【 雨の中を出かけよう 】
◆QIrxf/4SJM




26 :No.08 雨の中を出かけよう 1/5 ◇QIrxf/4SJM:08/07/06 21:25:01 ID:uh/WGlf8


 雨の中で、傘を差している。ぼくは、小さなアマガエルを右手に乗せて歩いていた。「好きな女の子がいるんだけど、どうすればいいのかな」
 ミケネコはメスばかり。アヤメはカキツバタによく似てる。アリは砂糖よりも、お酒が好き。ぼくは、アジサイの花の色が、土によって変わってしまう事だって知っているのに。
「大人にならなきゃわからないこともある」とパパは言った。大人になれば、自分の好きなようにものを買うことができる。悪い事をしたって叱られないし、歯磨きをした後にジュースだって飲めるのだ。
 シャララ。アマガエルの鳴き声とハミングする。パパとママは大人だから、そうなりたいんだ。
「欲しいものがあるのなら、一番大切なものを差し出しなさい」ママの言葉を思い出す。
 傘は差しているんだけれどね。



「また子供扱いして!」と言った後、わたしはくしゃみをした。
「ほらほら、やっぱり風邪ひいてるんだから病院いかなくちゃだめだよ」
「ふん!」わたしは彼から顔を背けて走り出した。追いつけるもんか。わたしはこんなにも元気で、誰よりも足が速いのだ。
 学校から伸びるアスファルトの道を疾走して、途中であぜ道に入る。放置された田畑は真っ茶色に広がり、道端だけが淡い緑色に染まっている。
 後ろを振り向けば、彼が走ってきている。迫りつつあった。ランドセルを投げ捨てて、ホンキを出してやる!
 が、足がもつれた。勢い余ったわたしが宙を舞う。とっさに手を突きだし、地面から体をかばった。
「大丈夫?」彼が走りよってきた。追いつかれてしまったのだ。
「痛ぁ」手を強く握るとひりひりした。広げてみても同じだ。
「手のひら、血が出てるじゃないか。手当てしなきゃ」
「大丈夫!」わたしはスカートをはたいて立ち上がった。ランドセルを拾って再び歩き始める。
 あぜ道をぬけて、再びアスファルトを踏む。車庫と庭のついた家が並んでいる。わたしたちはそれを横切って、ドブをとびこえた。汚い水に沿って歩く。ピンク色をしたタニシの卵が気持ち悪い。
 そして、いつもの交差点に出た。
「そうやって大人ぶるのはやめなよ」とわたしは言った。
「どうして?」
「子供扱いされるのは大嫌い。でも大人なんてもっと大嫌い」
 やつらは身勝手でなによりも都合を重視する。オレンジジュースを買ってくれなくなったのは、値段が上がったからだって。「烏龍茶じゃ満足できないの!」
「知ってる? 烏龍茶の漢字はトリじゃなくてカラスなんだ」
「またいらない知識をひけらかす。大人ぶったって大人にはなれないわ。わたしは大人になんかならない」大人なんて大嫌い。わたしはわたしの方法で、あの曇りかけた大空を切り裂くような、ビッグなピープルになってやるのだ。
 わたしは一つくしゃみをして、人差し指から溢れ出るパワーを彼に向けた。「だから、新しい方法を探してるの」

27 :No.08 雨の中を出かけよう 2/5 ◇QIrxf/4SJM:08/07/06 21:25:30 ID:uh/WGlf8
「そんなのつまらないよ」
「つまんないのはどっち?」わたしは低く唸って、彼から顔を背けた。「じゃあね!」
「病院行って風邪薬もらいなよ」
 わたしたちはそれぞれ別方向に歩き始めた。

