【 鬼才の顛末 】
◆zH52hPBzFs




4 名前:No.2 鬼才の顛末 1/5 ◇zH52hPBzFs 投稿日:08/06/08 13:00:08 ID:ODDY6k1O
 赤原イザナ、あの奇跡のような頭脳で世界を塗り替えた少女と私が初めて出会ったのは西暦二〇二九年一月、私が十八歳のときのことだ。日本の最高学府、
東京国連大学の一般入試試験の会場での話だった。
 受験生の一人だった私は、大学のやたら複雑な構内を迷いながらもなんとか指定された教室にたどり着き、受験番号と“南井さらさ”という私の名前が
記された席を探し当てた。危ない、校舎内で迷って遅刻するところだった。そう思い安堵した私は、次に隣の席に座っていた女の子を見て驚くことになる。
隣の席に座っていたのは、どう見ても十歳に達していない一人の少女だった。その少女、つまりイザナは当時七歳で、その頃から麒麟児っぷりを如何なく
発揮していたのだが、少なくとも外見は、栗色の髪を伸ばした可愛らしい女の子に過ぎなかった。
 私と目が合ったイザナは、不敵な笑みを浮かべて見せた。ああ、なるほど。天才児というやつだ。さすがは東京国連大学、受験者層も幅広い。私はそう
理解して、笑顔で天才児らしい少女に会釈を返すと自席に着席した。とりあえず隣の天才児のことは忘れて、試験の準備をすることにする。

 昼食の時間に、一緒にお弁当を食べることを提案したのは私だ。私の言葉の意味を理解したときの、イザナの驚愕した表情はなかなか見物だった。イザナは
ぎこちなく頷き、天気がいいから少し寒いけど外で、と言って歩き出した私の後ろを小ガモのようにひょこひょこと着いてきた。
 中庭のベンチで、私たちはお弁当を広げて自己紹介をした。赤原イザナという彼女の名前はその時に初めて知った。
「さらさは」
 自己紹介が終わった直後、何かを決意したように、イザナはそう言って教えたばかりの私の名前を呼び、顔を上げた。
「私が子供だから、こうやって面倒を見てくれているの?」
 懐柔なんてされないぞ。そんな決意が見え隠れする表情だった。
 私は何も言わずに箸を動かし、お弁当を口に運んだ。ただし、それはイザナのお弁当箱からである。玉子焼き、ゲット。
「ああっ!」
 イザナが悲鳴に近い声をあげた。構わず私は咀嚼する。イザナの家の玉子焼きは甘い派だったらしい。気が合いそうだ。
 本気で泣き出しそうなイザナの表情。私は自分のお弁当箱の玉子焼きを彼女のお弁当箱に放り込んだ。意図を理解したらしいイザナが、おずおずとそれを口に運ぶ。
「……美味しい。これ、さらさのお母さんが作ったの?」
 私は胸を張り、このお弁当が全て自作であることを告げた。イザナはもう一度驚愕し、私のお弁当箱から今度は春巻きを口に運ぶ(さすがは天才児だけ
あって適応能力の早い子だと思った)。もぐもぐと咀嚼しながら、イザナは小声で「これは、勝てないかもしれない……」と小声で呟いた。その時私はそれが
入試試験当日に自分でお弁当を作成した“余裕”に対しての感想だと思ったが、のちにイザナに直接聞いたところによると、“料理”という自分が出来ない分野を
こなして平然としている私に対する畏れだったらしい。
 お弁当交換会が終わったあと、私たちは水筒のお茶を飲みながら、残りの時間でお互いについて色々なことを語った。イザナは私にこの大学を受験した
ことの意義を聞きたがった。私は言葉に詰まる。実は別の教育大学から既に合格通知を貰っていて、今回のこれが単なる記念受験だなんて、言ってもいいものなのか。
「えっと、まあ自分の実力を測るため、かな。私は今回の受験が成功するかというと、かなり微妙なところなんだけれど、それでも自分がどこまで出来るのか、
それを試してみたいと思って。イザナは?」
 私が質問を返すと、イザナはうっ、と詰まった。そして、真剣な顔で言う。


5 名前:No.2 鬼才の顛末 2/5 ◇zH52hPBzFs 投稿日:08/06/08 13:00:50 ID:ODDY6k1O
「……大学に入ったら、私がやりたいことが見つかるといいな、って思ってる」
 この天才少女は、この時点で自分の将来について、特に明確な希望を持っているわけでは無いようだった。私は、「なら、大学に入ったらやりたいことが
みつけるといいね」と言い、イザナはそれに「うん」と満面の笑顔で返した。
 こうして、私とイザナは友達になった。

