【 カンパネラ継ぐ 】
◆h97CRfGlsw




60 名前:No.16 カンパネラ継ぐ 1/5 ◇h97CRfGlsw 投稿日:09/02/01 23:55:24 ID:YHJnbH6d
 去年のクリスマス過ぎから、二月を迎える今日までを、私はずっと部屋の中に引きこもって過ごしてきた。年は17、高校二年生の冬である。
 別に虐められているとか、上がらない成績や年明けの定期考査が嫌になってとか、そんなくだらない理由が原因ではない。たしかに友達はいないし勉強も出来ないけれど。
 ところで話が変わるが、クリスマスの少し前に私はとうとう、彼氏持ちの身になった。気になっていた先輩に告白し、それが実ったのだ。我が世の春がきたぁ!という気分だった。
 格好いい彼氏ができれば、そりゃあ有頂天にもなる。なにせずっと人並みに恋に恋する乙女でしたもので、クリスマス、部屋に上げられれば押し倒されたりもするさ、うん。
 それがいけなかった……! 痛恨のミスっ……! 後悔先に立たず、覆水盆に返らず、そんな言葉が脳裏をよぎった26日の早朝、私は晴れて引きこもりになった。
 というのもその日から、私は太陽の光に触れると体が溶け始めるという、なんとも愉快痛快な体質を、望んでもいないのに獲得してしまったからだった。

「まさちゃーん! まさちゃん、ここを開けてくださーい! 大丈夫ですよ、私はあなたの味方ですよ、あなたのお父さんとお母さんに頼まれてきましたー!」
 んで、現状。私は薄暗い部屋のベッドの上で、クッションに頭を包んで小さくなっていた。先ほどから若い女が部屋の外で喚き散らしていて、喧しくて仕方ない。
 親が、一月も家から外界に出ていこうとしない娘を心配したのだろう、とうとうカウンセラーを自宅まで呼びよせてしまったのだ。ああ、生き恥をさらすとはまさにこのこと――
「まさちゃん!」
 ひときわ大きな声が響いたと思った瞬間、爆音が耳をつんざいた。おうふと体をびくつかせて振り返ると、そこには無残にもぶち破られたドアの残骸の上に立つ女の姿が。
「な、なんてことを」
「後で直します! 弁償しますから!」
「そういうことじゃ」
「それよりまさちゃん! なんでおうちから外に出たくないのかな、話を聞かせてほしいな! あ、それと私佐藤志津子です! よろしくねまさちゃん!」
 志津子と名乗った女は、エクスクラメーションマークをふんだんに取り入れた斬新な話法を駆使して私の鼓膜を攻撃しつつ、ずかずかと遠慮なく近づいてきてクッションをはぎ取っていった。
 そしてばさあっとカーテンを豪快に滑らせて陽光を取り入れ、窓を開けて淀んだ空気を外に逃がし始めた。止める間もない行動に、私は差し込む太陽の光から逃げてベッドの上を這う。
「まさちゃん、こんな所にいたら良くないと思うな! ほら、今日は取ってもいい天気だよ! 小鳥さんもご機嫌! 世界は明るいよ!」
「いや……まず私の名前はマサじゃなくて、ミヤビなんだけど」 
「……あ! そ、そうなんだ、ごめんね! 私漢字ってちょっと苦手なんだ! みやびちゃん、雅ちゃんね! よろしくね!」
「というかカーテン閉めて」
「ダメだよ! 太陽の光にはね、雑菌とか色々を消毒する効果があってね、それにすっごくあったかくて、なんというか、あたれば元気になるよ! だから、ね!」
