【 空飛ぶオランダ人達 】
◆xsJqaU.umA




3 :No.02 空飛ぶオランダ人達 1/6 ◇xsJqaU.umA:09/04/05 20:04:34 ID:0gWbggT1
「困ったことになりました、監督」
 その日の朝、あるオランダ人選手が私に告げた第一声がそれだった。彼の表情を見れば、その言葉に偽りはない
ことはわかる。彼の顔に浮かんでいるそれは、困惑としか呼べないものだ。
「どうしたんだ、ディルク。風邪でも悪くしたか。それとも、ええと、まさかどこか怪我でも?」
 私はプロフットボールクラブの監督で、困惑している彼、ディルクは私たちのチームにおける主力選手の一人である。
彼に「困ったこと」と言われ、まず最初に思い浮かんだのが怪我や体調不調の類だった。
 私たちのチームは、週末にライバルチームとの直接対決――実質上のリーグ優勝の決定戦だ――を控えている。
その大事な試合に、彼を欠くというのは確かに喜ばしいことではない。
「いえ、そうではありません。どこも怪我はしていないですし、体調も万全です。ただ……」
 歯切れの悪い口調でディルクは私の言葉を否定した。私は彼の言葉を待つ。
「ええと、いや。体は万全なんですが、なんといいますか。……妙に体が軽いんです」
「体が軽い? 素晴らしいことじゃないか。フットボール選手として体が重くて困ることはあっても、軽くて困ることなど
無いと思うが。しかし、ディルク。その様子をみる限りにおいて君は本当に困っているようだ。一体、何にそんなに
困っているんだ?」
 彼が怪我をしているわけではないと解り、私は安心から多少饒舌となった。しかし、朗らかといってもいい私の表情
とは対照的に、ディルクの表情は苦悩を抱えたままだ。
「いえ、そういうレベルの話ではないのです。……見ていてください、監督」
 彼はそう言うと、ジャンプし、空へと飛び上がった。文字通りの意味だ。
 五メートルほどの高さに飛び上がったディルクは、まるで自身が羽根か風船であるかのように、やがてゆっくりと漂い
ながら降りてきた。その間も、彼は困惑した面もちを崩しはしない。
 唖然としている私に、ふんわりと降りてきた彼は言った。
「監督、私は一体どうしてしまったのでしょうか」

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「フットボール界における最大の珍事」
 そう呼ばれる、“空飛ぶオランダ人達”の奇妙な三ヶ月間の狂騒は、こうして突如始まったのだった。

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4 :No.02 空飛ぶオランダ人達 2/6 ◇xsJqaU.umA:09/04/05 20:04:50 ID:0gWbggT1
 我に戻った私がまず最初にしたことは、不安に怯えるディルクの肩を鷲掴みにすることだった。彼の目をじっと見つめて、
私は言う。
「ディルク。素晴らしい。これは、まったくもって素晴らしいことだぞ」
「そ、そうでしょうか」
 私から顔を引きそむけた体勢で彼は言った。私は力強く頷く。
「当然だよ! なんというジャンプ力、滞空時間だ! 君のその力があれば、週末の試合は勝ったも同然じゃないか!」
「ええっ、私はこのままで試合に出るのですか?」
 ディルクは悲鳴をあげる。
「何を言っているんだ、当然じゃないか。ああ、これは我々に運が向いてきたぞ。早速、君のその力を生かした戦術の練習を
しなければいけないな!」
「でも、どうなんでしょう、監督。こんな風に空を飛ぶなんて、卑怯なんじゃ……」
 なおもそんなことを言うオランダ人に、私は言った。
「ディルク。私の持っているルールブックには、『選手は空を飛んではいけない』などとは書かれていなかった筈だよ」 

