【 ゼロへの収束、もしくは拡散 】
◆D8MoDpzBRE




2 :No.01 ゼロへの収束、もしくは拡散 1/5 ◇D8MoDpzBRE:09/07/12 20:16:25 ID:b588rlhL
 その日、僕はせわしなく雑多な物事に追われていた。そのうちの一つは、僕らの所属する組織が長年暖めてきた計画
について。もう一つは、久しぶりに僕と再会する予定になっている一人娘を出迎えるための準備。あの長大な計画が始
まって以来、僕は久しく地球に帰っていないし、一方娘が地球を離れるのもこれが初めてのことなのだ。
 ルナゲート・1は月の周回軌道上に建設された、人類の宇宙開拓史上における最大の有人基地だ。ドーナツ状の居住
エリアが三層に重なり合っており、その中心を貫くようにドックユニットが配置されている。居住ユニットはそれ自体が回転
することによって遠心力を作り出しており、ここでの仮想の重力となっている。
 ドックユニットは巨大な工場になっていて、無重力環境に最適化された作業場が組まれている。
 本基地では千人超が生活を営んでおり、その多くが計画のために駆り出されているのだ。
 計画と関係のない民間人を住まわせる余裕は残念ながらなく、そのために多くの人たちは愛する家族や友人、恋人たち
との別れを経験してここまでやってきた。かくいう僕と言えば、かつて愛していた妻とは認容しがたい性格の不一致によって
別離しており、愛娘は僕があまりよく知らない男の姓を名乗っていた。つまり別れを惜しむべき家族のいない僕は、こういう
ことに関してうってつけの人材だったというわけだ。
 娘との古い会話を思い出す。

「あのお星様には何があるの?」
 娘が僕に発した質問は、いつだって微妙に僕を困らせた。まだ彼女が幼かった頃のことだ。
「あのお星様はずっと遠くにあるから、まだ誰も近くに行って見たことがないんだよ」
「行けないの?」
「かなり難しいことだね。どんなに速い速度を出しても、何十年もかかる」
「そんなのイヤだ!」
 僕の答えに納得しないと、娘は決まって駄々をこねた。そういう時は僕は娘を肩車してやって、少しでも宇宙に近づけて
やった。そうすることで娘はいつも機嫌を立て直し、新たな難題をふっかけてくるのだった。
「宇宙の果てはどうなってるの? 終わりはないの?」
「宇宙に果てなんてないさ。今だって、人間がどうやっても追いつけない速度で膨らみ続けている。宇宙はとても広いんだ」
 しかしながら、僕は宇宙の終わりについては語らなかった。宇宙だって恐らくはいつか終焉を迎える。それが何億、何兆
年先のことかは分からないけれども。いつか膨張をやめて収縮に転じ、ついには体積がゼロの特異点になるかも知れない。
逆に永遠に膨張を続け、熱力学的な活動を停止して全てが絶対零度の世界になるのかも知れない。どちらに転ぶかは分
からないが、長い時間を経ていつかそのような世界が訪れるだろう。
 そんなことを娘に話せば、きっと宇宙に絶望してしまうに違いなかった。しかしそんな宇宙の終わりの姿こそ、僕が希求し
て止まない一つのテーマなのだ。

3 :No.01 ゼロへの収束、もしくは拡散 2/5 ◇D8MoDpzBRE:09/07/12 20:16:42 ID:b588rlhL
 
 娘と会うのも、宇宙の歴史からすれば一瞬のこととはいえ、かなり久しぶりのことだった。
 どうしても会っておかなければならない時と場合というものが存在する。今回のケースがまさにそうだった。粘り強い交渉
の甲斐もあって、娘は基地上での二日間の滞在を許可された。実に三年ぶりの再会だ。
 一日の仕事を終えた僕は、宇宙船が発着するポートに足早に向かった。
「久しぶりね、お父さん。それともここではジェフ・ベイル博士とお呼びした方がいいかしら?」
 ポート内の無重力にすこし戸惑うような素振りを見せ、娘は宇宙船から恐る恐る降り立った。
「足下に気をつけるんだ、グレース。別に改まる必要なんてないさ、お父さんでいい」
 我が娘ながら、妙に母親に似たものだと今更ながらに思わされた。この子の母親も、デートでボートに乗る時などによく
バランスを崩していたものだ。
 居住エリアに向かう前に、僕たちはドック内を一望できる眺望ウインドウへ足を向けた。
「あれが見えるか? グレース」僕はドック内の巨大な構造物を指さして言った。あれが今回の計画で、外宇宙に向かって
打ち上げられる探査船だ。
「あれ以外に何が見えるというのよ」娘が皮肉っぽく笑った。「こんなものが本当に宇宙空間を跳べるのかしら。見た目には、
ええと、完全にブドウの房か何かね」
「宇宙空間では空気抵抗などと言うものは考えなくてもよいので、当然宇宙船がああいった形状をしていても構わないんだ」
 娘の指摘が少し癇に障ったものの、僕は適当にその言葉を受け流すことにした。
 確かに、本計画における探査船の形状はパッと見房を実らせたブドウに見えなくもない。制御系の中心となるデッキと、
そこから樹形図のように枝分かれした球形の燃料タンクが付属している。
 まあ、どのみち素人が一見して価値の分かるものではない。しかし実際にこの宇宙船は有史以来初の実用的恒星間探
査船であり、その最大速度は亜高速にも迫るのだ。ただのブドウの房などとは根本から異なる。
「実際、この宇宙船による探査は大変意義深いものになるだろう」僕は咳払いをし、やや大仰なポーズを取りながら言った。
「何せ、打ち上げに関わった当事者の大半が生きている間に、太陽系外の恒星のデータを送ってよこすのだからね」
「でも、太陽系から一番近くの恒星までだって四光年以上あるわ。往復のことを考えると、どんなに早くてもデータが送られ
てくるのは八年後ね」
「その通りだ。しかしね、かつてボイジャー2号は天王星に到達するのに九年の歳月を要した。それよりも一万倍以上離れ
たところに、その半分程度の時間で辿り着くんだ。画期的なことだとは思わないかね」
 僕がそう言い返すと、娘は苦笑いをして小さなため息をついた。

