【 遙か憧れはたゆたう紫煙の向こうに 】
◆wD7mEwnsao




24 :No.06 遙か憧れはたゆたう紫煙の向こうに(1/5) ◇wD7mEwnsao:08/12/07 19:14:12 ID:f3MEEGs/
 朝のホームは静まりかえっていた。単線の小さな駅。貨物列車の連結音が遠くから聞こえる。
 人影はなく、このところうっとうしかった朝靄もかかっていない。心地よい、澄み切った空
気。レンは大きく息を吸い込んで、はあっ、とため息のように吐き出した。傍らを振り返れば、
そこには小さな少女の姿。レンも消して背が高い方ではないとはいえ、しかし幼いその少女の
背丈は、まだレンの半分にも満たないだろう。
「……だからって、こんな何もないところで迷子になる? フツー」
 肩をすくめるレンに対して、「でも」と少女の小さな抗議が続く。
「駅を作った人が悪いんです。あんな端っこに陸橋があるなんて、初めてじゃわかりません」
 精一杯のその強がりに、レンは苦笑いを浮かべながら少女の頭を撫でてやる。
「はいはい、そうね。でもそうやって迷子になるなら、一人で出歩かないで貰もらいたいんだ
けどなー?」
 うっ、と目に涙をためる少女に、少し言い方がきつかったか、とレンは思う。でも、こればっ
かりはきつく言っておかなきゃいけない。戦時下のこの国のこと、近頃はこんな田舎町でさえ
随分ときな臭くなってきた。かつては無人駅であったこの駅舎、その脇に立つのは自動小銃を
下げた兵隊の姿。風景が台無しだな、などと思っても、そんなことを口にするほどレンは愚か
でも若くもない。それに、この兵個人には何の因果も悪意もないのだ。
「ああ。姪っ子さんは見つかったかい?」
 無表情のままのその言葉に、しかしレンは精一杯の笑顔で答える。
「ええ、おかげさまで。この子ってば、ホームの下で寝てたんですよ? 本当に、ご迷惑をお
かけしました」
「まあこのあたりはまだ平和だからな。とはいえ、そんな危ない真似は感心せんが。汽車に撥
ねられでもしたら洒落じゃ済まない、気を付けてくれよ」
 どうも、と会釈して駅舎を過ぎる。姪っ子、というのは、実は真っ赤な嘘だった。しばらく
歩いたところで、少女が見上げるようにしてレンを見つめる。
「うち、レンの姪っ子だったの?」
 そうとでも言わなきゃ怪しまれちゃうでしょ、とレンは軽くウィンクする。
「そういえばあたし、まだあんたの名前も知らないからね。他に言いようがないもの」
 路傍に止めておいたバイク、そのサイドシートからヘルメットを取り出すと、レンは少女に
それを被せてやる。そのまま彼女を担ぎ上げて、サイドシートの上に。自らもシートに跨ると、
キックを一回。いまや骨董品といっていいエンジンの音が、静かな朝の田舎道に響き渡る。

25 :No.06 遙か憧れはたゆたう紫煙の向こうに(2/5) ◇wD7mEwnsao:08/12/07 19:14:39 ID:f3MEEGs/
「まあ無理に聞こうとは思わないけどさ。名前を捨てた奴なんて、この国にはいっぱいいる。
さ、ちょっと飛ばすからね。おとなしくしててよ」
 穏やかな、人影のない時間帯。レンは青空を扇ぐと、右手でスロットルを開いた。