 家に戻ると、わたしは盛大にくしゃみをして、パパの使うビール用のグラスで烏龍茶を飲んだ。カバンを置いて、風呂場へ向かう。
 黄色いバスマジックリンを洗面台の下からひねり出すと、贅沢に使ってバスタブに振りまいた。柄付きのスポンジを引っ張り出してきて、ごしごしと擦っていく。柑橘系のいい匂いだ。
 ほどよく泡だったところで(もとからアワアワだけれど)シャワーをかけて洗い流した。風呂栓をしてフタを閉めると、壁についた『自動』のボタンを押した。「オ風呂ヲ沸カシマス」
 わたしはリビングに戻り、烏龍茶を飲みながらバスタブが42℃のお湯に満たされる時を待った。
「アト5分デ、オ風呂ガ沸キマス」電子的なお姉さんの声を聞き、わたしはくしゃみをした。鼻をかんで、ティッシュをゴミ箱に捨てる。
 ソファにのけぞって座っては、これが私の生きる道を聞いて、ビートルズっぽさに脱力した。
 聞き終わって、わたしは立ち上がった。「5分くらい経ったかしら?」
 洗面所に行って、制服を脱いで洗濯機に放り込む。その後、洗剤を一杯分入れて、柔軟剤を適当に放り込んだ。スタートボタンを押せば、洗濯機が始動する。
 お風呂のドアを開けて、立ち込める湯気に一回くしゃみをした。フタを少しあけてみて、右手で湯加減を確かめてみる。「ちょうどいいじゃない」
 わたしは風呂を沸かす事だって、洗濯機を回すことだってできるのだ。
 バスタブの上に立って、窓を開けて網戸にする。外は少し曇っているけど明るくて、涼しい空気が入ってくる。雨のにおいがした。
 体を流し、適当にボディソープを体中に塗ったくって、また洗い流す。いい香りのするシャンプーとコンディショナーで髪の毛をきれいにした。
 一通り体を清潔にすると、わたしはお湯の中に足をつけた。ゆっくりと浴槽の中へ体を落としていく。
 わたしはアゴまでお湯に浸かって、口から大きく息を吸った。風呂場の暖まった潤いの空気で肺を満たし、体の中を洗浄するのだ。
 ゆっくりと鼻から吐き出す。いわゆる湯気タバコだ。それを何度も繰り返して、体が温まるまで続けた。たくさんの汗をかき、空気を吐き出して、風邪のバイキンを外に出してやる。
 思い立ったところで立ち上がって、わたしは風呂を出た。体を拭いて、服に着替える。
 もうくしゃみは出なかった。これくらいの風邪なんて、わたし一人でどうにでもできるのだ。「イチコロね」
「ヘイ!」
 窓から声がしたので、わたしは振り向いた。窓の枠に張り付いたおじさんが、ヨダレを垂らしながら偉そうにこちらを見ている。
 カメラ(?)を取り出したので、わたしは胸と股を隠して悲鳴を上げた。ドアを思い切り閉めて、ぶち殺すと叫んでみる。
 わたしはバスタオルで体を拭き、元の服に着替えなおした。ドライヤーで髪の毛を乾かして、額に浮かんだ汗を拭う。そうっと風呂場を覗いてみると、もうそこにおじさんはいなかった。
 キレイになった体に満足したわたしは、階段を上がって自分の部屋の前に立った。ギィと古びた音を立ててドアが開く。
「よぉ」と野太い男の声がした。
 わたしはびっくりして身構えた。が、立っていたのはナイフを持った薄汚いおっさんだったので安心する。「なんなの?」
「俺は今日開業した殺し屋だ」

28 :No.08 雨の中を出かけよう 3/5 ◇QIrxf/4SJM:08/07/06 21:25:52 ID:uh/WGlf8
「あっそ」と言って、わたしはベッドの横に立っている男を横切って、机の上にあるピンクのブタをかたどられた貯金箱を持ち上げた。
 男はベッドに腰掛けた。勝手にティッシュを使って、ナイフを拭っている。「お嬢ちゃん、俺が怖くないのかい?」
「わたしは大人が大嫌いなの。窓から入ってくるようなデリカシーの無い男もね。でも、ここが二階だって事を考えると、ちょっと尊敬できる。パパもママもそんなことは絶対しないもの」
「もうちょっとここにいてもいいかい? 用があるのはもうちょっと先の家なんだが、雨が降ってきたんで止むまで待っていたいんだ。すぐに止むって、殺し屋の勘だ」
 男の後ろにある窓を見る。確かに小粒の雨が降っていた。「いいわ。わたしはすぐに出て行くけれど」
 わたしはブタの貯金箱を振り上げて、思い切り床にたたきつけた。大きな音を立てて、貯金箱がはじけ飛ぶ。そして、447円が現れた。
 小銭を拾ってポケットに突っ込むと、貯金箱の破片を集めてゴミ箱に捨てた。
「待てよ、そんな金持ってどこへ行こうってんだい?」
「これからオレンジジュースを買いに行かなくちゃいけないのよ」
「雨の中行かなくてもいいじゃねえか」
「ママが買ってくれないから」
「俺が買ってやる」と言って、男はポケットからサイフを取り出し、さかさまにして振った。ベッドの上に散らばったのは千円札が一枚と564円。
 わたしは振り向いて、男をみた。「あら、あんたいい人ね」

