【 段ボール、すわ 】
◆ML.K5wMH76




21 :No.06 段ボール、すわ 1/5 ◇ML.K5wMH76:08/09/28 21:35:14 ID:tjANWBqA
 ここ数日、ナツが小麦粘土をこねている。使っていない画板を一枚占領して、その上で
伸ばしたり、丸めたりしながら、とにかくずっと小麦粘土をいじくり回している。
 たまに外崎も加わる事があった。白いそれにアクリル絵の具を混ぜて、カラフルな小麦粘土を
量産する。そしてちぎったり、くっつけたりして、やっぱりずっといじくり回してる。
 俺はそれをチラチラ見ながら、スケッチブックに鉛筆を走らせる。好き勝手に「絵を描く」ラ
クガキサークルなのに粘土とはこれいかに、とか思いながら。
 きっかけは市で行っている、朝食推進運動のイメージキャラクターの公募で、ナツが力試しに
応募するって意気込んでいた。けれど、それも最初だけだった。イメージがなかなか湧かなくて
行き詰った彼女は、ある日突然、百円ショップで小麦粘土を買ってきて、食べ物を作り始めた。
「モチーフがあればイメージしやすいから」というのがその時の言葉だったけれど、俺はその日
以降、彼女がスケッチブックに向かっているところを見た事がない。
 そんな彼女はこの日も手を動かしたまま、俺の事を「カズラ」といつものあだ名で呼んだ。
「ねえ、一緒にやろうよ。たまには線以外に触れるのもいいもんだよ?」
「だから、やらないって。俺がやると、全部じゃがいもかさつまいもになるの」
 いつもと同じやりとり。そしてナツはこの後むくれてしまう。でも今日の彼女は違っていた。
「カズラはこういうの嫌いなの?」
 てっきりまた「ノリが悪い」とか言われるものだと思ってた俺は、ナツの言葉に手を止める。
「嫌いって訳じゃないけど……俺、立体造形は大分前に諦めたから」
「何それ、どういうこと?」
「んーとさ、うちの爺ちゃんがそういうの得意なんだよ。何でも作っちゃうわけ。それでさ、う
ちの地域で獅子舞やってるんだけど、俺が小学生だったときに、爺ちゃんが古くなった獅子頭を
作り直すっていう話になったんだ」
「それと諦めるのと、何の関係があるの?」
「ばか、まだ話終わってないよ。それで、爺ちゃんはその獅子頭をデザイン画とか設計図も無し
に作っちゃったわけ。俺それ見て、いくら立体やってもこの人には敵わないって思ったんだ。
元々、そういうのは苦手だったのもあったし、それですっぱり諦めたの」
 胸の奥が大きく揺らいだ。開きっぱなしのスケッチブックを静かに閉じる。今日はもう何も
描けない。ここで無理をしても、線が歪んで、色が濁るだけだ。
 道具を片付け始めると、それまで黙っていた外崎が「もう帰るの?」と聞いてくる。
「うん、この土日でちょっと実家戻るんだけど……荷造りしなきゃいけないの忘れてた」

22 :No.06 段ボール、すわ 1/5 ◇ML.K5wMH76:08/09/28 21:35:28 ID:tjANWBqA
 胸の奥はまだ揺らいでいる。爺ちゃんのことを考えると、いつもこうなる。それは静かな水面
に足を突っ込み、ゆっくりとかき混ぜてる感覚によく似ていた。いつまでもかき混ぜていると、
揺らぎはやがて大きな波に変わってしまう。
  ■ ■ ■
 地元駅から実家へ向かう車の中で、助手席に座っているマイちゃんがさっきから俺に言う。
「あおっちゃん、おうち着いたら折り紙しようね。絶対しようね」
 今年四歳になる姪のマイちゃんは、俺の事をなぜか「あおっちゃん」と呼ぶ。姉の話によると、
これは「明」という俺の名前と「お兄ちゃん」を、合わせた上に略しているらしい。
 ナツといいマイちゃんといい、どうして俺の周りにはまともに名前を読んでくれる女がいない
んだろう。そんなことを考えていると、車は実家に到着した。荷物を抱えて車から降りる。
「爺ちゃんは?」
 伸びをしていた姉に尋ねると、彼女は腕をゆっくり下ろしながら「寝てたと思ったけど」と曖
昧な返事をする。まるで当てにならない姉を放っておいて、家の中へ入った。爺ちゃんたちの寝
所は、玄関を上がってすぐのところにある。けれどそこのふすまを開けても、中には誰も居なか
った。あとで姉に文句の一つでも言ってやろうと思ったとき、居間の方から大きな声が響いた。
「すわ!」
 「さ」と「う」が混じったような「す」という発音に、聞き覚えがある声。
 寝所から抜け出して、駆ける。居間の引き戸を開けると、俺の目には相撲中継が映った。
 そしてそれを前にして、興奮しながら新聞を叩いている爺ちゃんの姿も。
「……元気じゃん……」
 頭の中がぐるぐると渦を巻く。確か母からは、爺ちゃんが転んで怪我をしたと電話をもらった。
腰を強く打ったせいで、立つのがやっとだというから、盆でも正月でもないのに実家に戻ってき
た。でも目の前の爺ちゃんは「よくやった!」と相撲中継に夢中になって、拍手もしている。
 頭の中の渦がやがて消える頃、俺の体には一気に疲れが湧き上がった。その場に座り込みそう
になる体を支えていると、爺ちゃんが振り返る。そして相撲中継を見ているときとはうって変
わって、落ち着いた声で言った。
「なんだ、明、帰ってきてたのか」
  ■ ■ ■
 正方形を半分に折って、長方形に。その長方形を開いて戻し、ついた折り目に辺を合わて折る。
また長方形。そしたらその四隅を三角になるように折って……という所まで読んで、

