【 夏の日 】
◆M0e2269Ahs




51 :No.13 夏の日 1/5 ◇M0e2269Ahs:08/07/14 01:06:22 ID:pf+4Snom
 煙草の箱を取り出してみて、もう空になっていたことに気がついた。見れば、灰皿には溢れんばかりに吸殻が押し込められている。
緊張しているのだろうか。馬鹿な。楽しみに思う気持ちはあっても、緊張するようなことは何もない。そう、思っているつもりだ。
 六年ぶりに電話があった。まさか、再び昔のように話すことがあるとは思わなかった。俺は絵美からの電話を喜んだ。
「それでね、ほら、タケちゃんと昔、クワガタ捕まえたでしょ? あそこに行ったらとれるんじゃないかなぁって思ってね」
 そしてすぐに思い出した。絵美は結婚したのだと。
 絵美が結婚したからといって、それまでの関係がなくなるわけではない。昔から幼なじみだったのなら、今でも幼なじみなのだ。だから、
俺が絵美の結婚を悲しむ道理はまるでない。だというのに、どうして俺は、こうも虚無感を覚えずにいられないのだろう。
 無駄に広い駐車場に、一台のバスが入ってきた。札幌とむかわ町を繋ぐ高速バスだ。あれに絵美とその息子の拓弥が乗っている。
思わず、深呼吸をしていた。バスはゆっくりと駐車場を回り、所定の駐車スペースへと向かった。その動きを目で追いながら、反芻する。
よお、久しぶりだな。きっと、昔のように声をかけることができれば、俺は昔のような幼なじみのままでいられる。そして、それが最善なのだ。
 軽トラックから降りて、バスの元へと向かった。すでに、何人かの乗客が降車している。そのほとんどが高齢者だった。絵美の姿はない。
バスの横に回りこんだそのときだった。ちょうど、ひとりの若い女がバスから降りてきた。六年ぶりでも見分けがつく、黒目がちの大きな瞳は、
間違いなく絵美のものだった。ショルダーバックを片手にバスから降りた絵美と目が合った。途端、絵美は嬉しそうに笑った。
「タケちゃん! ほんっと久しぶり!」
 人目をはばからないかけ声と共に、絵美が走り寄ってくる。俺は、笑って出迎えた。
「よお、久しぶりだな」
 絵美は俺の手を取って、ぶんぶんと振った。絵美の手は、ひんやりとしていた。再会の喜びをほどほどに、俺はあることに気がついた。
「そうだ、拓弥くんはどこだ?」
 絵美の傍らには、その姿が見えなかった。電話では、絵美と二人で会いに来ると聞いていたのだが。あぁそうそう、と呟いて、絵美が後ろを
振り返った。つられて絵美の後方に目をやると、そこにはちょうど聞いていたとおりの背丈の子供がひとり。そして、その子供と手を繋いで
立っている男がひとりいた。その顔に、俺は見覚えがあった。
「どうも、布川です」
 男がそう言って、頭を下げた。その元に絵美が駆け寄る。そう。男は絵美の旦那だった。俺は、挨拶をするのも忘れ、彼の顔を見つめていた。
電話で確かに、絵美は言っていた。わたしと拓弥の二人で来ると。旦那の稔彦さんは仕事で来られないと。
「盆に、休みが取れそうもないので、無理言って休みを取らせて貰ったんです」
 俺が問いかける前に、布川さんが言った。俺は慌てて笑顔を繕い、そうですか、と応えた。
「ほら、挨拶しなさい。武浩おじさんだよ?」
 絵美に背中を押されて、拓弥が俺の前に歩み出た。絵美に似た大きな瞳の可愛らしい顔つきをしている。拓弥は、ぼそりと口を動かした。
絵美が、はっきり言いなさいと叱ったが、俺は拓弥の前に座り込んで、頭を撫でてやった。
「よし、偉いぞ。じゃあ、クワガタとりに行くか!」

