【 青天白日の下 】
◆EqtePewCZE




77 :No.14(まとめミス) 青天白日の下 1/5 ◇EqtePewCZE:08/06/23 08:12:40 ID:/2hwfDT4
 「本日晴天につき、私、本川基子は家出を敢行いたします」
 右手を高らかに上げて、宣誓。まあ、相手は猫だけれども。あたしはバッグを持ち上げて、むん、と胸を張った。
ひんやりとした三和土でローファーを履いていると、後ろから「なーん」と声がした。振り向くと、五匹の猫達が重なるようにしてあたしを見ていた。
「ええい、止めてくれるな。あたしは行かねばならぬのだ」
 あばよ。あたしは最上級の愛をこめて、とびきりのスマイルを彼らに捧げた。

 真っ昼間の光が水色のブラウスに反射する。ミルクをこぼしたような薄い雲が、ゆるやかに空を滑っていく。
本来、とあたしは思う。本来、制服はこんな眩しい太陽の下にさらすのが正しいのだ。
ひざ上15センチのグレーのスカートからにょきっと突き出した二本の足でさばさばと歩く。
すれ違ったサラリーマンが、腕時計を見たのを横目で確認する。時刻は、多分五時間目が始まった頃だろう。
だけどあたしが何時間目にサボろうがサラリーマンには何の関係もないので、変わらず毅然として歩き続けた。

 西条家は純和風で、古き良き時代の家って感じ。玄関をからからと少し開ける。中からふうわりといい匂いがした。
「翠さぁーん。いるー?」
居ないわけはないと思ったけれど、一応あたしはそう声をかけた。
 パタパタとスリッパの音が響く。今日の翠さんはリネン素材らしい、軽やかなカーキ色のワンピースを着ている。
衿元とスカートのふちにレースがついていてかわいい。あたしがそう口にすると、翠さんはふふふ、と柔らかく笑った。
甘いものが好きな翠さんは笑顔も甘やかだ。
「匂いのことよりまず着ているものを褒めるのね。トコさんのそういうところが素敵よ」
「でしょ。んーんいい匂い」
「スコーンなの。ちょうど今できたとこ」
「うっわぁ、ラッキィ!」
 あたしは跳ねるように玄関を上がった。スカートがひらりと舞う。


78 :No.14(まとめミス) 青天白日の下 2/5 ◇EqtePewCZE:08/06/23 08:13:02 ID:/2hwfDT4
 廊下を突き進んで、翠さんの家の一番奥。庭に面した大きな窓は開かれていて、夏が近いこの時期特有の爽やかな風が吹き抜けていた。
 あたしは同じ制服を着てにこにこと微笑んでいる皆実に「よっ」と片手を上げて軽く挨拶した。皆実は変わらずにこにこ笑っている。
翠さんが丸いお盆にスコーンを乗せてやってきた。チョコチップだ。すぐさまあたしは確認する。
できたてのスコーンを二つ白いお皿に乗せて皆実の前に置く。それからあたしの前に。
この順番は変わらない。もしも変わることがあったら、あたしは翠さんをうんと叱るつもりだ。
だけど、そんなことはたとえ地球が逆に回り始めたとしてもありえないとは思うけど。。
「今日はずいぶん早いじゃない」
「うん。お昼食べたら帰っちゃったんだ」
「あら、じゃあトコさんたらお昼を食べに学校行ったようなものね」
まあね。あたしはもごもごと口を動かしながら答える。ふと思い出して、バッグからミスドのドーナツを取り出した。
「おみやげー」
ありがとう。翠さんは綿の木に生ったできたての綿みたいにふわんと微笑む。
「大きい荷物ね」
「家出したんだ。・・・ねえ翠さん、モノは相談なんだけどさあ」
「ふふ、つまりこのドーナツは袖の下ってことかしら?」
「さっすが。話が早いね。ねえ、いいよねえ、皆実」
皆実はにこにこ笑っている。四角くて黒い額に収まった皆実の横には、あのときあたしがいた。

79 :No.14(まとめミス) 青天白日の下 3/5 ◇EqtePewCZE:08/06/23 08:13:30 ID:/2hwfDT4
 皆実は、春の長雨が続いたある日に逝ってしまった。春の長雨なんて現実には情緒もなんにもなくて、ただ川を氾濫させるだけだった。
濁流に飲み込まれてしまった皆実の最期を見たのは、たったの三人だった。川に落ちた子供と、たまたま通りかかったおじさんとおばさん。
ひどい雨。息が塞がるような灰色の空から、ざんざんと音を立てて雨が降っていた。どうどういう雨と川の怒号の合間から、皆実は小さな叫びを聞いた。
それでも、皆実を突き動かすには十分な音量だった。
川に飛び込んだ皆実に、土手を歩いていたおじさんとおばさんがすぐに気がついたのは本当に運がよかったことだと思う。
タオルの端にしがみ付いた子供と、引き上げたおじさん。それから携帯で救急車を呼んだおばさん。
川の真ん中にある岩に頭を打ち付けた皆実。

