【 笑うな 】
◆I8nCAqfu0M




19 :No.05 笑うな1/5 ◇I8nCAqfu0M:08/12/07 16:19:49 ID:f3MEEGs/
 遅めの昼食にチーズバーガーを食べていると時田から電話があった。「ちょっときてくれないか」
俺はためらった。チーズバーガーを食べ終わっても少し食休みがほしいし、これからデートに誘いたい相手もいる。
しかし受話器から聞こえる時田の声はしだいに普段とは違う様子を帯び始め、無視できなくなった。
「頼むよ……うっ……今来ないと…フフッ…後悔するぞ」
時田の声には興奮した時にエヅくような、時田独特の高揚した響きがあった。そしてそれはどんどんと強まっていき、
しまいには電話口で泣いているかと思われるほどに発作的なものになっていた。
「何があったんだ」と俺が聞くと、
「すごいんだよフフフフ、本当に……ヘヘヘ、すごいんだからくればわかるんだって」
時田の神経質な熱弁に、俺は仕方なくデートを諦め、時田の暮らす研究室へと向かうことにした。

 時田は薬学博士だ。40歳を前にして既にノーベル賞候補に挙がるほどの研究を2つほど抱えている。俺とは小学
校時代からの旧知の仲で、俺の観察によれば、時田にとっては恐らく俺が唯一の友達と呼べる存在であろう。
 研究室に着くと、時田はもうこれ以上興奮を抑えきれないといった様子で俺に向かって満面の笑みを浮かべた。
「フフフ、よくきた。あのな、大変なことになったんだぞ。俺、作っちゃったんだよ」
「何を」
「笑うなよ、ククク。聞いても……ウフフ」時田は肩をすくめ腕をちぢこめ、顔を赤くしきりに指遊びをしていた。
俺は呼び出されたのにおあずけを食らっている状況にじれったくなって、適当に相槌を打った。お前がすごいことを
発見したときはいつも本当にすごいことだもんな。
「あのな……ハハ……癌のさ…フフ……特効薬ができちゃった」

20 :No.05 笑うな2/5 ◇I8nCAqfu0M:08/12/07 16:20:08 ID:f3MEEGs/
「癌の?」
「うん、直っちゃうんだよ」
「本当に?」
「多分。ウフフフフ」
「アハハハハハハハ、癌の特効薬か!アハハハハ」
「ハハハハハハハ」
俺がこらえ切れなくなって笑い出すと、時田も大声で笑い出した。癌の特効薬!
「アハハハハハハ。本当か!ハハハハハ!」
「本当なんだ、ハハハハハハハ。冗談じゃない……プクク……癌の特効薬!」
俺と時田は顔を真っ赤にして笑いあった。できちゃったって。特効薬が。俺は馬鹿馬鹿しさでこみ上げてくる笑いを
必死で抑えながら時田に問いただした。「証拠は……ククク……できちゃったって」
「きてくれ、これだ」そういいながら時田は俺を顕微鏡の前に連れて行った。
 顕微鏡をのぞくと、なにやらうにうにと静かにうごめく物体があった。その宇宙生物のような外観。一度時田にみ
せてもらったことがある、癌の細胞だ。
「そこに、これを入れるんだ。そうすると……」
時田はピペットで怪しげな緑色の液体をシャーレに注入した。「……何も起きない……クク」
「いいからもう少し見てろって」
時田は黙って見るよう促した。俺は黙って見ていた。1分、2分……。しかし、しばらくすると突然、癌細胞の塊が
ぐにぐにと縮小を始め、しまいには米粒の10分の1程の小さな黒い点になってしまった。
「え、これ本当だったのか!?」
「今に世界中から癌の患者はいなくなる。発表の準備は整ってるんだ、時田ワクチン。ハハハハハハハ。」

21 :No.05 笑うな3/5 ◇I8nCAqfu0M:08/12/07 16:20:39 ID:f3MEEGs/
 かくして、この時田ワクチンは世界初の癌の特効薬として認可され、世界中の末期患者の元へ届けられることとな
った。しかし、このワクチンにはある1つの重大な欠陥があった。視床下部や脳下垂体への過剰な刺激によって、薬
品自体が極めて危険性の高い物質に変化する恐れがあることだった。つまり、性行為などによる刺激によってβエン
ドルフィンと呼ばれる物質が血中に流れ出し、これがワクチンの成分と結合して『爆薬』になるという欠陥だった。
 『爆薬』は文字どおり爆発する物質であり、患者がある種の幸福感や性的快感に浸されていると、これらの爆薬が
どんどん体内で生成され、ある一定の濃度を超えると互いに凝集し、患者の体はバラバラに吹き飛ぶのである。この
爆発の規模は洒落にならなく、ひとりの患者が爆発すればベッドみっつくらいは軽々と吹き飛ばしてしまうほどの威
力があった。この破壊力は同量のTNT火薬と比較されるほどである。
 これらの問題は投与から3週間ほど続くことになり、これは癌細胞を完全に体内から消し去るのに要する時間とほ
ぼ同じなので、透析による除去は効果的でない。また、βエンドルフィンを抑える薬は、時田ワクチンの主成分と競
合してしまい、癌への治療効果をなくしてしまうので投与できない。
 よって、現在患者に取りうる治療としては、3週間の人工的な昏睡状態か、あるいは『絶望室』送りである。前者
は後遺症の問題があるので、患者や家族の意思によって、彼らは『時田ワクチン投与患者病棟』、通称『絶望室』へ
の入室を望むことになる。
 絶望室では、患者は笑いや快楽や刺激のない生活を強要される。ここではNHKニュース以外の番組は禁止され、
笑うことも、監視官によって禁止されている。あらゆる差し入れが検閲され、新聞は4コマが切り抜かれて置かれて
いる。
 患者は生気のない顔でうろつき、永久に幸福を取り去られたような表情で3週間、ここで暮らす。しかし退院が近
づくにつれ、彼らのうちの一部は、幸福や笑いのない生活に耐え切れず、些細な刺激に幸福を求め、箸が転げても笑
うような心理状態になるのだと言う。

