【 死体の行方 】
◆/ks5Y92PHE




9 名前:No.04 死体の行方 1/5 ◇/ks5Y92PHE 投稿日:08/12/20 22:26:02 ID:ZhU6xxcW
 病院を出ると、すぐに携帯電話の電源を入れた。いつ連絡があるやもしれないのに、電源を切っておくのは
忍びなかったが、場所が病院なのだから仕方がなかった。電源をいれ、ものの数秒もしないうちに着信があっ
た。電話に出ると、相手はガラガラ声の上司だった。
「今どこにいる?」
「A区病院です。お言葉に甘えさせていただきました」
 喉には焼けつくような痛みがある。だが、頭痛はだいぶ治まっていた。まだ微熱があるが、ものの半日前に
は40度近い熱を出してぶっ倒れていたのだ。医学の力である。
「A区か。よし、お前、すぐに現場いけるか?」
「事件、何か分かったんですか?」
「ああ。お前が電源切っている間に容疑者が逮捕された。尋問したら、今しがた落ちた」
「完落ち?」
「そうだ。遺体を捨てた場所をいうぞ・・・」
 上司の読み上げた住所は、A区内、病院から歩きでも10分ほどのところだとすぐ見当がついた。じっとりと
背中が汗ばみ、首筋がカッと熱くなる。病気のせいだけではあるまい。
「お前が一番近い。みんな、山掛けして反対方向に走ってしまったところだから先に駐在の警官と一緒に行ってくれ」
「分かりました」
 頼むぞ、と上司は言い、電話が切られた。腰の辺りがふわふわとして落ち着かない。これまでロクに休めない
ほど大変な事件だったが、ひとたび手がかりを掴むとここまで急速に解決に向かうものなのか。はやる気持ちで
車に乗り込み、エンジンをふかした。両手にまだいつもの感覚は完全には戻っていなかったが、運転できないわ
けではない。安全運転を心がけ、アクセルを踏んだ。

 およそ一ヶ月前、古谷和美の捜索願が出された。古谷和美は夫と二人暮らしだったが、届出をだしたのは和美
の妹だった。連絡が取れないようになり、心配になり寄ってみると、家にはしばらく誰も帰っていないようだと
の話だった。和美の夫は地元の名士の子供だったが、ギャンブルで借金をつくったことが理由で親元から絶縁さ
れると、たびたび和美に暴力をふるっていたようで、姉の身を心配した妹が頻繁に電話をしていた。これらの話
から、県警捜査本部はすぐさまその夫の捜索を開始した。しかし、夫は妻同様、姿を眩ましてしまっていた。
 その夫が見つかり、つかまり、すべて白状した。
 遺体、つまり古谷和美はこの森の中にいる――。
 森はマンション開発が四方を取り囲むように進む中で、まるでその合間の隙間を埋めようとするかのごとく、
四方八方に、不恰好な形で枝木をめぐらせていた。看板が立ち、半年後から工事がはじまることを知らせている。


10 名前:No.04 死体の行方 2/5 ◇/ks5Y92PHE 投稿日:08/12/20 22:26:27 ID:ZhU6xxcW
 つまり後半年捜査が遅れていれば遺体はコンクリートの下になるわけだ。
近くの所轄から八人ほど制服姿の警官が到着していて、立ち入り禁止エリアを定めていた。小走りに近寄った。
「県警の武田です」
「松本です」
 一番年配の松本という警官は律儀に敬礼をして見せたので、武田も慌てて手を挙げた。そのときふらっと目まいがした。
「大丈夫ですか?」
 すぐに察したようだ。
「大丈夫です。もう薬はもらってますから」
 体中が冷や汗にまみれているのは自分でも分かる。しかし、ここでおかしな気配りをされては、県警捜査一課
の名がすたる。そんな思いがあったので、余計に体をこわばらせた。松本はそのあたりも察してくれたみたいだ。
「では私たちはこの周囲を取り囲みます。何か見つかりましたら、この無線を使ってください」
「ありがとうございます」
「県警のほかの方がお見えになったらどういたしましょう?」
「捜索に加わってもらってください」
 ちらりと松本の背後を見た。都会の合間に巣食う木々たちはそれこそ森と呼ぶには小さいかもしれないが、十分
人を恐怖させる密度と暗闇だ。半ば病人である自分が単身突入するにはやはり抵抗がある。
 心情を悟られまいとし、私は小走りで森に向かった。
 一〇〇メートルほどの坂道を登ってゆくと、水が流れている音がした。蛇口が開けっ放しになっている、そんな
音だ。進んでいくと、道の脇にさびきった鉄パイプがあり、そこからにごった水が流れて小さな、濃い茶色の水溜
りをつくっていた。水溜りの後ろは三角形の葉が無数についた草がひしめきあっていて、その中に、明らかに文字
が見えた。看板が埋まっているのだ。
「入る」
 看板には赤いペンキでそう書いてある。おそらく「入るな」と続くのだろうが、「な」以降は腐食して、見えない。
どこかで見たな。脳裏に残るイメージがあった。見たことがある、と思ってから、鮮明なイメージが浮かび上がる
まで時間はかからなかった。
 来たことがある。そのとき、まだ腐食する前のこの看板を見た。入るな、危険――。
 そればかりではない。俺はここで死体を「捨てた」。
 森の湿度に助けられてか、冷や汗がさらに出てきた。額を手のひらでぬぐった。手のひらが自身の汗でぬめりと爬
虫類のごとく光っている。


