【 きっかけは、人違い 】
◆h97CRfGlsw




47 :No.13 きっかけは、人違い 1/5 ◇h97CRfGlsw:09/02/16 00:17:16 ID:aL9HZEKo
「覚悟ォ――!」
 威勢のいい声に追い立てられ、俺は森の中を全力で逃げていた。町一番の俊足と仲間内で湛えられた自慢の足も、薄いわらじと獣道のせいで悲鳴を上げている。
 俺を追っているのは、妙齢の女だった。純白の装束に、長い髪を後ろで一つにまとめて結い、それを受ける風になびかせながら、奇妙な前傾姿勢で息一つ切らさず疾駆している。
 そしてその女の腰には、物騒な長物が一本。美しい肌色をしており、それに添えられた女の手の直下に煌びやかな銀色を隠していた。あれは刀だろう。柄も鞘も木造りの、珍しいものだ。
「俺がっ、一体っ、何をしたー!」
「問答無用! これは畜生にも劣る貴様の所業、許せぬと嘆く者の怒りだ!」
「恨みを買うようなことは何一つした覚えはねー!」
「この期に及んでまだ謀ろうとするか、下郎が!」
 背後からは元気な罵声が飛んでくる。居合い切りの構えのままで走り、並はずれた速度と体力を見せつけてくる奇妙な女。思うに俺は、命を狙われている。おそらく人違いで。
 町の外れまで、使いで水を汲みに行ったらこれである。女がふらりと近寄ってきたと思ったら、突然切りかかってきたのだった。まったく身に覚えのない襲撃に、俺は逃げることを余儀なくされた。
 悲しい話だが、俺は町商人のせがれそれ以上でもそれ以下でもない。畜生にも劣る所業をするには町を捨て人生を棒にふる覚悟が必要になる身分だし、親兄弟にも多大な迷惑をかけることになる。
 だからというわけではないが、俺は人様の恨みを買うようなことは何一つしてはいない。よってこれは明らかにいわれなき糾弾であり、俺は弁解するために女を振りかえった。
「なんだか知らねーが、多分人違いだ! 俺はここ最近店番しかしてねー!」
「問答無用と言った!」
「こんの馬鹿野郎ー!」
 やけになって叫びながら走る。口も喉もからからだ。粘っこくなった唾を飲み下し、喘ぎながらも走り続ける。少し開けた場所に出た途端、背後でだん、と地面を蹴る大きな音がした。
 はっとして振りかえると、女はいなかった。代わりに俺の頭上をふわりと影が飛び越え、それを目で追うと女が宙を舞っていた。空中でうまく体を捻り、女は俺と正対するように着地した。
「民を虐げ、徒に人を殺し、婦女を犯し。自身の快楽しか考えぬその所業、とても許せるものではない。……観念するといい、せめて苦しまないようにしてやる」
「そ、そんなことするか! お前みたいのに追っかけられる覚えは、これっぽちも――」
「悪鬼」
 言いきる前に、女が動いた。一足飛びで俺の目の前に現れると、刀の柄に添えていた腕を鞭のようにしならせた。白銀の刃が唸って奔り、その閃光は、咄嗟にしゃがんだ俺の髪を掠めていった。
「――滅消!」
 居合切りからの流れる動作で女は俺を抜いて背後に着地し、刀を鞘に滑らせ、掛け声と共に鍔鳴りの音を立てた。そして次の瞬間、俺の背後で轟音を立てながら幾本の木が薙ぎ倒された。
 つつ、と冷や汗が額を流れる。呆然としていると、はらはらと顔に掛かるものがあった。髪だ。あの時刃を掠めた髪が、今更に切り落とされたのだ。気持ち平らになった前髪をなぞり、鳥肌を立てる。
「……あれ? 何故死なない……躱された?」
「お、お前、一体何を」
「まあいい、もう一度。悪鬼……」
