/11 22:20:00 ID:XmVWIlNz
 その日僕は図書館に寄ってから帰った。大学受験を控え友人が部活を引退したが、文化部だった僕は相変わらずの
日々だった。それでも周りの空気に飲み込まれ、おざなりとはいえ受験勉強を始めていた。空は徐々に暗くなり始め、
ピンク色のうろこ雲が遠くに流れていく。少し涼しくなった夕暮れの庭で、猫と圭介叔父さんが七輪を囲っていた。
「よう司、お帰り」
 叔父さんはしゃがんだまま片手を挙げた。
「圭介叔父さん、来てたんだ」
「おうおう、叔父さんはいつだって帰ってくるぜぇ」
 圭介叔父さんはにやにやと笑いながら猫に同意を求めた。猫はすました顔で七輪の上の魚を見ている。魚は焙られて
もくもくと煙を上げていた。圭介叔父さんは作務衣から出た腕を掻きながら言った。
「学校どうだ」
「うん、楽しいよ。でもみんな受験勉強で大変そう」
「お前は?」
「僕はそんな大したところ行かないもの。家から通えるところに行くよ」
 叔父さんはそうかぁ、と言って焼けていく魚を見つめた。
「叔父さんはどう? 今度はどこに行ってきたの?」
 僕がそう聞くと、叔父さんは嬉しそうに笑った。
「話をするのにしらふじゃあ出来ねぇなぁ。司、台所行ってビール持ってこい。あと菜箸な、焦げちまう」
 僕は笑って家に入った。流しでは母さんが夕飯の支度をしていた。僕は母さんにただいまと言って冷蔵庫から缶ビール
を取り出し、母さんのの手元から菜箸を取った。あら、またなの?母が少し顔を曇らせる。僕は笑って庭に戻った。
圭介叔父さんは相変わらず七輪を眺めていた。
「叔父さん、持ってきたよ」
「おお、サンキュー」
 叔父さんはそう言って手を差し出した。
「そうだな、何から話そうかなぁ」
 僕は叔父さんにビールを差し出した。叔父さんは嬉しそうに笑って手を伸ばした。しかし、ビールは叔父さんの
手をすり抜けて地面に落ちた。思いのほか大きな音がして猫が少し逃げる。叔父さんは驚いた顔をして、それから
頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
「俺、またやっちまったか」
「うん」
 叔父さんはそうかぁ、とつぶやいて僕に話しかける。


71 名前:No.18 猫と夕暮れ 5/5  ◇www..KONOU 投稿日:08/05/11 22:20:26 ID:XmVWIlNz
「司ごめんな」
「謝らなくていいよ、僕は嬉しい。でも父さんがまたぼやくね」
 叔父さんはそうかぁ、ともう一度言って少し笑い、空気に溶けるみたいに薄くなっていく。そして強い風が吹いて、
魚の煙と一緒に消えてしまった。僕は落ちたビールを拾い上げ、戻って来た猫を撫でた。圭介叔父さんはいつもこの
季節がくるとうちにやってくる。すっかり七輪で魚を焼くようになった母には姿を現さず、叔父さんを見るのは僕と
猫だけだ。父さんはいつも後で話を聞いて悔しがる。最初に七輪で魚を焼いてやったのは俺なのにと言って。
 叔父さんは三年前に亡くなった。アジアのどこかの国で交通事故に遭ったのだ。相手の車はそのまま逃げ、圭介
叔父さんは即死だった。うちに帰ってきた叔父さんはすでに火葬してあって、とても小さかった。叔父さんの家から
出てきた遺書と、友人達の強い要望により叔父さんは海に散骨された。
 散骨するときに片山さんが言った。
「圭介はさ、魚だったんだよ。止まったら死んじゃう魚がいるだろう、マグロとかさ。あいつもマグロと一緒なんだよ、
同じところにいると死んじゃうんだ。あいつの部屋、一緒に見ただろ? あいつ毎回毎回どっか行くごとに遺書
書いてたんだ。何もそんなこと生真面目にやらなくても良いのになぁ」
 そういうところは昔っから変わらなかったのになぁ。そう言って片山さんは持っていた花束を海に投げた。
それからあの三人でペイントした車に乗って叔父さんの家に戻り、二人でたくさんの手紙を書いた。世界中にいる
彼の友人に宛てて。僕の拙い英語の手紙を見て、片山さんは笑った。
「勉強は出来るうちにやっといた方が良いぞ、後からじゃ苦労するからな」
 そう言って片山さんはすらすらと何枚もの手紙を書いていった。どうやら圭介叔父さんと何度となく一緒に旅を
していたらしい。古くなった封筒を眺めては、ジョニーは口は悪いが人がよすぎる、アンナが作るパンケーキは
最高に美味いんだと色々教えてくれた。大量の手紙はたくさんの返信と少しばかりの客人を呼んだ。様々な人種の
人たちが叔父さんの死を嘆き、僕や片山さんにお悔やみを告げていった。
 僕は猫を抱き上げて七輪の前に座った。菜箸で秋刀魚をひっくり返し、ビールのプルタブを開ける。きんきんに
冷えた缶は気持ちの良い音を立てて開いた。
 父は叔父さんは現実から逃げているんだと言った。片山さんは圭介は留まる事が出来ない奴なんだと言った。
 多分、どっちも正解でどっちも間違っているんだろう。圭介叔父さんは死んでしまってからも現実に戻ってくる。
そして結局留まる事なくまたどこかに行ってしまうのだ。父はそんな彼を羨みながら哀れんでいたし、片山さんは
諦観とも取れる笑みを浮かべていた。つまるところ、圭介叔父さんというのは誰にも分からない人だった。
 僕は恐る恐るビールに口をつけ、そして一気に飲み干した。猫が何事かと見上げている。僕は叔父さんのようには
ならないだろう。僕にはそれだけの勇気がない。そして遠くに飛んでいく烏を見ながら思うのだ。
 やっぱりあの人は、鳥なんじゃないかと。



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