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 試合の日がやってきた。首位を走るライバルチームと、それを追う現在二位の私たちのチームの直接対決だ。もし我々が
勝てば逆転して首位に、相手が勝てば相手チームの優勝がほぼ決まるという極めて重要な一戦とあって、観客たちの熱気も
凄いものがある。
 無論、選手達の気合いも相当のものだ。誰もがその瞳に闘志をみなぎらせ、この試合での勝利を、ひいてはリーグ優勝を
掴みとらんと燃え上がっている。
 その頼もしいユニフォーム集団の中でただ一人、ディルクだけは「本当にいいのか? やっていいのか?」と煮えきれない
表情をしている。二日間をかけた説得で、不承不承ながら彼に出場を頷かせた。だが本人にはまだ引っかかるものが残って
いるようだ。

 ディルクの見せ場は試合が始まってから、十分もたたずに訪れた。我々のチームがコーナーキックのチャンスを得たのだ。
選手の一人がボールを蹴るためにコーナーへと向かい、残る選手の半分ほどがゴール前へと集まる。
 その中には、ディルクもいる。
 コーナーキックのキッカーは私を見て頷いた。私も頷きを返す。それを見たディルクも「もう仕方ない」といった感じで小さく
首を振った。

5 :No.02 空飛ぶオランダ人達 3/6 ◇xsJqaU.umA:09/04/05 20:05:30 ID:0gWbggT1
 キッカーがボールを蹴った。ボールは高く舞い上がってゴールエリアへと飛び込む。普通の弾道と比べ、蹴られたボールの
弾道ははるかに高い。きっと観客達の、そして相手選手達の誰もがミスキックだと思ったことだろう。
 選手達の頭よりさらに二メートルほど高いところに飛来したボールを、ボールよりもさらに高く飛び上がったディルクは足で
トラップした。足下よりも下で驚愕の表情を浮かべている相手選手達を尻目に、ディルクはリフティングの要領でボールを
コントロールすると、下方のゴールへとたたきつけるようにボールを蹴りこんだ。ファインゴール。そして、ビューティフルゴール。
 ゴールキーパーを筆頭に、相手の全選手、監督、それに審判たちは固まって動けずにいた。それは観客達も同様だ。どちらの
チームを応援するファンも、開いた口が塞がらないといった態で黙り込んでいる。静まりかえったスタジアムの中で、私たちの
チームの選手達だけが歓喜の声をあげて、ゴールパフォーマンスを行っている。
 手の届く範囲まで降りてきたディルクの足をむんずと掴み、それを振り回すというゴールパフォーマンスは極めて斬新だ。

 ゴールの後も、ディルクの奮闘と浮遊の甲斐もあって私たちのチームは優勢のままに押し進め、そして優勢のまま試合を
終えた。4対1の大勝だった。優勝争いを繰り広げるような強豪を相手に、このスコア差で勝つことはなかなか出来たもの
ではない。
 試合が終わったあと、お互いの健闘を讃えて監督同士で握手をすることが慣例になっている。今回の試合もそれに倣った
わけだが、そのときの相手チームの監督の表情はなかなかの見物だった。普段からよくガムを噛んでいる監督なのだが、
そのガムが全て苦虫に変わってしまったかのような渋い表情になっていた。私はそれに満面の笑顔で対抗して、握手する。
彼がのちに私の笑顔を思い出し、はらわたが煮えくり返る感覚にとらわれてくれればいいと思う。
 
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 試合の翌日、私の知る限りすべての新聞が、ディルクが天高く舞い上がっている姿を一面に掲載した。
 ちなみに、私が満面の笑顔で敵の監督と握手している写真もまあ何割かの新聞には載っていた。

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「ディルクという選手は新種のドーピングをしているのではないか。そうとでも考えなければ彼の異様なジャンプ力の説明が
つかない。早急に事態を解明して、場合によっては、あの選手を、いやチームごと失格にするべきだ」
 苦虫ガムの例の監督がプレスに対してそんなコメントをした。まったくもって失礼な話である。それに対してのコメントを
記者から求められた私は、反論をおこなうことにした。