 女は再び居合いに構え、刃を滑らせた。目視能わず、と言わんばかりの神速で俺の体を刀で薙いでいき、動けずいる俺の後ろにふわりと着地した。そして先程のように鞘を抱き、刀を納め――
「や、やめろォ――!」
 俺は後先考えず、女に飛びかかった。展開に頭は追いつかないが、刀を鞘にしまわせてはまずい、とだけは理解できた。不意を突かれた女と俺はもつれ合い、森の湿った地面に転がった。

48 :No.13 きっかけは、人違い 2/5 ◇h97CRfGlsw:09/02/16 00:17:31 ID:aL9HZEKo
「ほんっとうにすまなかった!」
「……」
「なんとお詫びすればいいか……」
 で、あれから少し。運良く取り上げた刀を手にした俺は、自分はただの町民であり、おそらく人違いであることを懇切丁寧に説明し、今は女に深々と土下座を受けていた。やっぱり誤解だったのだ。
 少し追求したら、女は懐から人相覚書を取り出したのである。こいつはお前だろうと差し出されたそれは、町を取り仕切っている領主の顔だった。最近城を継いだ若いそいつは、確かに俺に似ていた。
「私はこの町のことをよく知らないんだ。依頼人からは、町に入ればすぐにわかると言われたのでな。そうしたら手近に貴方がいたので」
「少しは考えろよ、ったく……」
 どうも俺はついつい殺されそうになったようである。話を聞くところ、この女は殺し屋稼業のようなことをやっているらしかった。腕はいいようで、依頼書兼人相覚書の束は、かなり厚かった。
「いや、本当に申し訳ないことをした。依頼の実行期限が短く、それなのに町から町への移動に時間がかかってしまって……焦っていたんだ」
 嘆息しながら、女に目を向ける。背は俺の方が少し高く、歳もそう変わらないだろう。目立つ白装束のこともあるが、結構視線を吸い寄せる容姿の持ち主だった。凛とした美人、という感じだ。
 顔立ちは整っている。睫毛が長く、憂い顔の今はそれが影を落としていた。鼻筋がすらりと通り、唇は柔らかくも武人らしく引き締まっている。なんでこんな女が、人斬りなんかしてるんだ?
「ところで、あの……そろそろ私の刀、返してはもらえまいか?」
 眉を八の字にして、女は俺の手元にある刀を見つめていた。まあいつまでも俺が持っていても仕方ないので、返してやる。女は嬉しそうな顔をして恭しく受け取ると、しゃらんと鞘に納め――
「待て――ッ!」
「う、うわっ」
 再び腰に抱きつきながら押し倒し、慌てて鞘から刀を抜き取る。確証はないが、とても嫌な予感がする。俺の股に組み敷かれた女は目をぱちくりさせながら、驚いた顔で俺を見つめていた。
「な、何故飛びついてくる。人違いとわかったんだ、もう襲ったりはしない」
「そうじゃねえ! お前これ、鞘に戻したら……お、俺は一体どうなるんだ?」
「……あ」
 女はまずい、といった表情になり、俺から目を逸らした。やっぱりである。その時ふと腹部にかゆみを感じて、俺ははおっていた着物の衿を肌蹴てみた。臍の真下に、薄ら赤い横一文字が入っている。
「……この刀は、身のない刃で相手を斬りつけ、鞘に戻しあやかしの力を込めることで刃の軌跡に改めて斬撃を奔らせる無双流の宝刀だ。暗殺にも使える便利な私の愛刀で、悪鬼滅消は奥義……」
「もういい、ようくわかった。恥ずかしい説明はいいから、とにかくこれはどうすれば治るんだ」
「と、とにかく、まずは刀を返してくれないか? あまり抜き身のまま外に晒しておくと危ない、凄く」
「わかった。ただ、いいか、戻すなよ、絶対鞘に戻すなよ!」