23 :No.06 段ボール、すわ 3/5 ◇ML.K5wMH76:08/09/28 21:35:46 ID:tjANWBqA
俺は「やさしい折り紙」と書かれた本を捨ててしまいそうになった。隣ではマイちゃんが出来上
がる予定のウサギを待っている。けれど、いくら折っても完成するのは紙ごみだった。
「あおっちゃん、もういいよ。おじいちゃんに作ってもらう」
 やがてマイちゃんは俺から本を取り上げてそう言うと、折り紙が入った箱を抱えて爺ちゃんの
元へ行ってしまった。爺ちゃんはマイちゃんから本と折り紙を受け取ると、老眼鏡をかけて早速
作り始めた。その手つきは最初から作り方を知っているかのようにスイスイと動いて、まるで無
駄がない。俺がつまづいたところも、チラリと本に目を通しただけで簡単に作ってしまった。
「あおっちゃんと全然違うね」
 楽しそうに喋るマイちゃんの言葉に少しだけ傷つきながら、それでも俺は爺ちゃんの手元から
目を放せなかった。どうしてそういったものが、作り出せるのだろう?
「明、お前、学校は?」
 爺ちゃんは折り紙に視線を向けたまま言った。突然のことですぐには反応できなかったけれど、
俺は「まあまあ」と言ったあと「最近は新しいサークル作った」と付け加えた。
「さぁくる?」
「同好会のこと。俺、色んなものを単純な線で描くっていうの、やりたいんだ。でも授業じゃ出
来そうにないからさ。それじゃあ、サークル作ってやっちゃおうって思って」
 折り紙は次々折られて、目指す形になっていく。もうどこが耳なのかハッキリ分かるし、
爺ちゃんが折るべきところを折ると尻尾も現れた。まるで魔法だ。俺にはマネできない。
「何か分からんけど、そのさぁくるは面白いか?」
 呟くように言われたその言葉に、俺は即答できなかった。やりたい事をやれているし、ナツや
外崎みたいにいつも顔を出してくれるメンバーも居る。面白いはずだ。でも、胸が揺らぐ。
 耳にあたる部分が、爺ちゃんの皺だらけの指で開かれた。完成されたウサギはマイちゃんの手
に渡され、ぴょん、ぴょんと軽快に床を跳ねる。その度に胸の奥で、大きな波が出来ていく。
  ■ ■ ■
 休みの日はあっという間に時間が過ぎる。昨日実家に着いたばかりなのに、今日アパートに戻
らなければならない。でも出発までまだ時間がある俺は、持参したスケッチブックを広げて作業
場を描いていた。爺ちゃんだけが使うこの場所。 六畳ほどしかないこの狭い空間を、更に切り
取ってスケッチブックに収めていく。
 作業机をメインに置いて、何度も何度も線を重ねた。やがてどの線が歪んでいるのか分からな
くなる。鉛筆だけで濃淡をつければ、色が濁る事も無かった。俺は絵を描けている。