 誰かのインスパイアみたいな鬱陶しさ暑苦しさをまとった志津子は、私の腕を強く握って無理に立たせようとしてきた。日の光に触れる寸前でなんとか振り払い、私の寿命は数日縮んだ。
「いきなりなにすんだ! か、カウンセリングにも順序ってものがあるんじゃないの!?」
「そ、それもそうだよね! ごめんね、私、ちょっと功を焦ったというか、あの、ごめんね! 許してね!」
 志津子はべたんとフローリングに頭を打ちつけ、凄く痛そうな音を響かせた。一応聞く体勢を取るつもりらしく、私の隣に図々しくぽすんと腰をおろし、顔を覗き込んできた。
「雅ちゃんは、どうして、おうちに籠ってるのかな?」
 粗野な行動や言動の割に、彼女は整った顔立ちをしていた。髪もさらりと黒く長く、肢体も伸びやかでスタイルがいい。何故かスーツを着こなしており、いいとこのお嬢様、といった出で立ちだ。
 それがなんの因果でこんな所にいるんだ、と思わないでもなかったが、実際に目の前で私の発言を待っているのだから仕方ない。私は適当なことを言って、帰ってもらうことにした。


61 名前:No.16 カンパネラ継ぐ 2/5 ◇h97CRfGlsw 投稿日:09/02/01 23:55:39 ID:YHJnbH6d
「その、色々嫌になったのよ。友達出来ないし、周りから浮いてるし、勉強も出来ないし、数学全然分かんないし」
「うんうん、それでそれで?」
「だからその、なんというか、もう学校とかつまんないし、行かなくてもいいかなって」
「ダメだよ! そんなの絶対もったいないよ! 未来はこれから切り開かれていくんだよ! なんで諦めるの! できるできるやれるやれる!」
「……」
 うっぜえ、と思っても口に出さないのが大人というものだ。私は罵倒の言葉をぐっと飲みこみ、改めて志津子に目を向けた。彼女は、だいぶ厄介な人間だった。
 私を外に連れ出すことが至上目的。理屈もくそもない頭ごなしな説得で、現代の若者なんかは簡単になびくとでも思っているのだろうか。先ほどからうわ言のようにできるやれると繰り返している。
 今まで、自分のファンタジーな体質のことは誰にも言わないできた。言っても信用されないだろうし、証明しろと言われて身を焼くのはごめんだし、下手すれば宗教裁判にかけられるかもしれない。
 だが……おそらく彼女は適当な言い分を提示してもおそらく引いてくれはしないだろう。このままでは命の安寧が危うい気がするため、ダメ元で、私は自分の体について話すことにした。
「いや、実はね」
「ん、なにかな? なんでも話してね!」
「私ね、クリスマスに彼氏としたんだ」
「……あー、私はその、そういうのまだなんで、なんというかちょっと分かりかねるんですけれども」
「いや、別にわかんなくてもいいんだけどね。……で、その彼氏だった男がね、実はヴァンパイアだったの。んで、その時に私、あいつに首元に噛みつかれてて……気付いたら、私も吸血鬼体質にね」
「……」
「だから、太陽の出てる日中は外に出られないのよ。日光を浴びると体が焼け溶けちゃうからさ」 
 じいと見つめられ、言ってて嫌な汗が滲んでくる。何言ってんだこいつ、とでも思われているのだろう。まあ別になんと思っててくれてもいい、事実なのだから。
 あの男は、一人ぼっちで寂しい思いをしていた私に言葉巧みにすり寄ってきて、骨抜きにした挙句血まで抜いて、同意も得ないうちに私をヴァンピーに。かと言って、糾弾しようにもどうすれば?