 宇宙船を目の前にした娘の反応には、いささかガッカリさせられるところがあった。しかし、そのことでとやかく言う必要も

4 :No.01 ゼロへの収束、もしくは拡散 3/5 ◇D8MoDpzBRE:09/07/12 20:16:57 ID:b588rlhL
ことさら感じられなかったので、僕は大人しく居住エリアに娘を案内することにした。人工重力が発生するところで、娘は再
びバランスを崩しかけた。
 居住エリアには船員用の個室がずらっと並んでいた。極力無駄を排し、まさに居住のみに適した環境になっている。ただ
唯一の無駄というか構造上の贅沢は、各ユニット毎に設置されたレストランくらいであった。食べることくらいしか、宇宙生
活での憂さを晴らす手段がないのだ。
 娘を招いた立場上、最大限の礼節を以て彼女を迎える必要があった。必然的に僕たちはレストランの扉をくぐることにし
た。選択の余地はない。
 メニューは決して豊富とは言えず、むしろどう言葉を選んでも貧弱であった。しかしながら、こんなところでフランス料理の
フルコースを出されたって落ち着いて食えやしないだろう。世の中には適材適所という概念があり、食べ物やレストランには
格式というものがあるのだ。
 ちなみに、普段から宇宙食に舌を慣らしておくことが、ここで美味しく食事をいただくせめてものコツである。
「ここのレストランではブドウなんかは出してないのかしら」娘がまた馬鹿なことを言い出した。「なんて言うか、なぜだか無性
に食べたくなっちゃって」
「君はまだあの探査船がブドウの房に似ているとか、埒もないことを言いたいのか?」
「イヤね、冗談よ。昔からムキになりやすいところは変わっていないのね、お父さん」
「あれは一つ一つが、長い航海に必要な燃料のタンクになっているんだ」僕は熱っぽく反論した。「燃料としての反物質液
体水素を、球形のユニット毎に二千トン、計十万トン搭載している。最終的にはタンクそのものが反物質と対消滅反応を起
こして燃焼する。非常に無駄のないシステムなんだ」
「その結果、太陽系を脱出できるエネルギーが得られる訳ね」
「言っておくけど、太陽系脱出に必要な第三宇宙速度に達するのに、ものの三〇分とかからない。この探査船の目的は太
陽系脱出とか、そんなチンケなところにはないんだ。目的は更に向こう側、恒星の群れの果てにある。探査船は約一年で
搭載した燃料を使い果たすのだけれども、その時点で光速度の約九二%に達している。その後はラムジェット推進機構に
切り替え、理論上は無限に光速度へ近づけるんだ」
 どうやら娘は話の大半を聞き流しているらしかった。少しでも難しいことを言うと娘はもうたくさんだと言わんばかりに顔を
しかめ、それでも僕の話が止まないと見るや僕の顔を見向きもしなくなった。
 僕は咳払いを一つして、決して美味とは言えないマッシュポテトを口の中に掻き込んだ。

 探査船の打ち上げは明日に迫っていた。打ち上げ班の技術員などは、これから夜を徹した作業に追われることだろう。
居住エリアにいても彼らの動向はせわしなく感じられた。
 一方の僕はと言えば、打ち上げ前に済ませておくべき仕事の大半は終わっていた。むしろ、僕が重要な役割を果たすの