 こくこくと頷く女に刀を返す。今の釘の差し方はなんだかまずい気がしたが、女は髪を結っていた白い帯状布を解き、それで刀身をぐるぐると巻き始めた。どうやら切れ味はほとんどないらしい。
「……で、どうしたらこの腹の傷を消せるんだ?」
「あ、いや、その……実は、あの技から逃れるのは不可能なんだ。どこにいようとも構わず身を裂き、そこに血飛沫を舞わせる必殺技だ。私もお気に入りで、凄く格好いい技だと……」
「もういい、ようくわかった。危なくてかなわんから、その刀はやっぱり没収だ」
「そ、そんなあ!」
 織物で白化粧を施された刀を取り上げると、女は頭を抱えて悲鳴を上げた。そうはいっても被害者はこちらなので、譲ったりはしない。しばらくして女もそれを悟ったのか、がくりと肩を落とした。

49 :No.13 きっかけは、人違い 3/5 ◇h97CRfGlsw:09/02/16 00:17:45 ID:aL9HZEKo
「……ただいま」
「遅せえぞ、一体に何やって……お? お前、ちっとも帰ってこねえと思ったらなんだ、女ひっかけてたのか?」
「そんなんじゃねえよ」
 後ろに女を侍らせ、一旦自宅に戻ってきた。一応商店なので長屋でなく一戸建てのそれなりな家だったが、品が野菜のせいで泥臭くて仕方ない。店番をしていた兄貴が、女をじろじろと値踏んでいる。
「なんだ、よく見たらお前にはもったいない美人じゃねえか。いやあ、目の保養になる」
「そ、そんなっ、美人だなど……」
「がははっ、照れなさんな! ……んで、お前はいつ家を出てくんだ? 嫁さんまで連れてきたんだ、いつまでも家でごろごろしてるわけにもいかないだろ? いい加減独り立ちしねーとな」
 店を継ぐ気楽な兄貴を無視し、改めて大きめの布でまいた刀と鞘を片手に、女を引っ張って家の中に向かう。冷やかす言葉が追いかけてきたが、客が来たのかすぐにそれもおさまった。
 とにかくなんとかしなくてはならない。馬鹿げた話だが、俺は今、木まで薙ぎ倒してしまうような威力で切りつけられてしまっているのだ。はっきり言って、まったく生きた心地がしない。
 女は逃れる方法がわからないというし、刀を取り上げたら目に見えてうろたえている様子を目の当たりにして、このまま没収とも言い難い。頭を悩ませつつ、屋根裏部屋に足を運んだ。
「ところでお前、名前はなんていうんだ?」
「え? あ、ああ、かなで、奏という。あと刀返してくれ」
 懇願の言葉を背に、無視して物置の中を漁る。確か親父が昔持っていたとかいう刀があったはずだ。帯刀が禁じられたご時世なので、今はこうして家の奥にしまい込まれて……あった、見つけた。
 箱の底から取り上げ、埃を纏った鞘を払い、カビの生えた柄を握って刀身を久方ぶりに抜き出す。流石に長年しまい込まれていたせいか、錆びてはいないものの若干歯こぼれしていた。
「刀だけどな、お前が今使ってるものは俺が没収する。代わりと言っちゃあなんだが、これをくれてやろう、有難く受け取れ」
 帰路の間に出した結論は、俺を斬殺せしめんとする刀を封印してしまうことだった。どちらと言わず非は向こうにあるし、これが妥協点だ。刀を放って渡すと、奏は露骨に顔を歪ませた。
「なんだ……この酷いナマクラ……。こんなものじゃあ居合いは出来ん、というか、あの技はあの刀でないと出来ないんだ。普通の刀では、居合いで人体を両断するのは難しいと師に聞いた」
「いや、使われると俺が死ぬし。大体な、なんで人殺しなんて物騒なことやってんだ、お前は」
「人殺しではない。私の力は、常に弱き者と共にあり、誰かの為にある。私の正義は、この無垢白の着物が示す通り、一点の汚れもないのだ」
