【 狐が嫁入り 】
◆B9UIodRsAE




2 :No.01 狐が嫁入り 1/5 ◇B9UIodRsAE:09/05/23 16:59:34 ID:Z/0Ou9kS
先生は、ぼふりと大きく放屁した。
私はその臭気の塊から逃げようと、狭い六畳間を右往左往したが結局は異臭が鼻を突く。
 「あはは、すまんな」
 私に背を向けながら窓際に設置してあるちゃぶ台の上にて何やら書き物をしている先生は、ほっそりとした白い手をひらひらさせながら謝る。
全くもって誠意を感じないが、今は我慢の時である。今なら先生の吐寫物を、「啜れ」と言われたら啜る覚悟さえある。
先ほど渡した手紙にさっと目を通してから十数分、先生は机に向かったままである。
それで、と先生が口を開く。「お前はどうなんだ」
さきほどの放屁の謝罪の時とはうって変わって、凛とした声。私は昔からこの声が苦手であった。
線の細い麗人の姿をしている先生の表情と相俟って、なんとも言えない閉塞感に囚われる。
私がまごまごと俯きながら下唇を噛んでいると、もう一度先生はお前はどうなんだ、と聞いてきた。
顔を上げれば恐らく眉間に皺を寄せた先生が、私のつむじに鋭い視線を投げかけているのだろう。
早く答えねばならぬと焦れば焦るほど、ぎりりと歯が下唇に沈む。気を抜けば涙まで溢れてきそうだ。
 ふぅ、と小さなため息が私の髪をふわりと揺らした。「相も変わらず嫌な子供だ」

3 :No.01 狐が嫁入り 2/5 ◇B9UIodRsAE:09/05/23 16:59:51 ID:Z/0Ou9kS
その言葉があまりにも悔しく、私はバッと顔を上げ、先生を睨み付ける。その顔があまりにも柔和だったので、私の悔しさは余計増した。
子供扱いを止めてくれと何度言ったか分からない。時には喉がかれるまで、時には舌を傷だらけにし、私は先生に懇願した。
その度、まだまだ子供だとあしらわて、涙を呑むことになる。いつもは悔し涙を悟られまいと逃げ帰るのだが、今日はそういうわけにはいかぬ。
既に退路は地獄と化している。これから先、恐らく傀儡となろう自分の末路がそこにはでんと尻を据えているのだ。
私は、混濁した理想と現実を、啄み啄みでも先生に伝えることにした。
 「天帝たる先生の下、立派な妖狐となるべく修行に明け暮れました。今の自分があるのも偏に先生の熱心なご指導故と存じております。
しかしながらその手紙の内容が真であれば、私は先生のお側を離れなくてはなりません。そして待ちうけるは恐らく傀儡の道。
我ら弱小狐の一族が森で生き延びるには、強い一族に媚びてゆくしかないのです。そのお見合い話を持ちかけられていると言うのが事実ならば、
それに下るしかないのです。先生も知っているでしょう。我が姉がどのようにして我ら家族の下を去っていったか。私はあの日ほど悔しい思いをしたことはございません。
故にここでより強い力を手にするべく、先生に教育を願いました。しかしどうやら間に合わなかったようであります。
正直悔しくはありますが、これも全ては一族のため。既に大人となった私はこれを聞き分けねばなりません」
 まくし立てるように、自らの思いを伝える。そしてすぐに口を噤む。目の下に大量の涙が溜まってるのが自分でも分かる。
これ以上言の葉を紡ぐと零れ落ちてしまいそうで、私は押し黙ることを選択した。

