【 フレンチキスとオンボロ車 】
◆VXDElOORQI




114 名前:No.25 フレンチキスとオンボロ車 1/4 ◇VXDElOORQI 投稿日:08/05/26 00:01:34 ID:t1OUt3r5
 またエンプティランプが点灯した。この前、入れたばかりなのに、もうなくなってしまった。
 最近、燃費がとても悪い。オンボロ車め。いい加減買い替え時なのだろう。そんなことはとうの昔
にわかっている。それでも中々その決心がつかない。
 私もいい加減未練がましい。
 ため息を一つ吐く。エンプティランプが点くたびに、何度同じことを考えただろうか。毎回買い換
える決意をすることは出来ず、私はただスタンドを探す。今回も同じようにスタンドを探す。
 少し走ると前方にスタンドの看板が見えてきた。看板にはハートにキューピットの矢が刺さってい
る可愛らしいロゴがでかでかと立体映像で映し出されていた。
 車をスタンドへと滑り込ませ、店員が指示する場所に車を止め、窓を開ける。
「いらっしゃいませ」
 不機嫌そうなおじさんの店員がそう言った。
「フレンチ」
「はい。フレンチ入りました。大山さんお願いします」
 おじさんの店員は近くにいた女性の店員に声をかけ、新しく入ってきた車のところへ向かっていった。
よかった。一瞬、このおじさんがするのかと思ってしまった。キスは同姓同士がするのが基本ルールだ。
「お待たせしましたー。では失礼します」
 二十代後半くらいの女性店員が近づいてきて、私は窓から少しだけ顔を出す。
 店員と唇が触れ合うだけのキスをする。この瞬間、私はいつも思う。私の車がディープ車じゃなくて、
本当によかった。
 フレンチとディープ。いまだに日本特有の勘違いが残っている。舌を入れるか入れないか、気にし
ない人もいるけど、やっぱり抵抗がある。ディープのほうがよく走るので、最近はディープ車が多い。
それが私が車の買い替えを決心できない理由の一つでもあった。
 三十秒ほどでキスは終わり、店員が私から離れる。
「三十一秒で満タンですねー。お支払いはどうされますか?」
 私は黙ってカードを差し出す。三十一秒で満タンか。ほとんど空に近かったのに。昔は一分とか二
分とか平気でしていた。燃費が悪くなったのは車が古くなったせいだけじゃないのだろうか。私の愛
の器が小さくなったということなのだろう。今、私は誰にも恋をしていないし、愛してもいない。そ
うなれば相手からもらえる愛も少なくなってしまうのだろうか。
 ふと横を見ると、隣でさっきのおじさん店員が新しく入ってきたトラックの運転手と激しいキスを
していた。トラック相手だと満タンになるまで大変だろう。あの運転手も誰かを愛しているのだろうか。


115 名前:No.25 フレンチキスとオンボロ車 1/4 ◇VXDElOORQI 投稿日:08/05/26 00:01:56 ID:t1OUt3r5
          
 最後に人を愛したのは、何年前だっただろう。このオンボロ車を置いていった彼女が最後だった。
 彼女とは同棲をしていた。そしてある日、忽然と姿を消した。彼女はただ枕だけを持っていなくな
った。確かに彼女は枕が変わると眠れないと常々言ってた。彼女と枕だけがなくなった部屋に、彼女
と枕の代わりに残されたのは一枚のメモだった。メモには一言だけ書いてあった。
『車は枕の代金として置いていきます』
 確かに枕は私のプレゼントだった。枕が変わると眠れないと言いながら、私に新しい枕をねだった
のだ。今にして思えばおかしな話だけれど、そのときは彼女にプレゼントをあげるのが嬉しくてなに
も疑問に思わなかった。
 そのメモを見て外を見ると、駐車場にはそのとき、すでにオンボロだったこの車が止まっていた。
彼女が乗っていた車は、こうして私のものとなった。