 奏が自慢げに、はおっている着物の襟をつまんで胸を張った。森でもみ合ったせいか若干薄汚れてはいたが、確かに、白以外の色に染まっている部分はなかった。返り血の一滴も吸っていない。
「その着物は絶対暗殺には向かないと思うぞ……。というかお前、なんだかんだ言って結局俺を思いっきりぶった切りましたよね」
「そ、それは申し訳ないとは思うが、私は私の信じる正義に則っただけだ。……ところで、貴方は最近、なにか悪いことなんかしていないだろうか。例えば婦女を無理矢理組み敷いたとか」
「お前に殺しの理由を与えるような悪事なんか、俺はしてません」
 奏は小さく溜息をつき、小汚い刀を握り締めたまま眉根を寄せていた。なんとか俺から刀を取り返したいと考えているのだろうが、こっちもそう簡単に刀、もとい命を差し出すわけにもいかない。
 ……大義名分さえあれば、人は殺してもいいと、こいつは考えているのだろうか? まあ、今更そんなことをこんな奴と論じても、平行線を伸ばすだけで時間の無駄だ。とにかく、刀は渡せない。
「まあ、刀のことは諦めるんだな。自分の不注意なんだ、自業自得だろ? とりあえずその刀を当面代用して、また新しいのを買えよ」
「だ……だが、私はその刀しか振るったことがない。他の刀では多分、思うようには戦えない。技が使えないと……だからどうか、返してはもらえまいだろうか。この通りだ!」
「お前、普通の刀で人を切ったことないのか?」
 奏は質問に普通?と片眉をあげ、しばらく難しい顔をしてから、頷いた。奏の刀には、木すら両断する威力がある。はたしてその手ごたえは、ちゃんと奏での手に伝わっているのだろうか?
 大丈夫かよ、と内心で思ったその時だった。店の開かれている階下から、大きな音が響いてきたのだ。その衝撃に、俺は咄嗟に動き出した。後を追ってくる奏と共に、刀を持って兄貴の元へ向かう。

50 :No.13 きっかけは、人違い 4/5 ◇h97CRfGlsw:09/02/16 00:17:57 ID:aL9HZEKo
「なんだ? この無礼者の家族か?」
 商品棚を巻き込んで倒れている兄貴を視界に入れると、店の入り口から嘲るような声が掛けられた。顔を上げると、例の領主様が取り巻きの向こうでいやらしい笑みを浮かべていた。
 とにかく兄貴を介抱しなければ。気絶しているのか、肩を揺すっても起きない。肩口から血を流していたので、俺の後ろで顔を歪めていた奏に店の奥に運んで手当てするよう頼んだ。
「兄が何かしましたか? お気に障るようなことでも?」
「ふん……確かに似ておらんこともないな。町民風情が、この俺と瓜二つなど腹立たしい、虫唾が走る」
 片眉をあげ、俺の言葉を無視して然り、という顔をしている。なんとなく状況がつかめた気がする。どうもどちらかというと兄貴の方に非があるような気がする。思わず余計な事を言ったのだろう。
 俺に似た領主は帯剣した男を二人、背後に女を三人侍らせていた。僅かに返り血を受けている護衛の男は威嚇するような顔をこちらに向けているし、どうもこのまま穏便に、という流れではないようだ。
「すみません、何があったかは存じませんが、今日のところはこれでご勘弁いただけないでしょうか。後程城の方に、お詫びの品をお持ちさせていただきますので」
「ならん。せっかくよい気分で見物を楽しんでいたというに……どうしてくれる」
「どうすれば?」
「お前の顔の皮をはげ。俺は俺一人で十分だ、二人もいらぬ」
 笑えない話である。男が刀を抜き払い、にじり寄ってくる。領主が時々理不尽な要求をしてくることは知っていたが、まさか我が身に降りかかるとは。呑気に気を失っている兄貴を恨む他ない。