24 :No.06 段ボール、すわ 4/5 ◇ML.K5wMH76:08/09/28 21:36:00 ID:tjANWBqA
 けれど胸の揺らぎが一向に治まらないのはなぜだろう。
「なんだ明、お前こんなところにいたのか」
 コンクリートを踏みしめる音に顔を上げると、そこには爺ちゃんが立っていた。逆光で顔はよ
く見えなかったけれど、歩くとき動きが少しぎこちないのは分かる。昨日は元気そうだったけれ
ど、転んだのは事実らしいし、腰の調子だって本当はまだ悪いんじゃないだろうか。
 そんな俺の考えなんて通じるはずもなく、爺ちゃんは作業場の奥に向かう。途中で机を脇に寄
せて、床を空けた。俺、まだスケッチ描き終えてなかったのに。
 それから積んである段ボールを一枚引っ張り出して、それを床に敷いた。爺ちゃんはカッター
と差金を手にすると、敷いた段ボールを丁寧に切っていく。
「……何、やるの?」
 尋ねても、爺ちゃんはすぐに答えなかった。斜めだったり、真っ直ぐだったり、とにかく段
ボールを切り続けて、形を整えていく
「マイが家をほしがってるからな」
「まさかそれで作るの? ていうか爺ちゃん、腰……」
 大丈夫なの、といった言葉を続けようとしたけれど、それは声にはならなかった。そうだ、爺
ちゃんだっていつまでも生きているわけじゃない。どうして今頃、それに気がついたんだろう。
 胸の揺らぎが、引いた。待ちわびていたはずの静かな水面。けれどそこには線も何も無かった。
「可愛いひ孫のためだからな」
 少し笑って、それから爺ちゃんは別な段ボールを敷いた。デザイン画も設計図も無い。それで
も爺ちゃんは、迷うことなく切っていく。その切れ端が増えていくにつれ、胸の奥の更に向こう
側から白い線のような波が押し寄せる。それは胸の中でただ鮮やかに浮かび上がっていた。
「そういえば、昔もそうやって見てたときがあったな。小学校の夏休みだったときか」
 カッターを脇に置いて、爺ちゃんは赤鉛筆を持ち出した。差金に沿って、線を一本引く。
「あの工作セット、『ほとんど爺ちゃんがやっちゃった』って、お前ふて腐れて」
「ああ……でもあれ、爺ちゃんが作ってくれたから、完成度高かったよね」
「いや、あれは失敗した。お前それから工作やらんで、絵ばっかり描くようになったしなあ」
 静かだった水面に押し寄せた波が打ちつけられる。それは散らばるとあちらこちらで大小、
様々な波になって、俺を取り囲む。でも飲み込まれるわけにはいかなかった。
「爺ちゃんのせいじゃないよ。俺、昔も今も立体のもの作るのは苦手なんだ。爺ちゃんに敵わな
いのは、昨日の折り紙で再確認したし」

25 :No.06 段ボール、すわ 5/5 ◇ML.K5wMH76:08/09/28 21:36:19 ID:tjANWBqA
 描きかけのスケッチブックに目を向ける。そこにはごちゃごちゃと無駄な線まで描かれた作業
場があった。鉛筆でつけた濃淡は、俺の手で擦れた跡がある。
「俺、絵の方が好きなんだよ。爺ちゃんが何か作るときみたいに、絵を描きたいんだ、多分」
 絡まるように交差していた波は、やがて一本の線のように静かな水面へ変わっていく。
 スケッチブックのリングから紙が離れていく。作業場の中を駆け回るように、音は響いた。そ
の中に爺ちゃんの「すわ!」という声が混じる。あの独特の発音で。音が止む頃、爺ちゃんは赤
鉛筆で段ボールに穴を開けていた。それは予定外のことらしく、珍しく困った顔をしている。
「ごめん、こんなに響くと思わなかった」
 言いながら、俺は紙をぐしゃぐしゃに丸めてしまった。昨日の折り紙よりも上手く、紙ごみが
作れた気がした。家の方から姉が呼んでいる。ああ、もう出発の時間なのか。
「それ、完成したら色塗るんでしょ。正月戻ったとき俺が塗るから、とっておいてよ」
 俺が声をかけても爺ちゃんはまだ困った顔をしながら、段ボールを見ていた。
  ■ ■ ■
 戻ってきても、そこにあるのはいつも通りのラクガキサークルだった。その中でナツが言う。
「もー、いもでも何でもいいから、カズラも作って!」
「だからやらないって。それに今、次の絵のラフ描いてるから」
 そう告げると、ナツは眉間に皺を寄せた。頬の辺りには「どうせまた線の絵でしょ」と書かれ
ているように見える。そう思われたままなのも何だか悔しくて、俺はつい口を開いた。
「言っておくけど、今回は大作だからね。表の塗料が剥げたら、別な絵が出てくるから」
 でもそれを聞いたナツは「本当に出来るの?」っていう顔に変わっただけだった。それまで粘
土を弄っていた外崎にいたっては「二枚描いたほうが早くない?」なんて言い始める。
 けれど、上手くいかなくても、手間がかかっても、俺は描くつもりだった。丸太を削ろうとし
ている爺ちゃんの絵。その丸太の塗料が剥げたら、下から出てくるのはもちろん獅子頭だ。
「でもそれって、塗料が剥げるまで時間かかるんじゃないの? すぐに見れないじゃん」
 小麦粘土をこねながらナツが言う。マーブルだったそれは、やがて赤みがかったキレイなピン
クになった。マイちゃんの家の屋根も、あんな色に塗られたらしい。俺が戻ったその日の夜に。
「いいんだ。色塗られた仕返しだから。それにあのジジイはまだまだ死なないから大丈夫」
 そう言うと、ナツと外崎は顔を見合わせ、それから首を傾げていた。
 ラフが終わったら、お望み通りじゃがいもを作ってやろうじゃないか。
 そんなことを考えながら、俺は再び鉛筆を走らせる。胸は穏やかに凪いでいた。   【完】



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