 給愛をし、私はキススタンドを出る。特に用事があるわけじゃない。ただなんとなく車に乗りたか
った。その衝動は私に定期的に襲い掛かってくる。意味もなく、予定もなく、ただこのオンボロに乗
りたくなる。今日もまたその衝動に駆られ、私は車を走らせる。
 スタンドを出てしばらく走ると、信号に捕まった。ちょうど私が先頭に来たタイミングで、信号が
変わった。ここの信号は長いことで有名だった。
 別に目的地があるわけでもないので、特にイラつくこともなく、信号が変わるのを待つ。
 その間、私の前をたくさんの通行人が横断歩道を渡っていく。
 何気なく人の流れを眺めていると、不意に見覚えがある顔が通り過ぎた。
 ショートカットは見たことなかったけど、シャツは色は今日も白かった。
 とても嬉しそうな顔で、今にも歌い出しそうな顔で、私の知らない女の人と仲良さそうに横切って
いったのは、そう。彼女だ。ある日、突然私の前から枕と一緒に姿を消した彼女だ。彼女の手には寝
具屋の袋。彼女たちが歩いてきた方向には寝具屋の看板が見える。袋の大きさからして、中身はおそ
らく枕だろう。
 なんなのだろう。この光景は。彼女は同じ枕じゃないと眠れないのではなかったのか。だから枕を
持って行ったのではなかったのか。意味がわからない。あれは彼女なりの可愛さアピールだったのだ
ろうか。だとしたらちっとも可愛くない。この車もただ邪魔だっただけだったのだろうか。ごみを私
に押し付けたのだろうか。
 私はアクセルをべったり踏みつけたい衝動を必死に抑え、彼女たちが横断歩道を渡りきるのを見届


116 名前:No.25 フレンチキスとオンボロ車 3/4 ◇VXDElOORQI 投稿日:08/05/26 00:02:34 ID:t1OUt3r5
ける。そして信号が青になる。同時に私はアクセルを力いっぱい踏み締める。少しでも早くここから
去りたかった。エンジンが唸る。それでも期待したほどの加速はない。私はハンドルを思い切り叩く。
 このオンボロはいつも私を裏切るのだ。

 またエンプティランプが点灯した。
 思い切りアクセルを踏み締め、目的地もなくただ走り、気付けばもう日が沈んでいた。
 そろそろ帰らないといけない。私はしぶしぶ来た道を引き返す。
 さっき彼女を見かけた横断歩道を今度は信号に捕まることなく、通り過ぎることが出来た。もう一
度アクセルを思い切り踏んだが、加速をやっぱり得られなかった。
 もう愛が足りない。私は例の横断歩道のすぐそばにあったスタンドへ滑り込む。本当はもっと離れ
たところにあるスタンドに入りたかったが、もう愛が尽きそうなので仕方がない。
 店員の指示にしたがって車を止め、窓を開ける。
「いらっしゃいませぇー!」
 無駄に元気な男の店員が近寄ってきた。
「フレンチ」
「フレンチ入りまーす! 田中さんお願いしまーす!」
「はーい!」
 男の店員と入れ替わりに女の店員が寄ってくる。髪の毛はショートカット、制服の裾から、白いシ
ャツが見える。
 私はその店員の顔を見て凍りついた。昼間見た彼女が、私を捨てた彼女が、そこにいたのだ。
「フレンチでよろしかったでしょうか?」
 笑顔で彼女は私にそう確認してきた。彼女は私に気付いてない。
 私はただコクンと首を縦に振るしか出来なかった。
「では失礼しまーす」
 そう言って、彼女はそっと私の唇に唇を重ねてきた。それは間違いなく彼女の唇で、なにも変わっ
ていなかった。そのことがやけに悲しかった。いっそ、なにもかも変わっていればよかったのに。
 彼女のシャツの色も、彼女の唇の感触も、このオンボロ車も。なにもかも……。
 キスが終わった。彼女の唇が私の唇から離れていく。どのくらいしていたのか、さっぱりわからない。
 彼女が困惑した顔で私を見ていた。
「えっと三秒で満タンです。お支払いは……?」


117 名前:No.25 フレンチキスとオンボロ車 4/4 ◇VXDElOORQI 投稿日:08/05/26 00:02:50 ID:t1OUt3r5
「カードで」
「かしこまりました」
 すぐに精算を済ませ、スタンドを出る。
 三秒。三秒か。思わず笑み漏れる。もう彼女ことは吹っ切ったと思っていても、まだ二十八秒分も
彼女を愛していたのだろう。きっとこの車がその証拠だ。でも今日で完全にこの愛は終わった。この
三秒はきっと自己愛。私が私を愛する心だ。
 明日、車を買いに行こう。こんなオンボロじゃなくて、アクセルを踏めば、その分加速する車を買
おう。踏んだ分だけ風を切ろう。オープンカーもいいかも知れない。きっと気持ちいいだろう。
 私はアクセルを踏む。オンボロはちっとも加速しない。でももうハンドルを叩くことはしない。今、
気がかりなのはただ一つ。
 三秒分の愛で家まで帰れるだろうか。今はそれだけが心配だ。





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