52 :No.13 夏の日 2/5 ◇M0e2269Ahs:08/07/14 01:06:50 ID:pf+4Snom
 絵美たちを引き連れて軽トラックに戻り、そこで気がついた。軽トラックには、子供ひとりならば何とかなるが、大人三人が乗れるような
スペースはない。そのことを絵美に告げると、布川さんがすまなそうに言った。
「連絡をいれなかった僕が悪いんです。すいませんが、荷台に乗っけてもらえますか?」
 断るわけにもいかなかった。布川さんが荷台に乗ると言うと、拓弥も荷台に乗ると言い張った。危ないからダメだと絵美は言うが、
駄々っ子には念仏だった。
「もう、やんなっちゃうよね。ほんっと言うこと聞かないの」
 助手席に座る絵美が、愚痴を吐いた。それでも、その顔は嬉しそうに綻んでいる。
「男は、やんちゃなくらいがちょうどいいんだよ。そのおかげで、毎日楽しいんだろ?」
 まぁね、と絵美は言った。バックミラー越しに荷台の様子を見ると、拓弥は、布川さんの耳を引っ張って遊んでいるようだった。
 むかわ町の道の駅である四季の館を出て、商店街の裏道を通って走った。畑の方はともかく、商店街のあたりならば警察に見つかる
可能性がある。商店街を抜けると、そこから厚真方面に車を向け、目的地である大沼野営場を目指す。十分ほどの距離だ。
「やっぱり今でも、クワガタは子供のアイドルなんだな」
 窓の外に目をやっている絵美に話しかけた。
「うん。拓弥、今年小学生になったんだけど、近所の子供がね。クワガタ捕まえたらしくって。もう、大変。俺も欲しい俺も欲しいって」
「子供は影響受けやすいからなぁ」
「三年生くらいだったら友達と探しに行きなさいって言えるんだけど、まだちっちゃいでしょ? 口だけは大きいくせにね」
 そう言って絵美は笑った。やはり、楽しそうだ。幸せに暮らしていることが、よくわかるほどに。
 程なくして、大沼野営場に到着した。
 湖に隣接しているこの野営場は、あまり知られていない穴場的なキャンプ地のため人気は少ない。それでも、七月から十月の間は、
大沼で釣りを楽しむことができるので、平日ながらも二台の車が野営場内に見ることができた。野営場の入り口に程近いところに軽トラックを
停めた。後ろを振り返るまでもなく、軽トラックの前を拓弥が駆けて行った。
「もう、拓弥ったら!」
 絵美は、ショルダーバッグに手を入れて虫除けスプレーを取り出すと、拓弥の後を追って車を飛び出して行った。二人の様子を目で
追いながら、ポケットから煙草を取り出した。しかし、すぐに気がつく。煙草はすでになくなっていたのだ。思わず、煙草の箱を握りつぶした
そのとき。コンコン、と窓がノックされた。布川さんが、煙草を顔の横まであげて、にこりと笑っていた。

53 :No.13 夏の日 3/5 ◇M0e2269Ahs:08/07/14 01:07:10 ID:pf+4Snom
 布川さんに煙草を一本貰い、ついでに火をつけてもらった。銘柄が違うが吸えないよりはましだった。軽トラックの荷台に寄りかかりながら、
煙草を吸った。
「しかし、本当に急に来てしまって、すいません」
 布川さんは、煙草に火をつけてそう言った。いえそんなことは、と受け答えをして煙草を吸い込み、吐き出した。沈黙が続くのは、避けたいと
思った。だが、絵美と違い布川さんは、古くからの友達と言うわけでもない。話題が見つからなかった。
「空気がおいしいですね」
 布川さんも、話題を探しているようだった。いや、違う。俺と布川さんが話せる話題は、すでに見つかっているのだ。それでも、どちらもその
話題には、触れようとしない。あまり触れたくない話題であるのも、間違いなかったから。
「そういえば、なんで空気がおいしいか、わかりますか?」
 面を食らったように、布川さんの目が点になった。ほとんど初対面の人間だ。どうも、会話がぎこちなく感じてしまう。
「それは、森の木々たちが闘っているからなんです」
「木々たちが、闘っている?」
「えぇ。闘ってるんですよ。森の空気がおいしいのは、植物が目に見えない敵、つまり、細菌やら病原菌やらと闘うために出している、フィトン
チッドという揮発成分が空気中に漂っているからなんだそうです。このフィトンチッドに刺激されて、人間は心地よさを感じることができる。
煙草がうまい理由と同じようなもんです」
 布川さんは、煙草を見つめて、ははぁ、と呟いた。感心しているのか、それとも呆れているのか。
「植物が闘ってるって、信じてませんね? 例えばほら――」
 軽トラックから体を離して、辺りに目を配る。煙草を一口吸って、吐いた。そして見つけた。
「これ。この雑草をよく見てください。ここんところ。ほんの一部だけ、枯れてるのが、わかりますか?」
 布川さんが俺の元に近寄り、身を屈めて雑草を覗いた。雑草の葉の、一部分だけが枯れている。
「これは、外敵の侵入を許した植物が、その被害を最小に抑えるために、細胞ごと死滅させた跡なんです」
「へぇ! そうなんですか。それはおもしろい話ですね」
「これだけじゃあ、ありませんよ。一見して野菜なんかは、人間に食べられるためだけに存在しているようですけど、そうじゃあないんです。
活性酸素って聞いたことありますか? 病気の原因の大半を占めると言われるあれです。実は、野菜たちも活性酸素を出しているんです。
もちろん外敵を撃退するために、ですけどね。そして、外敵たちを撃退した後には活性酸素を浄化する必要がある。野菜にとっても、
活性酸素は有害ですからね。だから、野菜は活性酸素を取り除くことができる、ビタミンCやビタミンEなどの栄養素を多く蓄える必要が
あるんです。決して人間に食べてもらうために、彼らは栄養豊富に育っているわけじゃあないんです」
 話を終えて、途端に恥ずかしくなった。何を唐突に熱弁しているのか。立ち上がって、煙草をくわえた。
「いや、勉強になりました。石井さんは、物知りなんですね」
 本当にそう思っているのか。それとも、ただのお世辞なのか。