6 :No.02 空飛ぶオランダ人達 4/6 ◇xsJqaU.umA:09/04/05 20:05:49 ID:0gWbggT1
「ドーピングだなんてとんでもない。私はディルクが薬物などに頼っていないことを知っている。それに証拠だってある。
現に今、ディルクは多種多様の科学者達による徹底的な検査を受けている。生物学者や化学者に物理学者、心理学者
から果ては神学者までが彼に注視し、いろいろと調べあげているのだ。彼が「やっぱりやめておけばよかった!」と悲鳴を
あげるくらいに徹底的にね。しかし、ディルクの体からはドーピングの痕跡などかけらも見つかっていない。当然だよ。彼は
ドーピングなどしていないのだからね。きっと、苦虫ガ、いや、かの監督は自分の率いるチームが惨敗した理由がほしいの
だろう。いい年をして負け惜しみとは、見苦しいものだね」
 私の言葉に対しての、苦虫ガムの反応。
「彼のコメントの意味を理解することは難しい。実際に多くの人が彼のジャンプに疑問に思っているからこそ、彼が綿密に
調べられているのではないか。やはり、なにかのクスリが原因ではないかと私は思うがね。どんなカラクリなのかが解るの
は時間の問題だろう。そして、今回のドーピングに関しては選手個人の意志だけではなく、チームぐるみの可能性もあるの
ではないか」
 以下、私。
「彼が言うことは我々に対する名誉毀損で、非常に不快だ。彼は今回の件に関して何かとクスリクスリというが、そもそも
彼はドーピングというものが具体的にどういうものかを知らないのではないか。普通に考えればどんな薬を使ったとしても
何メートルもジャンプ距離が延びたり、ましてやジャンプした空間にプカプカと留まったりするようなことが出来る筈がないこと
くらいは解りそうなものだが。失礼なことを言うようだが、彼には少し一般常識というものが欠けているのではないか」
 以下、ガム。
「おかしいのはお前のところの選手とお前の頭だろうが、このハゲ!」
 私。
「髪の毛のことにはふれるな!」
 かような舌戦を私と繰り広げたガムだが、最終的にガムはディルクのそれがドーピングなどではないことを渋々と認める
ことになった。私の理知的で説得力に富んだ言葉に納得した訳ではない。噛み終わって紙に吐き出したあと、捨てるのを
忘れてそのまま放置してしまったガムのように堅くこびりついてしまっている彼の精神に、私はそのような柔軟性は
期待していない。
 では、何故こびりついたガムが自分の考えを変えるに至ったか。答は単純明快である。彼のチームのゴールキーパーが、
ディルクと同じようにプカプカと宙に浮き出したのだ。

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7 :No.02 空飛ぶオランダ人達 5/6 ◇xsJqaU.umA:09/04/05 20:06:07 ID:0gWbggT1
“オランダの名選手症候群”。それが今回のディルク達の現象を指し示すために作られた言葉である。この名前が一般に
使われはじめたのは五月の前半、ディルクの最初のジャンプから既に二週間が経過した頃だった。この頃にはすでに結構な
数のフットボール選手が金魚鉢の中の出目金のような状況となっていた。
 この現象が発生するのはオランダ人、それもオランダ代表に選ばれるようなトップレベルのサッカー選手に限られる。
その理由は不明。現象が発生した選手は、オランダの往年の名選手の能力を得る。現在の桁外れのジャンプ力は、“空飛ぶ
オランダ人”と呼ばれたヨハン・クライフの能力を継承したものだという。勿論、ヨハン・クライフと言えども空を飛べた訳では
ないから、ディルク達はより誇張された力を手にいれていることになる。
 彼らが手にいれたのは空飛ぶオランダ人の能力だけではない。彼らは徐々に他のオランダ人名選手の力を得るように
なっていた。ディルクは驚くほど正確なシュート技術を手に入れた。あらゆるポジションをこなせる万能性が身に付いた。
シュートで牛を殺せるようになった。
 そしてそれは、オランダの名選手症候群が発症している選手達全員に共通することだった。誰もが空を飛び、誰もが
万能な選手となり、そして牛を殺す。なぜこのような不思議な能力を得ているかは、ディルクが大量の検査、調査に泣き言を
言い出すほどに献身したにも関わらず、今なお不明のままである。 