 合格発表は翌月。イザナは合格で、私は当然のように不合格だった。ただし、私もイザナもそれを知ったのは発表があってからしばらく後のことだ。
 発表日の前日、旅客機の墜落という大きな事故があった。合格発表前に墜落事故だなんてなんて縁起の悪いことを。そんな不謹慎なことを思ったのを覚えている。
 私にとってそれが他人事ではなくなったのは、その飛行機にイザナの両親が乗っていたことを知ってからのことだ。父親の生家で執り行われた法事に出席するために
東京を離れたイザナの両親は、飛行機に乗り合わせた他の乗客達と同様に帰らぬ人となった。イザナがその法事に同行しなかったの不幸中の幸いだったと言っていい。
 イザナと私は合格発表日に、結果を大学まで見に行くことを約束していた。イザナはその約束をとても楽しみにしていて、その約束を果たすために一人で留守番して
いたのだと知った。とにかくイザナは難を逃れ、代わりに最愛の家族を二人とも一度に失った。事故の発生を知ったイザナは泣きながら私に連絡をとり、電話を受けた
私は全てを投げ打つ勢いでイザナの家へと向かった。
 まるでたった七歳の子供のようにただ泣きじゃくるイザナを宥めながら、私達二人は事故のあった現地へと向かった。
 事故現場は本当に悲惨な状況で、私はそれを上手く説明するための言葉を持ちはしなかった。色々なものの残骸、木や何かが焦げた臭い。そういうものに
囲まれながら、私はただ震えるイザナの手を握っていることしか出来なかった。
 帰りの電車の中で、私達は合格発表の結果を知った。イザナに合格を告げると、イザナは最初は何のことだか解らなかったようだが、それが大学受験の結果だと
理解するとまた泣き出した。
「お父さんと、お母さんに、合格したよって、言いたかった。私、大学に入って頑張るよ、って言いたかった」
 私に抱きしめられながら、イザナは泣いた。いつまでもいつまでも泣いていた。

 大学に入ってからのイザナの活躍は、おそらくは誰もが知ることだと思う。イザナは半年で生命科学を専攻することを決め、その二年後には博士号を取得した。
高速細胞蘇生技術とかいう革命的な医療技術を成立させたのが彼女が十歳の時だ。この世紀の発明で彼女の名前は一躍世界に轟くことになった。
 イザナにとってその壊死した細胞を蘇生させる技術など、皮切りに過ぎなかったことを後に人々は知ることになる。その後も生命科学の先端を突き進み続けた
イザナは、人類にとって神の領域とも言える内容に踏み込み、そして限定的ながらもそれに成功することになる。
 死者蘇生。イザナはその技術の確立に成功する。限定的な技術である。死後十七時間以内。蘇生前に死因となった死体の損傷を全て取り除いていることが前提。
これらの条件を満たす死者の三割を、イザナをリーダーとしたプロジェクトチームは蘇らせることに成功した。世界中の人間を驚愕させたイザナが、“鬼才”と
呼ばれるようになったのはこの頃からだ。

 時代の寵児とも言えるイザナは毎日を多忙に過ごし、既に内定を得ている大学四年生である私との使える自由時間の差は歴然だった。それでも、イザナは時間が
あれば私の住んでいた部屋を訪れ、私の作った手料理を食べることを楽しみにしていた。例えば、その日もそうだ。


6 名前:No.2 鬼才の顛末 3/5 ◇zH52hPBzFs 投稿日:08/06/08 13:01:34 ID:ODDY6k1O
「どうしても、十七時間を超えた死者の蘇生が上手くいかない」
 イザナは、スプーンを手にそんなことを呟いた。スペイン風オムライス。私の作る料理のレパートリーの中で、イザナの好物の一、二位を争うレシピだ。
「十六時間三十分を越えたところで蘇生の確率は激減しはじめて、十六時間五十分を超えると一件の成功例も無くなっている。人によっては、“それが魂が
存在することの証明だ”なんて言ったりもしてる。……ねえ、さらさ。さらさはどう思う?」
 私はスプーンを置いて少しだけ考えた。まったく解らない。そこで、思ったままを口にしてみる。
「よくわからないけど、もし十七時間を超えられないとするなら、何か理由があるのは確かなんじゃないかな。それが、技術的な理由なのか、それとも本当に
神学的な理由なのかはわからないけれど」
「うーん。もしも、本当に神様が十七時間以上経った人間を生き返らせることを望んでいないんだとしたら、それ以上を望むのはいけないことなのかなぁ」
 イザナは神妙な顔をしてオムライスの最後の一口を食べ終えた。そしてもう一言、つぶやきを付け加える。
「お父さんやお母さんには、怒られたくないなぁ」