22 :No.05 笑うな4/5 ◇I8nCAqfu0M:08/12/07 16:21:05 ID:f3MEEGs/
 俺は時田のおかげで癌特効薬完成という超特ダネ記事を書くことができた。恩返しといっては足りないが、時田が
ノーベル賞を受賞したときにはおもいっきり身びいきな内容を書いてやって、内気な時田を赤面させた。俺は記者と
して、多少の地位というものを手に入れていた。そして次のネタの構想もある。これだ。ドキュメンタリービデオ。
「絶望室で希望を待つ人々」

 俺は隔離病棟の取材許可を時田の口ぞえによって取り、絶望室への入室を許可された初めての一般人になった。
 そこでは皆が同様に、能面のような表情の下に複雑な心持を隠して生活していた。ある患者はこう言っていた。
「笑いたくても笑えない。笑いたくないけど笑いたい。こうやって笑いを禁止されるとね、何でも可笑しいような気
がしてきてとても困っているんだよ」
その人は懸命に笑うまいとしているのか、時折下唇を噛みながらしかし、目だけはニヤけた顔でこらえていた。周り
を見回すと、俺と彼のやりとりがよほど可笑しいのか、ほとんどの患者が下唇を噛んで顔を背けていた。俺はこのシ
ュールな光景に、笑いの心をくすぐられていた。監視官は無表情で前を向いている。患者たちは輪になるようにして
互いをつねっている。誰かが軽く噴出し、監視官に連れて行かれる。俺の中ではあってはならない衝動がむくむくと
膨らみ始めている。ここでダッフンダって言いたい。いや、それで皆が爆発したら俺は殺人罪で起訴されるのだろう
か?それとも爆風に巻き込まれて死んでしまうか?でも、だめだ。いや、だめだ。でも、つまさき立ちくらいならい
いんじゃないかな。突然無意味につま先立ち。これなら殺人罪には問われないかも。

 翌日、俺は病院のベッドで目覚めた。幸い頭を打ち脳震盪を起こしただけですんだらしい。カメラも無事だ。しか
し恐らく、患者達は皆……。
 俺は罪悪感に満ちた重い体を引きずって、その光景を録画したテープをコピーし、片方を法廷に、もう片方を編集
部に提出した。これでいい。もう忘れたいんだ、全部。あの光景はたしかに面白すぎたけれど、もういいんだ。俺の
手柄じゃなくても、編集部の誰かがテレビ局に持っていくさ。
 

23 :No.05 笑うな5/5 ◇I8nCAqfu0M:08/12/07 16:21:26 ID:f3MEEGs/
 その日の夕方、俺と時田は研究室で酒を飲みながら話をしていた。
「馬鹿なことしたな、お前」
「ああ、知ってる。本当に馬鹿だった」
時田は俺を責めながら、しかし同時に同情しているようだった。時田は俺がどんな人間かよく知っている。俺が死に
たい程に猛省していることを察しているのだろう。
「でも、あれは……」
「笑うなよ。人として」
「そうだな、分かってる。だめだな、本当に」
俺と時田はコップに残ったウィスキーを飲み干して、時田はテレビをつけた。夕方のニュースがやっている。アメリ
カでも時田ワクチンが不足しているらしい。ライスは政界を引退して半ライスになった。ああ。眠いな。
「あ!」
「どうした?」
「これ、このニュース、お前のことだよ!!」
え?俺はびっくりしてテレビの画面を見た。
『昨日○○病院で起こった時田ワクチンの爆発事故の様子を捉えた映像が……』
俺はしまったと思った。だめだ、この映像をNHKで流したらだめなんだ。
 流れた映像は最初に爆発した患者をモロに写した部分だけ編集でカットされ、俺が落としたカメラから撮られたグ
ロテスクな部分のない、足元だけ写された映像が流れていた。パンッ、パンッという破裂音が響く中、テロップには
『爆発する患者達』の文字。
俺と時田は不謹慎にも笑いを堪えられず、腹を抱えて盛大に笑ったのだった。



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