11 名前:No.04 死体の行方 3/5 ◇/ks5Y92PHE 投稿日:08/12/20 22:26:51 ID:ZhU6xxcW
ちょうど10年前、まだ大学生になったばかりのときも、ここで同じ動作をした。そのとき、自分は一人ではなく、
二歳年上の大学の先輩と一緒で、灰色のカーペットで包まれた、円柱状の物体を運んでいたのだ。先輩はそれを「死
体」だといった。これから埋めにいくから手伝ってくれ。そう頼まれ、当時の自分は断れなかった。上京して右も左
も分からず、その先輩を頼りにしていたからだ。
時刻は今よりもっと夜が深まっていて、ちょうど真夜中〇時過ぎだったと思う。カーペットに包まれた死体がいっ
たい誰なのかは結局最後まで知らされなかった。だがその当時、俺とその先輩は夜な夜なナンパを繰り返しては、セ
ックスを欲していた。きっと行きずりの女か何かだろう。
先輩とは死体を捨ててから一度も会わなくなった。どこかですれ違っても互いに無視を決め込んだ。先輩が自分の
中からいなくなっても、自分は何一つ不自由なく東京で暮らせた。俺は先輩と遊びまわっていた時間を、そっくりそ
のまま警察に就職するための受験勉強に費やした。頭の中に明確に罪の意識をもっていたわけではない。つまり、そ
の名も知らぬ、顔も見たことのない死体への罪滅ぼしなんかではない。
罪を感じる必要はない。
自身に言い聞かせる。俺は運んだだけなのだ。殺したのは自分ではなく、その先輩だ。
森の土壌は水気を含んでいて、ローファーで踏むたびに音をたててつぶれた。頭の奥がぐわんぐわんと揺れる。倒
れるほどではないが、少しでも油断すれば頭がすとんと首から落っこちてしまいそうだ。
ゆるやかな坂道が続き、その後、今度は同じくらいの傾斜の下りになり、降りていくと、唐突に道がふさがった。
木々が立ち並ぶ中、ここまで道が続いているのも考えてみればぞっとするほど不思議だった。
唐突に道が終わったのを見たとき、かつての俺も立ち止まったが、先輩はずかずかと足を進めた。木々は充実した
密度に思えたが、先輩が乱暴に手を振り回すと、簡単に道が開けた。俺がすくみあがっているのを見た先輩は声を低
め、とどろかせるようにしていった。
「この先だ。この先に湖がある」
 俺は進んだ。重たい腕をゾンビのように伸ばし、恐る恐る蔦の間に突っ込む。思わず、ああっと声が出た。ほんの
少し力をこめただけで蔦は塊となって視界から消え去り、ちょうど人一人がやっとと売れるくらいの一本道が姿を見
せたのだ。ここまでの、踏み鳴らされてできた道ではない。獣道でもない。ただ、そこに隙間が開いているのだ。
 事件のことを思った。古谷和美を捨てるためなら、きっとこの道を犯人も使ったはずだ。予感ではなく、ほとんど
確信だった。自分たちがカーぺットに包まれた死体を運び込んだのとは一〇年の隔たりがある。しかし、この道はそ
の間ずっと、ぽっかりと口を開け、隠し事を導いてきたのだ。
 踏み込むと、かえるがつぶれるような音がして、足がぬかるみを滑り、バランスを崩しかけた。状態が悪く、ほと
んど水溜りを歩いているのと変わらない。しっとりと濡れる木を手すり代わりにし、ゆっくりと進む。進むにつれ、
耳の中に音が満ちた。水が流れる音だ。