 傘は一つしかなかったので、わたしたちは狭苦しく肩を並べて歩いた。
「ナイフが銀色に鋭く唸ってる。俺は殺したくて、胸の傷が疼いてる」
「いい大人が、人を殺して喜んでいるのね。わたし、人を殺そうとかって思うことからはとっくに卒業しちゃったわ。エッチなことも、当分卒業してるの」
「喜んでねえさ。殺して復讐を果たす。何も残らない。言い訳じゃあないんだぜ」
「素晴らしいって感心できる人は、みんな大人以外の何かなんだなあって思うの」
 しばらく歩いて、バス停の横にある伊藤園の自販機にぶち当たった。
「丁度いいや」男はその前で立ち止まり、ポケットをがさごそまさぐった。
「どうしたの? コンビニはもう少し先よ」
「俺が買ってやるって言ったんだ」
「自分勝手ね」
 傘から出て歩いていこうとすると、男はわたしの腕を掴んだ。「違うさ。この160円もして350グラムしか入っていない、このオレンジジュースが最高に美味いんだ。これはお嬢ちゃんのためなんだぜ」
「ほんとに?」
「ほんとだ」といって男がボタンを押す。ゴトンと音を立てて、オレンジジュースが出てきた。
「おじさんって、すごくいい人ね。このお金、あげる」と言って、わたしはポケットの中の447円を差し出した。
「参ったな。俺は女の子に金をもらうほど落ちぶれちまってんのかい?」と言って、受け取った男は後ろ頭を掻いた。手の平の上で、小銭をじゃらじゃら揺らしている。
「感謝のキモチ。わたしはもう子供じゃないけれど、素直な心は忘れてない。大人にならないためにね」

29 :No.08 雨の中を出かけよう 4/5 ◇QIrxf/4SJM:08/07/06 21:26:15 ID:uh/WGlf8
「ありがたく受け取っておくよ。これじゃあ、俺がジュースを買ってやった意味はないけどな」
 わたしはフタを開けてジュースを一口飲んだ。胸焼けがするほどに濃厚なオレンジが、喉を通って胃袋へと下っていく。「何これ、すごく美味しいわ!」
「それはよかった」と言って、男はポケットからナイフを取り出した。「お返しとして、俺にはナイフしかやれるもんが無い。受け取ってくれるか? ここに来る前に買ったばかりの新品だ」
「ありがたくもらっておくわ」
「お嬢ちゃんなら何でも断ち切れる気がする」
「当たり前よ!」わたしが胸を張って笑うと、男もゲラゲラ笑った。
「ああ、馬鹿らしい!」男は突然大声を上げて、傘を振り回した。 雨が撒き散らされる。ひどく迷惑だ。「人や恋しい我が財布ってかい?」
 男は傘をわたしに手渡すと、バス停の屋根の下にあるベンチに腰掛けた。「俺はお嬢ちゃんの小銭で行けるところまで行く。丁度、傘もないしな」
「あっそ。わたしは家に帰るわ」
 大粒の雨の中、わたしたちは別れた。もう二度と会うこともない。