 翌週、イザナは自分が生命科学の分野から撤退することを発表した。晴天の霹靂だと言ってもいい。死者蘇生に成功させたイザナには、次は不老だ、いや
不死だと世界中から期待がかけられていた。その期待を全て無視して、イザナは全く別の学問分野に身を投げることを決めたのだ。
 時間工学。それがイザナが次に選んだ専攻分野だった。時間工学は当時、まだマイナーもいいところの学問だった。イザナはこの学問に進み、たった三ヶ月
で学術の最先端に辿り着くと、そこから驚くべき勢いで未開領域の開拓にとりかかった。
 時間工学は私のような門外漢には全くもって理解が難しい分野の学問だ。私にはイザナが研究しているものが何なのか、それを把握することすら諦めていた。
そこでもイザナは驚異的な功績を間断なく挙げ続けていたらしいが、どの論文がどの程度素晴らしいものなのかは、私には(おそらくは世間も)解らなかった。
 イザナが十四歳になり、第二次性徴が大分はっきりした頃、再びイザナの名前が一般のニュースに流れるようになる。時間を遡行する粒子の発見である。
これはタイムマシンへと繋がる大発見ではないか。世間はそう期待した。
 イザナ達研究者によって、時間遡行粒子の時間遡行のメカニズムが徐々に判明していく。まず障害となったのがその遡行の特殊性だったらしい。時間遡行
粒子は時間軸以外の座標移動を行わない。すなわち、時間遡行粒子は過去に遡った場合、必ず同じ座標の過去にのみ出現する(らしい)。
 地球は自転をしているし、太陽の周りを公転している。銀河系だって二億年の周期で回転しているし、そもそも宇宙は未だ膨張を続けている。その中で同じ
位置座標に出現するということが、観測の障害になっていた。そもそも、一年前の同一座標がはたしてどこなのか、それが全くわからない。そこでイザナが
最初に着手したのは、その宇宙上の絶対的な座標を把握することだった。
 二年以上の時間をかけて、ザナは宇宙絶対座標の算出に成功する。複雑な計算が必要なものの、宇宙におけるほぼ正確な座標をその場で求められるように
なったその計算式。あるいはそれは、イザナが与えた人類への影響として、もっとも大きなものだったのかもしれない。これから始まるであろう宇宙開発時代に
向け、絶対座標は大航海時代における羅針盤のような存在となるだろう。……要約するとそういうことらしい。
 さて、世間的には関心の高い、肝心のタイムマシンについて。これに関してはこの時代のもう一人の時間工学の権威、王軍照という科学者がその可能性を
明示的に否定した。時間遡行粒子のメカニズムはエネルギーは伝導可能だが質量の伝導は現実的には不可能、とのことだ。


7 名前:No.2 鬼才の顛末 4/5 ◇zH52hPBzFs 投稿日:08/06/08 13:01:58 ID:ODDY6k1O
 声や光を過去に伝達することは、現時点でも実験に現実に成功している。ただし、小石一つの質量を過去に転送するには宇宙中のエネルギーを全てかき
あつめたとしても不可能だとのことだ。また、時間工学の基礎法則は何も破られていない。つまり時間粒子を使って過去に何かをしようとしても『既に観測
された過去を変えることは絶対に不可能』であるらしい。
 イザナは王軍照博士の論文を読み、正しさを完全に認めた。イザナはこれから着手しようとしていた未来予測を含めたプロジェクトを全て取りやめ、時間
工学に関連する開発の凍結を宣言する。イザナが十六歳の時のことだ。