 もしかしたらヴァンパイアハンターなんていう人物団体が存在するかもしれないが、そこに訴えるわけにもいかない。そもそも存在すら疑わしいうえ、私も巻き添え食って断罪されかねない。
 そもそもあの男は普通に人間として生活しているのに、何故私だけが。吸血鬼の生態に詳しいわけではないが、血を吸われただけの急造体は、本家に比べ性能が劣るのかもしれない。吸血衝動もないし。
 と、ここで志津子に目を向ける。彼女は先程までの激しさを忘れ、眉根を寄せ首をかしげてこちらに視線を固定していた。根気強く反応を待つと、ようやく彼女は小さな声量で言葉を発し始めた。
「……まあ、なんといいますか、雅ちゃんの言いたいことは大体わかりました、はい」
「あ、わかってくれた。じゃあ帰ってくれるかな」
「いえ、私は帰りませんよ! 雅ちゃん、男の子に悪戯されたからってなんですか! 泣き寝入りしてちゃ、それこそ相手の思うつぼです。だから私と、その子に文句を言いに行きましょう!」
「全然わかってくれてませんね」
 的外れな使命感に燃えたぎる志津子は白い歯を見せてきらりと微笑み、ガッツポーズを披露してくれた。私はなんというかもう気だるくなり、眠さもあってベッドにぽてりと伏した。
「雅ちゃん、大丈夫ですよ、私がついてますよ!」
 彼女はあまり人の話を聞かない性質なのだろう。名前のことといい、今の空回りといい。私の話を理解して信じろというのも無理のある話だが、完全に無視されるとも思わなかった。
 彼女は脱力してベッドに沈む私の腕をとり、声をかけながら必死に起き上らせようと頑張っていた。ドアを蹴破る力はあっても、動く気力のない人間を持ち上げるのは難しい。
 志津子はしばらく無駄な努力を続けていたが、気がないことを悟ったのか、私に同じく脱力してベッドに座り込んでしまった。がくりと俯いて、眉を寄せ目に涙をためている。


62 名前:No.16 カンパネラ継ぐ 3/5 ◇h97CRfGlsw 投稿日:09/02/01 23:55:56 ID:YHJnbH6d
「……な、なんで言うこと、聞いてくれないんですか? 私なんかの言葉じゃ、その気には到底なれませんか?」
「いや、だからね」
「いえ、いいんです……私だってわかってます、私みたいな人間なんかに諭される人なんかいないんです。私なんかじゃ……うう」
「聞けよ」
 うっぜえ、と思っても以下略。どうも彼女には躁鬱の気があるらしく、先ほどのから元気はどこへやら、堰を切ったようにボロボロと涙を流し始め、ひっくと喉を鳴らしている。
 こういう時どうしたらいいんだろう、と猛烈にうんざりしていた。勝手に飛び込んできて勝手に落ち込んで泣かれても、一般的ヴァンパイアの私にはどうすることも出来ない。
 それでも彼女が狭い肩を震わせて涙をこらえようと健気に唇をかみしめているので、私は哀れに思って背中をさすって差し上げた。しばらくして落ち着いた彼女は、私に向きなおった。
「……私もね、昔引きこもってた時期があったんです。ちょうど、今のあなたみたいに」
「言っとくけど、私の場合は不可抗力だよ」
「友達もいなくて、ずっと一人ぼっちで……挙句虐められて、靴は隠されるし教科書は水浸しだし髪の毛は切られるし、慰めてくれた男の子は狼で、すごく怖い思いもしました。あなたみたいに」
「私虐められてないよ」
「それ以来、私は引きこもってたんです。何かと理由をつけて、家にいました。何度も死のうと思いました。恥ずかしい話ですけど……手首もほら、あなたみたいに」
「私はしてねえよ」
「でも……そんなとき、私の目の前にある人物が現れたんです」