54 :No.13 夏の日 4/5 ◇M0e2269Ahs:08/07/14 01:07:54 ID:pf+4Snom
「農家の息子ですから、これくらいは当然ですよ」
 沈黙が流れてしまった。短くなった煙草を、荷台に押し付けて消した。布川さんも、ここに捨ててください。そう言おうとしたとき。
「なんだか、安心しましたよ」
 俺の顔を見つめながら、布川さんはそう言った。俺が言葉に困っていると、続けて言った。
「実は少し、不安に思っていたんです。絵美が、幼なじみの男と会う、と聞いて」
「だから、今日、来たんですか」
 声には出さず、布川さんは頷く。なんとなく、そうなのではないかと思っていた。
「来てくれて、よかったと思ってます。旦那さんの前でこんなこと言うのはおかしいですけど、やっぱり俺は、今でもあいつが好きですから」
 さすがに布川さんは俺から顔を逸らした。
「どっかで思ってたんですよ。俺は絵美と結婚するんだろうなぁって。そんな保証どこにもないのに。それが狂ってしまったものだから、
今でも馬鹿らしいほどに引きずっているんですよ」
 避けていたはずの話題に触れてみると、言葉は次々と溢れてきた。きっと、これで最後になるのだと思う。絵美のことを想い続けるのは。
布川さんに釈明をしているのではないのだ。自分に言い聞かせようと、俺は精一杯なのだ。
「クワガター!」
 拓弥の叫び声が響いた。見れば、木の上の方を指差している。絵美が慌ててショルダーバックに手を突っ込んでいる。
「元気な子ですね」
「はい。絵美に似て、はつらつと育ってます」
 うらやましいほどの幸せに満ちた家庭だった。きっと布川さんが来ていなかったとしても、俺にこの幸せそうな家庭をぶち壊すことなど、
できやしなかっただろう。布川さんの煙草を受け取って、荷台で消した。
「行きましょうか」
 そう告げて、拓弥のもとへと歩き出した。
「石井さん」
 振り向くと、布川さんは苦笑いを浮かべていた。そして、口を開く。
「きっと来年も来ると思います。今年の経験で味を占めて」
 どんな表情をすればいいのか、わからなかった。俺は、また絵美に会える。だけど、決して絵美と共に暮らすことはできない。
絵美のそばには、布川さんと拓弥がいる。そうですか、と呟いた。きっと俺も、布川さんのように苦笑いを浮かべているのだろう。

55 :No.13 夏の日 5/5 ◇M0e2269Ahs:08/07/14 01:08:11 ID:pf+4Snom
 成果は充分すぎるほどだった。
 ノコギリクワガタが四匹に、ミヤマクワガタが三匹、コクワガタが七匹もとれた。絵美が持ってきた虫かごには少し余る数だったので、
俺が少年時代に使っていた虫かごを何個か譲ることにした。その流れで、今晩は、うちに泊まらないかと提案したのは、自然な流れだったと
思う。幼なじみと、その家族を歓迎する立場として。布川さんは、少し困ったように笑ったが、頷いてくれた。
 四年ほど前に建てた新居には両親と、祖母、それに加えて中国からの留学生が三人暮らしているため、取り壊さずに残しておいた古い方の
家に布川家を招きいれた。豪勢とはいかないが、それなりのおもてなしはできる。何か手伝う? という絵美の言葉を断り、俺はひとりで
料理を作った。
「絵美。ちょっと運ぶの手伝ってくれるか?」
 居間に向けて呼びかける。賑やかな拓弥の声に混じり、絵美が返事をする。
「うぇっ! なにこれ」
 キッチンに来るなり、絵美はそう叫んだ。
「失礼な奴だな。いいから運べよ」
 愚痴を言う絵美と共に、リビングへと料理を運んだ。
「これは、フルコースですね」
 と、布川さんが漏らし、
「僕、食べれるよ!」
 と、拓弥が言った。
「そうか、偉いなぁ。じゃあ、ママもちゃんと食べてくれるんだろうなぁ」
 絵美が恨めしげな視線を向けていたが、俺は気づかないふりをした。
 冷え性に効くそうだから、ちゃんと食えよな。



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