「待て、私の目の前で暴虐は許さん」
 もはやこれまでかと棒立ちしていると、奥から奏が怒りの形相で戻ってきた。渡した刀を腰に据え付け、棚を足で退けて場所を取る。居合の構えを取ると、護衛たちの注意も移った。
「聞いた通りの悪人だ、貴様。弱きを虐げるその性根、死を持って省みろ」
「……なんだこの女は。お前ら、適当に相手してやれ」
「死にたくなくば下がれ。お前たちでは私に勝てはしない、決してな」
 刀の感触を気にしつつも、奏が安い挑発を飛ばした。誘いに乗った護衛の一人が、上段から袈裟掛けに刀を振り下ろす。奏はそれを柄尻でがっきと受け、威力をそのままに後ろへいなした。
 刃で受けられると思い込んでいたのか、護衛がたたらを踏む。奏は当然その隙を逃さず、体を捻って体勢を戻し、渾身の力をこめて刀を鞘走らせ、護衛の脇腹目掛けて居合切りを決めた。
 鮮血が巻き上がり、絶叫しながら護衛が倒れ伏した。おんぼろの刀は骨や肉で刃をひしゃげさせ、臍のあたりで切り抜けず留まっていた。始めて見る恐ろしい威力の居合い切りに、顔が引きつる。
「こ、こいつ! よくも!」
 もう一人の護衛が唸りを上げながら斬りかかった。奏は、刀を失っている。俺は持っていた奏の刀を咄嗟に抜き、振り降ろされる斬撃をなんとか受ける。衝撃に呻きつつ、そのまま切り結んだ。
「か、奏! さっき倒した男の刀を使え! なんとかしてくれ!」
「……」
「奏! なにしてんだ!」
 自分が斬り伏せた男を見つめながら、奏は呆然と立ち尽くしていた。強く呼びかけると、奏はっとして動かなくなった男の手から刀を奪い、ついでに鞘に戻した。俺は刀を弾き、護衛から飛び離れる。
 護衛がよろけたその瞬間を逃さず、神がかった速度で奏が踏み込んできて、紫電一閃。見事な太刀筋を護衛の腹に描き、血飛沫が舞う。思うようには戦えないって、今の彼女は、まさに鬼神が如き。
「こ、この悪鬼め!」
 護衛が血の海に沈み、恐慌した領主が青ざめた顔で悲鳴を上げていた。奏は血のりのこびり付いた刀を放り、今しがた絶命せしめた護衛の刀を取り上げた。自身の着物で跳ねた血を拭い、鞘に納める。
 奏が領主へ近づいていく。おそらくそれなりの使い手だったはずの男二人を、ものの数十秒で屠ったのだ、人外と罵りたくなる気持ちもわかる。奏は、その言葉で顔をしかめていた。

51 :No.13 きっかけは、人違い 5/5 ◇h97CRfGlsw:09/02/16 00:18:14 ID:aL9HZEKo
「……私は正義だ。誰かの力となるべく、刀を振るっている」
「何を言うか、畜生が! それだけの力、得る為に何人殺してきた! お前が正義を語るな! お前もどうせ、こちら側の人間だろうが!」
「ふ、ふざけたことを言うな! 私の力は常に、弱き者と共にある! お前などと一緒にするな!」
 領主の言葉に激高し、奏が憤怒に表情を歪めて怒鳴り返した。握りしめていた刀の切っ先を領主の顔に触れる寸でまで近づけ、言葉を押しとめる。領主に向けた刀は、細かく震えていた。
 奏は男二人の返り血で、真っ赤に染まっていた。自慢げに見せびらかした白の着物も、今では白い部分の方が少ない。いつもやっている粛清で、返り血を浴びたのはこれがきっと初めてなのだろう。
「ふ、ふん、なんの躊躇いもなく人を屠れる人間が、正気なものか。弱者の声を隠れ蓑に、自分の力を示したいだけの殺人鬼だろう、お前は!」