 志津子はこちらに顔を向けたまま、ぴたりと固まってしまった。はてと思い、どうやら先を促されるのを待っているらしいと気づいて、私は溜息を伴って掌を向けた。
「お父さんが、カウンセラーを呼んでくれたんです。凄くきれいな人で、私のことを優しく……優しく慰めてくれたんです。包み込むような母性に、私は自分を取り戻したんです……」
「へぇ」
「そしてそれから、私は彼女のように病んだ人の役に立とうと思って、心理学を専攻する道を選んだんです。あの女の人のように、私も誰かのために生きようって!」
 彼女は勢いよく立ちあがり、拳を高く振り上げての我が生涯に一片の悔いなし。そうですか、以上の感想を持てない他人の自分語りに、私は辟易するしかなかった。
 しかし彼女は、そんなテンション高めのポーズをやめると、先程と同じようにぼすんとベッドに座り込んで白く燃え尽きた。おそらくこいつの性格はヒッキー時からなんら改善されていないのだろう。
「でも……心理学って実際は虚学なんですよね……在学中に気づいたんですけど……。就職先も全然なくて、家族に学歴難民オナニートと後ろ指をさされてしまって……」
「酷い家族だ」
「でもね、ようやっと雇ってくれそうなところを見つけたんです! 実はその、件の女の方が見つかりまして、お礼のついでに現状を話したところ、うちに来ないかと言われて」
「よかったじゃない」
「して、その際に条件を出されたんです。今度の任せる患者さんを上手く快復へ導けたら、正社員として雇ってあげる、と!」
 今度の患者さんとは、おそらく私のことである。正直は美徳だとは思うがそういうことは極力心内にとどめておくべきだと思う。力強い宣言に、私は聞こえる様に溜息を洩らした。
 彼女が就職に困っているのはようくわかった。私の行動如何で彼女の今後の進退が決するというのなら、協力もしてやりたい。それに私自身、太陽からこそこそ逃げ惑う生活には嫌気がさしている。
 とはいっても、私の素敵な体質をどうにかしようにも方法がわからない。あの色男から聞き出そうにも、しらを切られるばかりで頭の可哀想な子扱いされるのがオチなのだ。経験済みである。
 詰まるところ八方ふさがりなのだった。まあ、日の沈んだ時間帯なら活動できるのでさほど困っているわけでもないが。夜間の高校へと転校するか、という案も私の中で上がっている。
 恩師の女の人の素晴らしさについて語る志津子の隣で、私は欠伸を噛みしめていた。完全に夜型の生活にシフトしていたので、今の時間帯、私は普段寝ているのだ。とても眠かったりする。


63 名前:No.16 カンパネラ継ぐ 4/5 ◇h97CRfGlsw 投稿日:09/02/01 23:56:16 ID:YHJnbH6d
「とにかく、雅ちゃん」
 ウトウトし始めたところで、志津子が私の手を握ってきた。彼女の瞳はやる気で充実しており、未来への展望に活力を滾らせているようだった。
「書を捨てよ、町へ出よう、です。確かに辛くて理不尽なことばかりの世の中ですが、救いの手は必ずどこかから差し伸べられるものですよ」
「だから私はヴァンパイアで」
「雅ちゃん、あなたは普通の可愛い女の子ですよ。外に出たくないのはわかりますけど、妄想に逃げるのはよくありません。私もそれをやって、黒歴史をこさえましたからね」
「話を」
「雅ちゃん! そんなことばかり言っていると、夕食の度にからかわれて肩身の狭い思いをしなくてはならなくなるんですよ! 就職の道が見えて、大分それもおさまってきてますけど……」
 罵倒されたりからかわれたりと、ずいぶん家族に可愛がられているらしい彼女は、頭を抱えてかたかたと震え始めた。一体どんなことをのたまっていたのだろう、気になる。
