【 どんふぉげっとの妖怪 】
◆fSBTW8KS4E




2 :No.01 どんふぉげっとの妖怪 1/4 ◇fSBTW8KS4E:09/05/30 00:22:16 ID:PUvYLSEz
 オシノさんと別れた先週の金曜日から、私の肩には妖怪が一匹、ないしは一個、乗っかっ
ている。左肩にぽつねんと、そいつはいた。
 この妖怪は私にしか今のところ見えないし、その私も鏡を通してではないと確認できな
い。私の母なら直接見られただろうし、祖母になると手でつかむことも出来るだろう。血
は薄れていくんだねと、一昨年事故で亡くなった母が呟いていたのを思い出す。うちの血
は消えないよと、神棚に住み着いている祖母は呪文のように唱えてもいる。手鏡で左肩の
のっぺりとした、小さいベレー帽のような妖怪を見ながら、私に娘が出来たら妖怪を見る
ことは出来るのだろうか。そう考えて、私はまたオシノさんのことを思い出す。
 最後の最後まで、オシノさんは「いい人」だった。私のぶしつけなわがままも得意の優
しい声、表情で「そうだね」や「ごめん」や「わかった」なんて言って、私の願い事は全
て叶えられた。叶えられた結果、私とオシノさんは他人となり、私の肩には妖怪が乗っかった。
「わすれてはいけない」
 左肩から声がした。声はオシノさんにとても似ていて、私は聞くたびにやるせなくなる。
この妖怪は先週の金曜日から、思い出したように「わすれてはいけない」と囁くのだ。そ
れ以外は何もしてこない。祖母に聞いてみたが、しばらく住まわせておけばふらっと消え
るような妖怪の類らしい。
 なにを忘れてはいけないのだろうか。見当がつかないでいる。ただ妖怪が現れたのはオ
シノさんと別れた日からだし、そう考えると私はオシノさんのことを忘れてはいけないの
かもしれない。ただ私には気まぐれな妖怪一匹に忠告されなくてもオシノさんのことを忘
れるようなことはない、はずだ。
 そこでなんとなく、先週の金曜日から三日後、つまりは今日からノートにオシノさんと
のことを書き連ねることにした。書くにあたって、一番最初に思い出したのは当然ながら、
オシノさんと初めてであった日のことである。
 オシノさんと初めてあったのは、母の葬儀でだった。葬儀場の近くの公園でオシノさん
は路上詩人なるものを生業にしていた。母の葬儀は、私にとってあまり良い印象がない。
私たち家族の家系は、昔から妖怪だのあやかしだのなんだのと言っていたので、親戚達か
らは距離を置かれていた。顔を揃えてくれた親戚達の愚痴というような、文句のようなも
のを私は遠巻きに聞いていた。火葬の途中、私はトイレと言って席を抜けた。別に引き留
める人もいなかった。そして公園、オシノさんである。オシノさんの最初の一声は「やあ」
で二言目は「元気?」だった。その十年来の友達のような言葉が、私には心地よかった。

3 :No.01 どんふぉげっとの妖怪 2/4 ◇fSBTW8KS4E:09/05/30 00:23:37 ID:PUvYLSEz
「わすれてはいけない」
 妖怪が呟く。それは私が最初にオシノさんからもらった作品にも書いてあった。
「僕たちは忘れてはいけない。ハンバーガーを頼むとき、ピクルスを抜いてもらおう」
 意味がよくわからないが、オシノさんの言葉はいつも優しくて、それでいて気の抜けた
心地よさであった。
 次に書くべき事、考えてまず出てきたのは動物園でのことだ。
 つきあい始めてから一ヶ月ぐらいで、私はその日初めて、自分が妖怪が見えることを告
げた。オシノさんは驚きながらも、自分も路上詩人の他に図書館の司書をしていると告白
した。オシノさんの告白は結構重大な内容だったけれど、私は自分の告白にそう返された
のがおかしくて、動物園のベンチでまた一つオシノさんを好きになった。オシノさんは思
いのほか真剣に、妖怪の話を信じてくれた。僕には何かついている? と聞かれて手鏡で
見てあげたが、何もついていないのを告げると、すこし不満そうにして残念がった。以下、
オシノさんの言葉を抜粋しよう。
 僕さ、小さい頃、それもうんとね、言葉を喋るのも難しい頃なんだけど、妖精が見えて
いたんだ。断定するのは難しいけどさ、なんかそんな気がするんだ。小さい頃っていろん
な所を凝視していた気がしてね、ほら、たとえば街で見かけるベビーカーに乗った子供っ
て、なんか変なところ見ていない? だから僕に限らずなんだけど、みんな小さい頃って
変なものが見えていた気がするんだ。記憶が全くないから悲しいんだけど、僕はその小さ
いときに見た何かを必死に思い出そうとしているんだ。だってその何かと約束とか知らず
に交わしていたら、見えなくなった今、彼が困っていたら可哀想じゃん。そういうのって
忘れてはいけないんだと思うんだよね。だからもし今僕にその何かがついていたら君を通
して会話してほしかったのにな。もしかしたら愛想尽かしてどっかに行ったのかもね。え?
あ、会話は出来ないんだ。いやでも見えているだけでも凄い大事なことだよね。ふーん。
あっ、すごく関係ないんだけどさ、はっぴいえんどの「あやか市の動物園」って言葉が今
の僕らにはぴったりだね。あれ、そうでもない? 残念だ。
 思えば、オシノさんの言葉にはいつも「忘れてはいけない」なんてフレーズがあるよう
な気がする。それは生活にでも言えることだろう。オシノさんは記念日なんかは熱心に決
めたがるし、オシノさんはどんな小さな口約束でも指切りをしようと言った。オシノさん
に珍しく怒られた夜も、忘れてはいけないとしかられた。
 それは去年の話になる。私はオシノさんとの出会いを祝したパーティーをささやかに行