 イザナはその後、航宙力学の分野へと活躍の場を移す。生活の場を東京から宇宙ステーションへと変更したイザナと私が会う機会は、めっきりと減ってしまった。
それでももちろん、細々と私達の交流は続いていたけれど。
 その年の秋、私は結婚することになった。その旨を話すと、イザナは披露宴には万難を排して出席することを約束してくれた。ついでに、と思い友人代表の
スピーチをお願いしてみたところ、暫く悩んでから了承の旨の返事をくれた。どうせなら、と思い披露宴の余興でアイドルっぽい服装で振り付けしながら
一曲披露してくれないか、と頼んでみたところ、十七歳の乙女は沈黙し、二時間後に承諾のメールをくれた。私はイザナが大好きだ。
 披露宴の当日。イザナはスピーチを始める前から、見るからに緊張でガチガチだった。世界中の国家首脳や科学者相手に、全世界に中継されている状況でさえ
今まで何度も堂々としたスピーチを繰り返していた少女が、市井の結婚式のスピーチで何を緊張することがあるのか。私はそう訝しんだが、実際にイザナが
強張った表情を崩さないのだから仕方がない。スピーチの番がきて、イザナはぎこちない歩き方でマイクの前まで移動した。あたふたと手紙を取り出し、「私は」
とマイクに向かって掠れた声でスピーチをはじめる。
 だが、そこまでだった。イザナは暫く立ちつくしたあと、急に泣きじゃくりはじめ、それ以上の言葉は続かなかった。マイクはイザナが泣きすする音だけを拾っていた。
 私は席を立った。こうしてはいられない。イザナのもとに駆け寄る。ドレスとはなんと歩きにくい服装であるものか。こんなかしこまった服装ではなく、
ジャージにしておけばよかったとさえ思う。私はやっとのことでイザナに駆け寄ると、その手を取って、ついでに手紙を奪い取った。泣き顔で何も言えない
イザナを胸に抱きながら、私はイザナが心をこめて書いてくれたスピーチを自分で朗読した。自分への感謝の手紙、私のことがいかに大好きかという主旨の
手紙を読むのはなかなか恥ずかしいものだった。もちろん堂々と胸を張って読み終えたけれど。
 私がスピーチの内容を読み終えると、会場から大きな、暖かな拍手がわき起こった。イザナは泣いたままだ。いつの間にか横に付き添ってくれていた新郎も、
何故か泣いていた。女々しい奴め。
「さらさ、今までありがとう。本当に幸せになってね」
 天才の女の子は、そんな、平凡で、凡庸な祝辞を口にした。もちろんだ。私は頷き、イザナを力強く抱きしめた。

 なお、その後の余興で、レザー製のかわいいドレスを着て戸惑いながらも歌って踊ってくれた、真っ赤な顔のイザナがとても可愛らしかったことを申し添えておく。


8 名前:No.2 鬼才の顛末 5/5 ◇zH52hPBzFs 投稿日:08/06/08 13:02:22 ID:ODDY6k1O
 それから四年後、イザナは遂に慣性制御技術を基本とした、亜光速航宙技法を完成させる。最大速度、体感速度で年速二光年。人類史上で初めて恒星間飛行が
可能な宇宙船が、こうして完成した。
 “鬼才”と人類の、そしてイザナと私の別れはこうして始まった。宇宙船が試験航宙を終え、いよいよ四十八時間後にはケンタウリ星系への初航宙を行う
というタイミングにて、突如宇宙船の発進プログラムが起動したのである。その時、宇宙船に乗り込んでいたのはエンジンの最終調整を行っていたイザナただ一人。
その宇宙船を外部から制御できたのも実質、イザナただ一人だった。
 イザナだけを乗せた宇宙船は、外部からのいかなる問い合わせにも応じなかった。誰もが混乱している間に着々と速度を増し、あっさりと太陽系圏を抜けてしまった。
もはや、それを捕獲することは不可能だった。

 国連とプロジェクトはこれを痛ましい悲劇、偉大な才能と宇宙船を失った悲しい事故であると発表した。もう既に宇宙船は人類が補足可能な領域から離れている。
赤原イザナ博士が健在で、宇宙船の暴走をなんとか抑え、コントロールを取り戻すことを祈るしかない、と。
 私はこれが事故だとは思わない。イザナは、ようやく自分の望みを叶えるために行動を始めたのだ。私はそう思う。寝る間を惜しんで研究に没頭し、天賦の才を
振り絞る。それでも上手くいかなくて、何度も何度も挫折して、そしてやっと見つけた妥協点。
 私はそれを止められなかった。イザナが自分の人生を、そのためだけに生きていたことは私が一番良く知っている。私では代わりになれないことなど、最初から
解っていたのだ。それでも頑張ってはみたのだけれど。
 私はイザナが開発した、宇宙絶対座標の計算装置を使って、当時の地球の位置と現在の位置との差分距離を計算してみた。七光年の距離。宇宙船の燃料はアルファ
ケンタウリ星系との距離のの往復分しか積まれていないことを考えると、本当にイザナはもう地球に帰ってくる気はないのだろう。
 それでもいいのかもしれない。イザナがそれを望むのならば。もちろん私は、とても寂しいけれど。泣きたいけれど。

 夜空を見ながら、私はたまにこういうことを考える。まだ七歳だったイザナを支えて行ったあの飛行機の墜落現場。あの場所で、墜落直後または直前に、きっと
女の子の声が鳴り響いたのだろう。その声が話す内容もわかっている。多分、こんな内容だ。
「お父さん、お母さん。今までありがとう。私、大学に合格したんだよ。……私、これから頑張るよ。立派な科学者になれるように、頑張るよ」

 今、私のお腹は膨らんでいる。女の子らしい。イザナ、という名前をつけるべきかどうか、私と旦那は本気で悩んでいる。
<了>



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