「あのさ……信じてもらえてないみたいだから、実際に見せてあげるよ」
 私は立ち上がり、不思議そうに首を傾げる彼女の視線をこちらに集めた。深呼吸し、気合いを入れて意を決してから、人差し指を窓から柱状に差し込んでいる陽光に触れさせた。
 途端、じゅう、と肉の焼け焦げる音があがった。酸にでも触れたかのようにぐじぐじと原形を崩れさせながら指はとろけ始め、緩い疼痛を神経に送ってくる。凄く痛い。
 とうとう皮膚が垂れ下がり始めたところで慌てた志津子に体を引き戻され、私は脂汗を滴らせてベッドに座り込んだ。日の光から解放された指は次第に固まっていき、元の形に戻り始める。
「み、雅ちゃん? ど、どうなって……ど、どう……え?」
「ヴァンパイアなんです」
「だって……え? そ、そんな……ほ、本当に? まさか……」
 爛れた人差し指を向けると、志津子はひいと喉を鳴らして後ずさった。そうこうしているうちに、吸血鬼になって以来飛躍的に上昇した自己修復力によって、爪まで剥がれおちた指は完治していた。
 志津子が目を一杯まで見開き、畏怖と恐慌をない交ぜにした視線をこちらに向けてきている。ずいぶん加虐心を煽る表情だったのでもう一度指を向けてやると、頭を抱えて小さくなってしまった。
「わかってもらえた? 私、日中は外に出られないんだ。26日の朝なんか酷かったよ。なにも知らずに外に出たからさ、体中溶け始めて思わずほぎゃあああとか言っちゃったよ」
「そ、そうですか……じ、じゃあ、私の就職は? カウンセラーの仕事は?」
「夜間なら外に出られるから、それを報告すれば」
「だ、ダメです! 以前と同じ生活に送り返してこそ、快復と言えるんです! ちゃんと学校に行かないと!」
 律義な志津子は、悲壮な使命感を胸に拳を握り締めた。私の捨て身の説明は功を奏しているのだろうかと不安になる彼女の言動だったが、一応体質については理解していると考えることにする。
 それも証拠に、彼女は眉間にしわを寄せて頭を抱え込み、必死に頭を働かせているようだった。物理的に不可能とわかった今、彼女の就職の道は完全に閉ざされたようなものだ。
 志津子は長い髪を掻き毟ってくしゃくしゃに乱し、ブツブツとうわ言のように何かをつぶやいている。虐められていたころの彼女が透いて見えるようで、若干愉快だった。
「そ、そうだ! 原因、原因は何なんですか!?」
 ぱっと顔を上げると、彼女は妙案を思い付いたとでも言わんばかりの形相で私の肩をひっつかんだ。僅かな期待と展望に満ちた彼女の表情。やっぱり話聞いてなかったなこいつ。
「元彼氏だよ。あいつに噛みつかれて、私も吸血鬼にされたんだ」
「ま……また男ですか! 本当に男の人って余計なことしかしませんね! 女性の敵ですね!」
「いや……うんまあそうなんだけどさ」
 許せない、と義侠心に燃える彼女は、私が直接治す方法を聞いてあげますとのたまってくれた。せっかくなので電話番号を教えて差し上げると、彼女はすぐに携帯電話を開いた。


64 名前:No.16 カンパネラ継ぐ 5/5 ◇h97CRfGlsw 投稿日:09/02/01 23:56:32 ID:YHJnbH6d
「もしもし!? 私、佐藤志津子と申しますけど!」
 しょっぱなからケンカ腰しながらも礼節を失しない程度に自己紹介し、お話聞かせてもらうべくあの男に噛みついていた。就職がかかっているので、彼女も必死だ。
「はい、そうです、私は雅ちゃんの担当カウンセラーです。……どうしたも何も、あなたが彼女を誑かしているんでしょう!? 全部彼女から聞かせていただきました!