 家に戻るとすぐにチャイムが鳴ったので、インターホンをとった。
「ぼくだけど、風邪は大丈夫? 病院には行った?」
「もう治ったわ。ちょっと待ってて」わたしはインターホンを置くと、彼を出迎えに行った。
「お見舞いに来たんだ」と言って、彼は白いビニール袋を持ち上げた。「これ、差し入れ。スタミナつけなくっちゃね」
「まあ、上がってよ」
 リビングに入り、ちゃぶ台を挟んで向かい合わせに座ると、彼がビニール袋を置いた。
「ハムの塊だよ。冷蔵庫に入ってたから持ってきたんだ」と言いながら、彼はビニール袋からハムを取り出した。袋を丸めてポケットに詰める。
 わたしは密閉しているビニールを剥いで、中の肉を取り出した。先ほどもらったナイフを使って、縛っている紐も一本ずつ丁寧に切り取ってやる。
「おもしろいじゃない」わたしはニヤリとした。ハムをちゃぶ台のど真ん中に置いて、真上から思い切りナイフを突き刺す。
 確かな手ごたえあった。刃先がちゃぶ台にまで及んだのだ。ナイフを引っこ抜けば、ハムも一緒についてくる。わたしはそれを口元に運んできて、思い切りかぶりついた。歯を食いしばり、顔と手を使って豪快に食いちぎる。
「すごく美味しいよ」と言って、わたしはハムを突き出した。
 彼は静かに頷いて口を大きく開けると、わたしの歯型の上から思いっきり噛み付いた。食いちぎって、口から垂れる肉をずるりと吸い込むと、大げさに頷きながら咀嚼した。
 がりりという音とともに、彼は叫んだ。「痛い!」
「どうしたの?」
「何か硬いものが入ってる」彼は口の中に指を突っ込み、ごそごそ探った後、円錐状の金属を取り出した。付着していたハムを舐め取って、蛍光灯の光にかざしながらそれをよく観察する。「知ってるよ。これは、たぶん銃弾だ!」
「あっそ」とわたしは言って、残りのハムに口をつけた。

 食べ終わって烏龍茶で喉を潤した後、わたしたちは家を出た。散歩をして、胃の中のものを消化させないと、夕飯が食べられない。
「どこまで行くんだい?」彼は左手で傘を差し、右手で銃弾を転がしながら歩いている。

30 :No.08 雨の中を出かけよう 5/5 ◇QIrxf/4SJM:08/07/06 21:26:52 ID:uh/WGlf8
「学校よ。そこまで歩けば、たぶんお腹も減ってくると思うの」
 通いなれたアスファルトの道は、雨でしっとり濡れている。足音はいつもと違って水気たっぷりで、わたしはランドセルではなくナイフを持っている。
 校門をくぐったところで、わたしたちはいったん足を止めた。
「誰もいないみたいだし、もどろっか」と彼は言った。
 わたしは校庭を見渡し、雨に打たれながら突っ立っている遊具たちを指差した。遊具の中でも背の一番高いローラー滑り台だ。
「あれに登る!」傘を投げ捨てて、叫びながらぬかるんだ校庭を走った。靴に水が入る。泥が散る。
「え? 待ってよ!」
 振り向けば、傘を持ったまま走ってくる彼の姿が見える。わたしは滑り台に右足を乗せて、彼に向かって舌を出した。「遅いわね!」
 雨はどんどん強くなっている。
 ナイフを持っていない左手で滑り台を掴み、ローラーの上を駆け上がった。頂上にたどり着いたわたしは、下でまごついている彼にナイフを向けた。
 彼は滑り台に足を乗せた。右手には傘、左手には銃弾を握り締めている。
「そんなことで登ってこれるの?」これは警告だ。
 彼は俯き、おろおろと辺りを見渡した。「でも、」
「いつまでマゴマゴしているつもり?」わたしの握るナイフがギラリと光った。彼はやっぱり大人になりたいのだ。わたしとは違うのだ。「もういいわ、あんたのことなんて知らない! わたしはどこまでも行く!」
「ぼくだって! こんな傘、捨ててやる!」
 その声に、わたしは少し嬉しくなる。
 彼は傘を投げ捨てて、右手で体を支えながらローラー滑り台を駆け上がってきた。左手にはしっかりと銃弾を握り締めている。
「ぼくだって、ほらね」息も絶え絶えに彼はわたしの隣に立った。「馬鹿だなあ、びしょぬれだよ」
「そんなことない」わたしはナイフを天に掲げ、遠くで嘶く雷鳴を聞いた。「同じでしょ。わたしたち、おんなじ!」
 空は分厚い雲で遮られていて真っ暗だ。遠くの方に雷の点滅が見える。豪雨が頭を叩く。別に寒くなんてなかった。
「このナイフ、雷を切れるかな?」
「ぼくの銃弾は、あの雲を貫けるかな?」
 わたしたちは、ニシシと笑った。
「ナイフと銃弾の誓いよ!」
 こちん。わたしたちはナイフと銃弾をキスさせる。そして、雨雲に向かって放り投げた。



 そんなわけで、ぼくたちはずっと恋人のまま、大人にならなかった。
 きっとラブラブすぎて、その資格が無いんだね。



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