 奏の様子がおかしいのに気付いたのか、領主がいやらしい笑みを浮かべて彼女を糾弾する言葉を続けた。奏は眉根に深く皺をよせ、刀を下ろし、打ちひしがれたように俯いてしまう。
 なんとなく、彼女がうろたえている理由がわかるような気がした。今俺が握っている刀、試しに自分の腕に突き入れてみると、ほんの僅かな感触しか感じなかった。突き貫いても、血すら出ない。
 実体を持った刀で切った人間は、きっと硬かっただろう。いつもは避ける返り血は、人と同じ温かみを持っていただろう。情けないことに彼女は、今さら当たり前の事実に衝撃を受けているのだ。
「……わ、私は、正義だ。私は決して、私の満足の為に闘ってきたわけではない。私は弱き者の為に……」
「詭弁だな! ならばお前は、今お前を前にして弱き者となっている私を殺せないはずだ!」
「そ、それは……」
「強さを見せびらかすために、自分より弱い存在の中から適当に相手も見つくろって、殺しているだけなんだよ、お前は!」
 領主も必死だ。追い詰める言葉を間違えれば、眼の前の鬼に殺される。ただ、彼の言っていることも確かに正論ではあった。奏がしているのは、どれだけ正当化しても、ただの人殺しなのだから。
 誰かを守る為に闘う。その為に他の命を奪うことを綺麗な言葉の裏に隠し、殺した感触を無視する刀で目を逸らし、自分の行いの大義に酔っていた。命を奪うことの傲慢さに、背を向けていたのだ。
 ある意味初めて自分の力で人を殺して、気づいたのだろう。命のてごたえに、自身の罪深さに。領主の言葉で事実を突き付けられて、彼女は、自分が悪の側に身を置いていたことに気が付いた。
「でも、お前が悪者であることに変わりはないよな? 悪鬼――」
「な、なにを――」
 奏に気を取られていた領主の後ろに回り、俺は奏の刀を彼の腹に深々と突き刺した。自身の臍辺りから延びる白銀の刃を目の当たりにして、領主は言葉にならない何かを呟き、泡を吹いて落ちてしまった。
「滅消! ってな、情けねえ奴。俺は一刀両断されても泣かなかったのに、なあ?」
 場違いだと分かっているが、奏に茶化した笑みを向ける。彼女は思いつめた表情で刀を握りしめ、唇を噛みしめていた。辛うじて泣きださないのは、偉そうに御高説を垂れてしまった、俺の前だからだろうか。
 奏に、俺が持っている刀を差し出してやる。奏は持っていた刀を取り落とし、俺の手から自身のものを持っていった。これだけの乱闘の中でも、その刀身は曇りない白に輝いている。
「……私は、許されない。たくさん、殺してきた」
「ああ、そうだな。お前は許されないだろうよ」
 奏は俯いた。慰めるような言葉を求めてはいないだろう。それに、俺も彼女に殺されかけている身ではあるが、彼女が殺してきたのは、俺一人ではない。贖罪をするには、俺一人では足りない。
 奏はその場に正座をすると、刀を逆手に持ち、切っ先を腹部に当てた。そして一息に引き込み、両断する勢いで、腹を?っ捌いた。血の出ない切腹に、俺は思わずにやけてしまった。考えたな。
「一生をかけて、償いたい。……許されるだろうか」
「いいんじゃないか? 切腹もしたし、文句言う奴はいねえよ」
 そう言いながら、俺は奏に手を差し出した。彼女は不思議そうに俺の手を見つめていたが、しばらく考えて、取ってくれた。俺は奏での手を引いて、その場から駈け出した。
 俺も、一人殺した。彼女の贖罪の逃避行についていく資格は、俺にも、十分あるはずなのだ。家に置いてきた鞘のことなど、とうに忘れ去っていた。




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