   *

 都市中央部から遠く離れた田舎、しかも単線とはいえ汽車の通る村というものは、意外と流
通の要所としては捨て置けない場所だった。特になにか事情のあるものを流通させる場合、一
時的に仮置きする、あるいは経由させる場所としてこれほどの好条件は他にない。
 戦況が変化し、戦火が国土のあちこちまで蔓延しているこの現状。きっかけは言うまでもな
く、旧王家軍の正式な蜂起だろう。現政府に対する不満は民間にも根強く存在し、そしてそこ
に訪れたこの事件は、国土全体を刺激し、震撼させた。
 各地で「義勇軍」だの「レジスタンス」だの、民間の兵が蜂起し始めたこの状況。こんなの
どかな田舎町でさえ、その影響から逃れることはできはしない。
 小高い丘の上にバイクを止め、レンはいま来た道を振り返る。まだそれほど遠くない位置に、
先ほどの駅が見えた。
 ――今日は、少し風が出ている。
 モスグリーンのモッズコートの襟をかき合わせ、胸ポケットからくしゃくしゃになった煙草
を取り出す。いまでは滅多に手に入らない、舶来の黒い巻き煙草。普段はあまり吸わないが、
そのかわり、決まったときにだけ必ず一本、吸うことにしている。
 手探りでライターを探しながら、レンは呟くように口を開く。
「お仕事、終了、と。短い仲だったね」
 うん、と小さく答える少女。それ以上のことは言わない。ならば、レンにもそれを聞く筋合
いはない。依頼されたものを指定通りに、間違いなく送り届けるだけ。それが『運び屋』の仕
事で、それ以外は必要ない。
 紫煙と一緒に、飲み下す。いままではいつも、そうやってきた。
 ――そうしようと思わなかったのは、ただの気まぐれなのかどうか。
「その本、いつも大事そうに抱えてるよね」
 レンのかたわらには、いまだサイドシートに身を沈めたままの少女。胸元に抱えた皮装丁の
本を、おずおずと開き、文字を眺める。

26 :No.06 遙か憧れはたゆたう紫煙の向こうに(3/5) ◇wD7mEwnsao:08/12/07 19:15:02 ID:f3MEEGs/
「兄の詩集なんです。いまはどこにいるかわからないんですけど、でもこの本の最後に、ここ
に来たことが書かれてあったので」
「ふぅん……お兄ちゃんを捜してひとり旅、ってことか」
 ライターを探る手を休め、少女の手元を覗き込む。確かに詩は書き付けてあるものの、しか
し、これは違う――かつて見た懐かしい散文詩に、ふと懐かしい笑みがこぼれる。
「でもさ、それ、詩集じゃないね。ただの日記じゃないかな。少なくともそこに書かれている
詩は、彼の創作ではないと思うよ」
 驚いたように振り返る少女。でもレンは、確かにその散文詩に見覚えがあった。遠いあの日
に、読み聞かせてもらった外国の詩――懐かしい顔を思い出すよりも早く、少女がレンに問い
かける。
「兄のこと、知っているんですか?」
 どうかな、とレンは首を捻る。
「私の探している人の、知り合いかもしれない。その人の好きな詩なの、それ」
 ライターを探す手を止め、巻き煙草を耳に挟む。バックパックを広げ、中から取りだした部
品の組み立て。この手際が良くなくて、何度か怒鳴られた思い出が蘇る。不器用さはまあ、当
時のままだ。
「ね。火、持ってるんでしょ?」
 首を傾げる少女に、レンは振り向きもせず、だめ押しする。
「さっき、あの駅にしかけてきた爆弾」
 爆弾。かなり強引ではあるとはいえ、しかしやむを得ない作戦だとは思った。まだ警備の手
薄な郊外の駅を狙い、輸送中の武器を奪い取る。反政府派のレジスタンスなんて、いまやこの
国の全土どこにでもいるのだ。彼らに足りないのは武器だけで、なればそれを奪えばいい――
まあ、単純ながら間違ってはいない考え方だと、レンは思う。
「レン。どうして、そのことを」
 動揺する少女に、レンは微笑みだけを返した。その程度、初めから丸見えにも等しい。いま
まで法の目をかいくぐり、『運び屋』として様々な武器弾薬を運んできたレン。そんな人間の
ツテを頼れるなど、ごく普通の少女に出来ることではない。なにより、約束された報酬がすで
におかしい。家出少女のタクシードライバーを務めるだけで、これだけの額が支払われるなど
あり得ない。
「たぶん、後処理料込み、ってことだからね。こっちはもう廃業したつもりだったのに」