4 :No.01 狐が嫁入り 3/5 ◇B9UIodRsAE:09/05/23 17:00:08 ID:Z/0Ou9kS
「馬鹿者!」
 耳を劈くような怒号が、六畳間に響き渡る。その衝撃で私の涙はポロリと落ち、ついでに耳と尻尾もポロリした。
古来天帝の鳴き声には、全ての術や呪を解く力があるとされていた。その様に強大な力を持つ声が、ただ一人の阿呆狐に注がれる。
変化もやはり術の類からは漏れず、今にも解けてしまいそうだ。
しかし、ボロボロと涙を零しながら、先生に初めて教えてもらったこの術を解かれるわけにはいかぬと必死に踏ん張る。
この術を解かれてしまうと、どういう訳か先生との縁が切れてしまうような気がして、私はきゅうと心臓を小さくした。
先生に見捨てられてしまうのかという思いから、この胸に穴がぽかりと開きそうになるのを必死に塞ごうと足掻いたのである。
怒号の反響がりぃんと部屋を出て行こうとするが、更なる先生の追い討ちによって瞬く間に消し去られる。
 「我は! お前がどうしたいか聞いているのだ! それをよもやこの天帝の前でベラベラ屁理屈、建前ぬかしおって!
我からすればお前が大人だと思っている輩も全て子供だ。それほどまでにお前ら唯の妖狐とは年が離れている。
それなのに口を開けば大人、大人と。いい加減にしろ。一族のため? 媚びる? 我はこの十数年お前にそのようなことを教えたと、
そう思わせたいのか。ならばもういい、出て行け。二度とその面を見せるな糞餓鬼!」
 これが効いた。もう毛ほども残っていない自尊心であるだとか、強がりであるだとか、そういったものが全てどこかへ行ってしまった。
先生の怒号に驚きどこかへ逃げたのか、それとも私自らどこかへ捨てたのか定かではないが、ともかく私は限界を超えた。

5 :No.01 狐が嫁入り 4/5 ◇B9UIodRsAE:09/05/23 17:00:25 ID:Z/0Ou9kS
 「……やぁだぁ。先生と一緒にいるんだいぃ」
間の抜けた言葉が鼻水と共に私の体外へと排出される。
 「せんせいぃ、きらわないでぇ」
ええい、粒状など生ぬるいわ! と私の涙腺は滝を作り出す。
体を器用に折りたたみ、表面積が最小になるように丸め込んだ私は、若干綻びかけている畳の上に盛大に嗚咽を漏らした。
ひゅうひゅうと喉が鳴ったかと思うと、横隔膜が強制的に動き、無理矢理息を吸わせる。その瞬間に鼻水が引っ込み、気管支にダイブした。
あまりの出来事に体が焦ったのか、げばげばと咳を打つ。その衝撃で胃が痙攣し、私はげぼ、と嘔吐した。
まさに、惨状というに相応しい状況が出来上がったのである。その間も私は先生に嫌われたくないという旨を吐露し続けた。
 「我に嫌われたくないか」
 先生が汚物に塗れた私に、そう優しく言った。先ほどの怒号など微塵も感じさせぬほど慈愛に満ちた声で。
 私は、「うん」とか細く鳴いた。
 「我が好きか」
 うん。
 「ならば我と、け、結婚するか」
 うん。

6 :No.01 狐が嫁入り 5/5 ◇B9UIodRsAE:09/05/23 17:00:40 ID:Z/0Ou9kS
 それから、どれほど時が経ったのだろう。ともかく今となっては長いのか短いのかも分からない。
が、やっと落ち着いた私が顔を上げると、そこには小躍りする先生がいたことだけははっきりと覚えてる。
ぐったりと体を横たえる私の顔が上がっているのに気づいた先生は、嬉々とした表情で私の隣に座った。
にへらとしまりない自らの顔が私に見られているのに気がついたのか、こほんと一つ咳払いすると、私の頭をぽかりと叩いた。
先生は現代社会においてプロポォズは男のほうからするべきであるだとか、自分は年の差を気にしない性質であるだとか、
まるでなにかを取り繕うようにぼろぼろと言葉を零した。それから更に続ける。
 「天帝の我が妻ともなれば、誰もお前の一族に手出しできまい。仮にそんな命知らずが存在したとしても、
 この悪鬼羅刹を天高く煌く星の数ほど噛み砕いてきた私の口の餌食となろう。だがな、今日だけは、私の口は乙女になりたいそうだ」
 先生が先ほどまで反吐の中に埋もれていた私の顔を、少しの衒いもなくがっちりと両手で挟む。
ぎこちなくだが、ぶちゅりと私に接吻した。
途端恥ずかしくなったのか、私の頭をもとあった吐寫物の中に叩き落すと、「その反吐きっちり啜って掃除しておけ馬鹿者」と机の方に向き直ってから先生は言った。
先ほどと同じように机に向かって物書きをする先生の後ろ姿であったが、唯一違うのは、大きな尻尾がふわりふわりと嬉しそうに揺れているところであった。

(了)



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