12 名前:No.04 死体の行方 4/5 ◇/ks5Y92PHE 投稿日:08/12/20 22:27:14 ID:ZhU6xxcW
 確かに湖があった。否、正確には沼である。
 頭の中にも、その沼は存在していた。以前見たときは夜の漆黒を写し、単なる闇として認識されていた。先輩はそ
の闇に近づき、ずぶずぶと下半身をしずめたとき、はじめて闇の正体が水だと知れたのだ。
「もう放してもいいぞ」
 俺は脇にはさんだカーペットの円柱を放した。カーペットを先輩は引っ張り、闇の中、いや、水の中に押し込んだ。
水を吸って重くなったそれはやがて周囲と同化して見えなくなった。俺の目の前から死体は消え去った。そう思った
とき、先輩は唐突に声を上げた。恐ろしくあっけらかんとした、これから飯でもどうだ、というときと同じ声。
「もっと隠さなきゃな」
 そういって、ぐんぐん沼の中を進んでいく。頭がひょこひょこと動き、先輩の姿は目を凝らさなければ見えない。
先輩は俺の名前を呼んだ。なぜだかは分からない。
「ここに穴がある」
 そう言われた後、力む声があり、水がはじける音があり、カーペットが土を擦っていく音がした。俺は穴をこの目で
実際には見ていない。見えなかった。やがて闇の中からぽっかりと輪郭を取り戻した先輩が出てきた。先輩とはそれか
ら一切口をきかなかった。
 その穴はどこにある。
 記憶をたどり、あるはずの方向に視線を向ける。すっかり藪状の植物に覆われてしまっていて、一〇年前と同じく見
えない。
「もしも警察がこの場所を捜索したら、カーペットに包まれた死体もばれちまうぞ」
 それだけは避けなければ。言うがはやいか、沼に飛び込んだ。うまく足がたたず、一度頭まで水をかぶった。沼の水
は恐ろしく冷たい。夕刻で、気温はこれほど低くなっていないはずなのだが。まるで、一〇年前の夜だ。
 体の芯は重く、背筋は常に寒気を催している。口の中は粘り気のある唾液であふれかえっていて、二度沼にはき捨て
た。頭の芯はいよいよ極限まで揺さぶられ続け、意識を保っているのが不思議なくらいだ。意識的に呼吸をし、命をつ
なぎとめながら、俺は進む。藪を両手で掻き分けた。その中に右手を突っ込む。
 驚き、手を引っ込めた。背筋を冷たい電気が走っていく。確かに触れた。死体の皮膚。爬虫類に似ているが、そうで
はない。新人時代、はじめて死体の検分をしたとき、触らされた。人間と同じ肌をしながら、明らかに違うもの。その
違いを言葉で言い表すことはできない。が、触ればわかる不気味さ。
「見つけたぞ」


13 名前:No.04 死体の行方 5/5 ◇/ks5Y92PHE 投稿日:08/12/20 22:27:33 ID:ZhU6xxcW
 まさか、同じ場所にあるとは。
 死体はうつぶせで、こちらに腕をだらりと伸ばしていた。そのため、顔は見えず、髪が水に打たれて抜け始めたつむ
じばかりが見える。つむじの少し上にぱっくりと開いた、大きな傷があった。これが致命傷だとすぐに分かった。斧か
金槌か何かで一振り。が、即死するほど深くはない。苦しんで死んだはずだ。かわいそうに。
「武田さん! 大丈夫ですか!?」
 突然の野太い声に驚き、藪の中から顔を引き戻すと、木の合間から体を乗り出す松本がいた。
 しまった。まだ一〇年前の死体を処理できていない。そう思ったが、こうなっては手がないことは嫌でも分かる。松
本の後ろには同僚たちが控えているはずだ。ここでおかしな話をするわけにはいかない。鼓動が一気にはやまったが、
冷静な思考も働く。俺は一〇年前の事件では殺人には関与していない。どうしてこの穴の場所が分かったのだと聞かれ
るかもしれないが、刑事の勘と偶然で押し通せる。実際、古谷和美は見つかったのだから――。
「見つかりました。古谷和美です」
「はい!?」
 松本は耳に手を添え、聞き返してきた。自分の声もすっかり体力を奪われてしまっていて、覇気がないのが嫌でもわ
かる。渾身の力を込め、胃袋でも吐き出すように声を荒げた。
「古谷和美が見つかりました! ここです!」
「んな馬鹿な!」
「ああ!?」
「古谷和美はここにはいません。先ほど連絡があって、保護されたとのことです。まだ殺されてもいなかったんです!」
「なんだと…」
 頭の中が真っ白になる。松本が口を大きく広げ、言葉を一言一句、鮮明に発する。聞き取れる、だが理解できない。手
が無意識のうちに藪の中まで這っていった。ずぶずぶになった土壌をかきわけ、すがりつくように触れる――。
 握り返してきたような気がした。息ができなくなる。下半身が力を失い、ゆっくりと、だが確実に体が沈んでいく。
目を閉じた。四肢は依然動かない。病気のせいだけではあるまい。



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