5 :No.01 ゼロへの収束、もしくは拡散 4/5 ◇D8MoDpzBRE:09/07/12 20:17:13 ID:b588rlhL
は打ち上げてからということになっていた。ゆえに、僕たち二人はとりあえず僕の部屋でくつろぎながら会話を交わしていた。
「お父さんは働かなくてもいいの? 打ち上げ前日でしょ」
「僕はね、もう打ち上げ前の仕事は済ませてあるんだ。あの探査船には、有人飛行を想定した居住ブースとロボットが一体
載せられている。僕が率いている技術班の担当はまさにその居住ブースの遠隔管理なんだ。来るべき有人恒星間航行の
時代に備えて、データを蓄積するのさ」
「でも、恒星間を人が往復なんてしたら何十年もかかるでしょうね。一生が台無しになるわ」
「その頃にコールドスリープなんかの技術が発達していればいいけどね。それに亜光速で航行する宇宙船の中では、時間
がゆっくり流れるということも忘れてはいけない」
「そうだとしても大変なことよ。その人が帰還した時には、知ってる人が誰も生きていない世界だったりするわけでしょう。極
端な話、人類が絶滅しているかも知れないわ」
 回答に納得がいかない時に駄々をこねるのは、昔から変わっていない。ただ少し反論に使われる語彙が増えただけのこ
とだ。僕はそんな娘の姿を見て苦笑した。
 宇宙の果てや宇宙の終わり。僕たちが住んでいる世界は、どんなにその範囲を広げても広大の宇宙からすれば取るに
足らない塵のようなものだ。
「ねえ、グレース。父さんの仕事は明日からまた山のようにやってきて、そのせいで君のために時間を割いてはやれなくなる
んだ。だから、こうやってゆっくり話が出来るのも今日がとりあえずのところ最後だ」
 僕がこう切り出すと、娘は少しかしこまったように表情を直し、僕の方を向いた。
「もう一つ、僕は君が来週誕生日を迎えることを忘れてはいない。まあ、この年齢になって更に年を取ることを素直に喜べる
かどうかは別にしてね。あいにく、この基地で洒落た誕生日プレゼントを買い求めるなんて芸当は出来ないから、代わりに
僕は地上に君へのプレゼントを用意しておいた」
「でも父さんがここに来たのって三年前じゃ」
「そう、三年前からこの日に君を招待するって決めてたんだ。計画も遅延なく進んだので、実にグッドタイミングになった。君
は地上に帰ったら、その届け物が来るのを待つんだ」
 言うべきことを言って僕はため息をついた。娘は昔から、素直にありがとうと言うのが苦手だった。僕は彼女にとってよき
父親であっただろうか。
「君の旦那さんにも、あと、もし会うことがあったら、母さんにもよろしく言っておいてくれ」

 恒星間探査船の打ち上げは成功裏に終わった。反物質が対消滅することで発せられる膨大なエネルギーを推進力にし
て、探査船はみるみる加速した。加速度は地球上における重力加速度と同じくなるよう設定された。三〇分で太陽系脱出
に必要な秒速17キロメートルを超える。

6 :No.01 ゼロへの収束、もしくは拡散 5/5 ◇D8MoDpzBRE:09/07/12 20:17:27 ID:b588rlhL
 僕は、地上と同じだけの重力を感じながら、操作卓と向き合っていた。僕の隣には人間の機能をよく模したロボットが座っ
ている。
 もう計画は後戻りできない。
 やり残したことは全てやり尽くしたつもりだ。なおやり残したことがあったとしたら、それは宇宙の終わりを知ることだった。
僕を魅了して止まなかった宇宙は、いつか何らかの形で終わる。その時の姿を知るために。
 探査船内部に作られたバイオプラントは、僕の排泄物を分解・再合成して食品を合成することが出来る。通常の食料も
五年分の備蓄がある。これらは、有人恒星間航行の可能性を実証する上で必ず搭載するべきだと、僕が強く主張して通し
た物資だった。僕がいなければ隣にいるロボットが、適切にこれらを処理していただろう。
 この探査船がまず向かうのは、αケンタウリと呼ばれる連星系だ。太陽系から最も近い恒星として知られている。そこを
通過する時点で、探査船は光速の九九%を超えている。だから恒星との邂逅は長い行程のほんの一瞬の出来事だ。それ
でも、ここで観測したデータは人類に極めて貴重な示唆を与えてくれるに違いない。
 その後この探査船は無限の加速を行いながら、広大な宇宙をどこまでも旅する存在となる。
 やがてこの船内で流れる時間は徐々に緩やかになっていく。僕の一年は地球の百年に、一万年に、一億年に……。相対
性理論が説く世界は僕の周りの時空をゆがめ、いつか宇宙の終わりの姿を見せるだろう。
 そのとき僕は、体積を持たない無へと帰すのだろうか。絶対零度の虚無の中を漂うだけの存在になるのか。
 そのことを最初に知る最後の人類に僕はなるのだ。





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