4 :No.01 どんふぉげっとの妖怪 3/4 ◇fSBTW8KS4E:09/05/30 00:24:04 ID:PUvYLSEz
おうと、一人いろいろと準備をしていた。折り紙でせっせと花輪を作ってみたり、ケーキ
を作ろうと奮闘したり。そんな準備を楽しそうに私がしている頃、オシノさんは私の部屋
へふらっとやってきた。びしっとしたスーツで、よく見れば礼服だった。私は浮かれてい
て、まだ見ちゃだめどよと照れながら言ったら、オシノさんは信じられないと言いたげな
顔で息をのみ、私を座布団に正座させ、説教を始めた。その頃になってやっと母の最初の
命日が近づいているのを思い出した。思い出したなんてずいぶん冷めた人間に思われるだ
ろうが、オシノさん、それにはいくつか理由があるのです。まず、母は死んですぐ妖怪と
なり私の前に現れました。母は猫になりました。毛並みの良い黒猫で、鳴き声がしたのに
姿が見えないので、私は鏡を頼りに探したら、母が好きだった縁側で黒猫が一匹丸まって
いて、猫は私に向かって鳴くとすぐに、外へと出かけました。母は散歩が好きで、いつも
家にはいません。それでも母はちょくちょく顔を見せて、私は母が死んだことを忘れてい
たのです。なぜならまだ母はいるから。またもうすこし、わがままで身勝手なことを一つ
言わせていただくと、オシノさん、あなたの存在が大きくなっていたのです。それほどま
でにオシノさんのことが好きだったのだと、私はオシノさんの説教を聞きながら感じてい
ました。なのに今、私とオシノさんは他人でした。
「わすれてはいけない」
 また左肩のベレー帽のような妖怪が、オシノさんの声を借りて呟く。
「オシノさん」
 私はそっと悲しむ。
「悲しむなんて似合わないよ」
 神棚の祖母は、しわがれた慰めの言葉をくれた。
 土日を自堕落に過ごし、月曜日の今日は会社を無断欠勤してしまった。明日怒られてしゃ
んとしなければならないな。
「わすれてはいけない」
 相変わらず、ベレー帽は呟く。
「忘れる気なんて無いのに」
 無性に、オシノさんに会いたかった。
「会いに行けばいいのさ」
 祖母の声はいつも、力強い。猫の鳴き声も、聞こえた。
 月曜日の午後は薄暗がりで、小雨の中傘は打たれて愉快な音を立てている。オシノさん

5 :No.01 どんふぉげっとの妖怪 4/4 ◇fSBTW8KS4E:09/05/30 00:24:26 ID:PUvYLSEz
が働いている図書館は休館日だった。「あやか市の動物園」は遠すぎた。
「わすれてはいけない」
 私はオシノさんの言葉につれられて、始まりの公園へと進む。雨だし、路上詩人ごっこ
なんてしていないだろうが、左肩に乗っかったオシノさんがそこへ行けと言っているよう
な気がする。
 私は向かう間、想像する。公園には案の定誰もいない。雨の中私の気分もずぶ濡れにな
るばかりだ。それで途方に暮れているとオシノさんはやってきてくれる。私の左肩に後ろ
から手を置いて「やあ」なんて言って笑ってくれる。それから泣き出しそうな私の顔を見
て「元気?」って聞くのだ。優しいオシノさんならそれぐらいしてくれる。
「わすれてはいけない」
 妖怪の声も優しくなっていた。だけど一つ、不満がある。
 見えてきた公園にはもう、オシノさんが立っていたことだ。

 了



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