 あなたが吸血鬼だってことも、もち知っています。雅ちゃん、太陽の光が浴びられなくて苦しんで……え? 吸血鬼じゃない? で、でも、雅ちゃんはそう言ってましたし、証拠も……
 ……た、確かにあなたがそうだっていう証拠はない、ですけど……ええ、はい。で、でも、あなたと一晩過ごしてからそうなったんですから、あなたが……ち、違う。そうですか……」
 志津子は始めの勢いはどこへやらといった感じで、私に救いを求めるような目を向けてきた。そんな顔をされても困るので、私は聞く耳を持つなという意味をこめて首を振った。
「で、でもやっぱりあなたが吸血鬼なんです! そうとしか考えられません! いいですか、しらを切ろうと思っても無駄ですからね。カウンセリングを通して、ちゃんと話を聞きました。
 え? あ、はい、カウンセラーですけど。……あ、いえ、実はまだ見習いというか、試用期間で……はい、彼女のカウンセリングが成功したらという条件で……正社員に……はい。
 ま、まあそういうことですよ、彼女が治れば私も晴れてカウンセラーに……え? 給料? ……か、考えたこともありませんでした……カウンセラーって薄給なんですか? そうですか……
 あ、私は一人暮らしです。はい、はい……ワーキングプアー? 仕送りがないと……はい、確かに現状も頼って……馬鹿にされてて……いえ、で、でもカウンセラーの仕事に誇りをですね。
 ……え、もっといい仕事がある? しょ、紹介してくれるんですか!? た、待遇は正社員ですか? ……それ以上? そ、それってどんな仕事なんです? わ、私、是非……
 永久就職? ……なんですか、それ? はい、はい……え!? そ、そんな、い、いきなり!? で、でも私……あなたと会ったこともありませんし……こ、声が可愛い? か、可愛いだなんて……
 ……そ、そんなことありませんよぅ、私、全然可愛くなんて。え? 今から? あ……あ、会いたい……です。はい、住所? あ、ちょっと待ってください、メモを……」
 あたふたと鞄の中をまさぐりだした志津子を、私は冷めた目で見つめていた。もしかしたら彼に惚れていた私も、傍から見ればあんなだったのかもしれない。
 彼女は喜色満面な表情で彼から住所を聞き出し、甘ったるい声でさよならを言い合って携帯電話をぱたりと閉じた。頬は朱にほてり、早くなった鼓動を抑える様に胸に手を当てている。
「雅ちゃん、私、就職先、決まりました……。救いの手が、天から延びてきたんです」
「ああそう」
「はい! では、いままでお世話になりました! じゃあ、頑張って社会復帰してね!」
 志津子は嬉しそうに駆けだし、光あれ!と元気に叫びつつドアのない扉をくぐって部屋を出ていった。しばらく呆然とそれを見送ってから、私も携帯電話を取り出し、リダイヤルを押した。
「おい」
『……ああ、雅ちゃん? 久しぶり、元気にしてた? 声が聞けて凄く嬉しいよ』
「私の体は元に戻るのか? 生贄と交換に教えてくれ」
『あー、生贄って、志津子さん? ……多分戻るよ。同時に吸血鬼に出来るのは、僕の場合十人までなんだ。ねえ、それよりさ、また家に来ない? 君とは相性が良かったみたいで、忘れられな』
 私は最後まで言葉を交わさず、ぷちりと電源を切った。ふう、と安堵と疲労に溜息を漏らし、ベッドに横になる。どうやら、もう少し我慢していれば体は元に戻ってくれるらしい。
 志津子には悪いことをしたが、まあ、人の話を聞かない彼女が悪いのだ。私はひとまずなにもかもを忘れて、眠りに就くことにした。
 んで、次の日。そのまま丸っと一日眠った私は、日の光によって目を覚ました。小鳥たちがざわめき、壊されたドアから入る隙間風が寒い。久しぶりの快眠だ。
 そういえばカーテンを開けっ放しにしていたなあと寝ぼけつつ、はっとして顔を照らす陽光から身を退く。しかし、どこも体は溶けてはいなかった。よかった、元に――
「ほぎゃあああぁ!」
 近所中にとどろく悲鳴に目を細め、私は学校の制服を手に取った。久しぶりの登校、皆はどうしているのだろう。そんなことをぼんやりと考えながら、とすとすと一階に降りる。
 志津子は、意外と近い所に住んでいたらしい。せっかくなので、帰りにでもお見舞に行ってやろう。晴れて完全に無職になった彼女を、優しく優しく慰めてやらなければ。



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