 翠さんに初めて会ったのは、皆実のお葬式だった。皆実と翠さんはほんとうによく似ている。ふくふくしたほっぺも、形のいい耳も。
翠さんは泣きはらした真っ赤な目で、制服を着た集団――あたしたちだ――に近づいた。
翠さんはあたしたちに、来てくれてありがとうということと、ひとつのお願いをした。
これからもあたしたちの姿を見せてほしいというお願い。
 あたしたちは断れなかった。断りたかったということじゃない。皆実と翠さんはほんとうによく似ていたから、あたしたちはそろって息を呑んだ。
皆実に会いたいと思った。どうしようもなく痛切にそう思った。思うと同時に、涙がこぼれてきた。
次の瞬間にはもう決めていた。あたしたちはこの人を手放せない。だってこの人は、皆実に一番近い。
そしてそれは翠さんにとっても同じだったのだ。眩しい青いブラウスに身を包んだあたしたちは、翠さんにとって一番皆実に近かったのだ。
あたしはぽろぽろ泣きながら、お葬式の会場に飾られていた皆実の写真を思い出していた。
あれは合唱祭が終わった帰り。
優勝した帰り道は興奮が冷めなくて、あたしたちは道を大声で歌いながら歩いていたら一眼レフをぶら下げたお姉さんが撮ってくれた。
信じられないくらい楽しくて、空は感動的な青さだった。
その後お姉さんは律儀にあたしたちの学校に写真を送ってくれた。写真のなかのあたしたちは、信じられないくらい楽しそうだった。


80 :No.14(まとめミス) 青天白日の下 4/5 ◇EqtePewCZE:08/06/23 08:14:40 ID:/2hwfDT4
 「翠さーん。お、なんだなんだ本川がいるぞう」
「あ、千ちゃん達来たわね」翠さんが立ち上がる。
他の大人たちから見れば、あたしたちのこの関係はすごく残酷なものだろう。
あたしたちは足しげく翠さんと皆実に会いに行く。死んだ娘と同じ格好をしたあたしたちが。
時間が止まってしまった娘。でも翠さんの時間は流れていく。
ぞろぞろという足音がして、千田と江波っちゃん、それから横川っちが顔を出した。
バスケ部の千田が仁王立ちしてあたしを指差す。なかなかの威圧感だ。
「おい本川ぁ、お前宮島の授業が終わったら帰ったろう」
 宮島とはうちの高校の古典の先生。国語の先生は話が通じるから好き。脳みそまで筋肉で出来た体育教師なんかとは話が出来ない。
あたしたちチーム西条の中ではあたしが宮島先生にラブ、という図式が出来てる。別にいいんだけど。
それから千田と江波っちゃんと横川っちはそれぞれ皆実に軽く挨拶する。
「なんだ、トコさん。お昼ごはんのためだけじゃなかったのね」翠さんがくすくす笑う。
「でも今日宮島先生あたしのこと当ててくれなかったんだ。アイムソーサッドだよ」
「それはお前がわかんないくせに手を挙げるからだろう」千田が胡坐をかきつつツッコミをいれてくる。
「ま、宮島もトコちゃんのことはお気に入りだと思うよ」横川っちが嬉しいことをいう。
「バカな子ほどかわいいってね」千田はうるさいよ。
 江波っちゃんはころころ笑っている。

81 :No.14(まとめミス) 青天白日の下 5/5 ◇EqtePewCZE:08/06/23 08:15:02 ID:/2hwfDT4
 これでも、江波っちゃんは最初大変だったのだ。皆実の写真に挨拶することも出来なかった。
初めてあたしたちが翠さんの家に来たとき、こわばりながら皆実の写真に挨拶するあたしたちを見て
「ここにいないのに、ここにいないのに」と言って泣き崩れてしまった。
ゼリーみたいに柔らかな心の場所を抉られたはずの翠さんは優しく、――それはあたしが思うに世界中で最も優しく――江波っちゃんの背中をなでた。
 人間って、人の間って書くのだ。隣の人と隣の人で互いに縛っておかなきゃいけないのだ。
「本川は周りがみえてないなー。冷静に考えてみ?相手にされなかったからって授業サボって帰るか?普通」
「直情的なとこはあるよね、トコちゃんって」
「ぽっきり折れちゃやだよぅ?」
「あら、知らなかったの?好きって強いのよ」
「知ってたわ」
 翠さんが即答する。あたしたちは顔を見合わせて笑う。
 縛られてなきゃふわふわ浮いて、どこかに行っちゃいそうな軽い魂をつなぎとめて笑っている。
 長い長い階段に目が眩みそうになっても。
 何かがあたしたちを分かつまで。青い空の下。白い太陽の下。



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