27 :No.06 遙か憧れはたゆたう紫煙の向こうに(4/5) ◇wD7mEwnsao:08/12/07 19:15:25 ID:f3MEEGs/
 組み上げたスナイパーライフルのバレルを眺め、そして地に伏せ、それを構える。
 地面に耳をつけると、遠くから列車の音が聞こえてきた。
「あと五分くらいかな。こっちは、いつでもOK。でもあなたは、その火、つけられる?」
「OKって、いったい、なにを」
 考えるまでもないことだった。ただ爆弾で列車を爆破しただけでは、この作戦は成功しない。
武装した正規兵に対して、ほとんど丸腰にも等しいレジスタンス。いくら人数がいようと、一
方的に蜂の巣にされておわりだ。誰一人、目的の武器にまで辿り着けるはずがない。
 しかし――その正規兵が、一人残らず死んでいれば、話は別だ。
「爆発から数分のあいだ、あの駅舎にいる正規兵を、ここから殺せるだけ殺す」
 その『後処理』は、決して厄介な仕事ではない。警備のうすい田舎の駅舎。列車内の警備兵
を含めても、人数はまあそこそこだ。うまくやれば、この丘の上からの狙撃だけで、全滅させ
ることも不可能ではない。
 遠くに、警笛の音が聞こえる。到着まであと少し。問題は、別のところにある。
「イレギュラーは少ない方がいい。あんたの点火で、出来る限り多くの人間の命を奪えれば最
上ね。警備に当たる兵も、無関係な駅の職員も――その火種を握っているのが、あんた」
 狙撃前の、張り詰めた空気。普段の二倍も三倍も、鋭敏になった感覚。それが伝えてくれて
いる。少女の恐れと、戸惑い。足りない覚悟。彼女から点火装置を奪いあげ、代わりに点火す
るのは簡単だ。だが、それは依頼には含まれていない。そもそもレンにとっては、別にどちら
でも構わなかった。
「あんたがやらなきゃ、あたしは引き金を引かない。でもそれでも、きっと作戦は変わらない。
大勢のレジスタンスが死ぬだろうね。逆に点火すれば、大勢の兵が死ぬ。あたしは、別にどっ
ちでもいい。あたしには強制する権利はない。あんたの生き方だ」
 少女が泣いているのがわかる。先送りにしてきた覚悟。しかしこうしてこの場に立つ以上、
それなしでこの先に進むことは、許されない。
「うちは、ただ、おにいちゃんを探して」
 あたしもそうだ、と、レンは呟く。
「憧れて、追い続けてる人がいる。どこでなにをしているのか、そもそも生きているのかもわ
からない。だからせめて、やれるだけのことをやる。正しいことをしているとは思わない。で
も、それでもいい。あたしは――他の誰でもない、自分のエゴで、人を殺す」
 本当は、守りたいものが山ほどあった。しかしそれらは全て、長い戦いの中で失われた。守

28 :No.06 遙か憧れはたゆたう紫煙の向こうに(5/5) ◇wD7mEwnsao:08/12/07 19:15:51 ID:f3MEEGs/
るために戦うことはできず、命以外の全てを失ってきた気がする。それでもまだ、エゴだけは
消えていない。他人の命を奪い、それを抱え込むこともせず逃げながら、それでもどこかへ向
かいたいと思う、その自分の勝手な核だけは。
「自分の手で奪った命、その影に足を引きずられながら――それでもあんたは、大切なものを
失わずにいられる?」
 線路の向こうに、列車が見える。徐々に減速し、ホームへと近づく。射撃体勢に入ったレン
の耳に、少女のか細い呟きが、聞こえる。
「わかりません。わかりませんけど、でも、ただひとつだけ。うちは、“あんた”じゃないで
す」
 どこか確信めいた、その響き。思わず、頬が緩む。
「……あんた、名前は?」
「サルビア」
 ――そう、いい名だ。
 レンは、草原に揺れるサルビアの花を思う。同時に、先ほど歩いてきた駅のホームを思う。
血と炎にまみれ、地獄と化したその場所が見える。緩んだ頬が、引き締まる。
 正しいことをしているとは思わない。むしろ、間違っている。大きな流れに翻弄され、単純
な刺激に舞い踊らされただけの、ちっぽけな存在。お互いに諍い争いを繰り返し、その結果多
くの命が失われていく。正しかろうはずがない。こんなのが正しくて、たまるものか。
 ただ――それでも、エゴは、嘘をつかない。
 冷たい、グリップの感触。スコープから覗く、無機質な光景。駅舎の前に立つ、警備兵の姿。
先ほど交わしたばかりの笑顔は、もう記憶の遠くに消えかけている。
 列車が、ホームに入る。タイミングは、指示されずともわかっていた。機械のように重く静
かに、しかし正確に動いてゆく人差し指。銃器は、いつも正直だ。定められたとおりに運用す
れば、間違いなく人間の命を奪うことができる。そこには、意味も意義もない。
 憧れ、真似し、追い続けたあの人。
 彼女が決して望まない世界と知りながらも。

 爆音――そして、引かれる、引き金。
 失われる命だけは、いつも等しく、そして、静かだ。
〈了〉



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