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 五月に各国のリーグ戦が終了した頃から、“空飛ぶオランダ人達”をどう扱うべきかという議論が活発に行われるように
なった。やはり、もっとも舌鋒鋭く熱弁を振るったのは今回の事象によって優勝を我々に明け渡したガムであった。ガムの
チームにはオランダ人はゴールキーパーしかおらず、この事象によっての恩恵を全くといっていいほど受けることがなかった
ためだろう。
 オランダ人の出場は各チーム一人までに限定するべきだ。いやいや、そんなことを急に言い出されても困る。うちのチーム
には四人オランダ人がいるが、空を飛ぶのは一人だけしかいない。そんなこと言ったって残りの三人だっていつ飛びはじめる
かわからないじゃないか。そうだなぁ、やっぱり出場人数を制限するしかないじゃないか。とりあえず“空飛ぶオランダ人”達を
多く抱えているチームが圧倒的に有利な点をなんとかしてもらわないと困る。そうだそうだ! 我々の優勝を返せ! いやまて、
そもそもオランダ人だけ出場人数を制限するということは法律的に可能なのか?
 この種の議論は、結果的には全て無駄に終わった。四月の後半に突如始まった“オランダの名選手症候群”は、七月の半ばに
はやはり突如として収まってしまったからである。次のリーグ戦が始まる八月の後半には、オランダ人達は空を飛ぶことも牛を殺す
ことも無く、普通のフットボールをプレイすることだろう。何もかもが不思議尽くしの、嵐のような出来事だった。
 まあ、今回の事象によって最大の恩恵を受けたといってもいい我々は「ご馳走さまでした」とだけ言っておくことにしよう。

8 :No.02 空飛ぶオランダ人達 6/6 ◇xsJqaU.umA:09/04/05 20:06:20 ID:0gWbggT1
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 ところで、タイミングが良いのか悪いのかはよくわからないが、オランダ人達がまだプカプカと空を飛んでいた時期に
フットボール界の一大イベントが開催されている。つまり、南アフリカのワールドカップである。
 当然のこととして、優勝候補中の優勝候補は“空飛ぶオレンジ軍団”ことオランダ代表だった。他の国の代表選手達が
全員地上にへばりついている中、オレンジ色のユニホームを纏っているオランダ代表チームだけははさながらオレンジ
投げ合戦でもしているかのように空中を飛び回っているのだから仕方がない。
「今回のワールドカップをどう思うか」そんな主旨のことを記者に問われた私は、こうコメントした。
「優勝候補は間違いなくオランダでしょう。思えば、オランダは過去のワールドカップにおいても、豊富な人材を揃える強豪で
ありながら一度も優勝に届くことがありませんでした。オランダ国民達のそんな、悔しい、優勝したい、という思いがこの不思議な
現象を発生させたのかもしれないですね。もしそうだとすれば、オランダ国民達は今回のワールドカップに期待をしてもいいのでは
ないでしょうか。空飛ぶオレンジ軍団相手では、スペイン、イタリア、ブラジル。どんな強豪でもきっと、手も足も出ないと思いますよ。
まあ、手が出たら反則ですが。ハハハ」

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 さて、ではそのオランダ代表がワールドカップでどのような結果に終わったか。それは私が愛読している新聞紙の一面に
掲載された二つの見出し文を引用することにて説明の代わりとすることにしよう。

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「“空飛ぶオレンジ軍団”、空を飛ばずに不戦敗!!」
「選手全員が突如として飛行機への搭乗を拒否 急遽陸路で向かうも試合開始時刻に間に合わず」

<終>



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