【 僕の暦 】
◆InwGZIAUcs




37 :No.10 僕の暦1/5 ◇InwGZIAUcs:09/07/19 23:43:57 ID:j97vl9MB
 席替えで好きな子と隣になれた。
 教壇に向かって一番右奥の窓際の席が僕で、彼女がその隣。
 とても嬉しかったけれども、それを素直に表す気にはとてもなれない。
高校生という思春期の真っ只中にいる僕の、繊細かつ卑小な心が「斜に構えろ」と心で囁くのだ。
 当然その命令に背くことなどはしない。
 僕はいつもどおり他人に興味の無い少年だ。口から出る言葉は事務的で、視線はどこか虚ろにしておけばいい。
 そんな小さな自分に気づいたのは大分後になってからだった。
 その時はこう思っていた。彼女、いや、西春さんもきっとそんな僕を気にしてくれるに違いない。


 西春さんは夜闇のような黒髪を腰まで携えていた。睫毛は長く、眠たげな瞼と相まってそれこそ聖母のような眼差しをしている。
 でも分かっていた。その眼差しは決して暖かいものではない。全ての者を軽蔑し、憎み、疎ましく思う眼だ。
 僕は彼女と似ている自分が好きだった。
 しかしそんな事を考えていた僕にちょっとした、いや衝撃的な事件が起きる。
 とある昼休み、何とか友人と呼べる人間、いや、誠が僕の名前を呼んだ。
「透(とおる)、何ニヤニヤしてるんだよ?」
「別に」
「ふーん」
 誠は意味ありげに応える。鼻息まじりの声が相変わらず鬱陶しい。
「まあ西春は綺麗だと思うけどな」
「あ?」
 僕は可能な限り眉間に皺を寄せ、誠を睨みつけた。彼女への想いを知っているのは他でもない、この僕だけなのだ。
誰にも話していない。何故こいつが知っている?
「睨むなよ。そして隠すな。お前はの視線はいつも彼女を追っていることぐらい、この誠様にはお見通しなのだよ」
 こいつは僕のストーカーだったのか。なるほど、気をつけなければいけない。何より、西春さんが今ここに居なくて助かった。
「だけど西春は止めておいたいいんじゃねーかと思うぞ」
「……なんでだよ?」
「何の事はない。お前はただ尖がって人の気を引きたがるかわいこちゃんだが、西春は違う。あいつはきっと、
心の底から他人を拒絶している……と思う」
 ほほう、大した観察眼だ。こいつも西春の事が好きなんじゃねーか?

38 :No.10 僕の暦 2/5 ◇InwGZIAUcs:09/07/19 23:44:13 ID:j97vl9MB
「かと言う俺もあれだ、昔好きだったんだよ彼女の事が」
「そんな事打ち明けられても困る」 
 そう言って僕は窓の外へと目を向けた。隣では一度告白を試みたらしい誠が自分の情けない武勇伝を語っている。
 聞き流すのは得意技だ。窓の外を見ていればいい。二月の空は厚い雲に覆われており、予報によればもう間もなく雪が降るらしい。
 雪降らないかななんて空を眺めていると、いつの間にか誠は沈黙していた。騒がしい誠が一言も発さず僕の傍にいるのだ。
不気味以外の何でもない。
 訝り視線を誠に戻してやると、奴は呆けていた。
 口をポカンと開き、ただ一点を見つめて。
「あっ」
 その視線を追った僕は信じられないものを見た。
 いつも絶対零度すら凍る視線を周囲に投げかけていた西春さん。その苗字が涙目になりかねないほど、
冷徹に人間関係を築き上げていた筈だ。それがどうだ。
 僕から真反対の席。つまりは教壇から向かって左端の先頭の席に座る男子、えーと名前は忘れたが、それと談笑をしているではないか。
 話をしている男の方は急に話しかけられたのか、相当に焦っているのがこの距離でも伺える。
「なあ、透。西春が笑ってるぞ」
「ああ」
 口をあんぐりと開けているのは僕達だけではなかった。
 しかしこの日、アイデンティティを壊されかねない程の衝撃を受けたのは僕だけだろうと自覚する。


 次の日からも西春さんは変だった。
 普段は気にもかけないような人間と話をしている。とある日は男子だったり、とある日は女子だったり、
毎日とっかえひっかえ? 談笑をしているのだ。それだけじゃない、何か困っている時には人助けまでしている。
 そんなこんなで西春さんが変になってから二週間と少しが経った。
 相変わらずの彼女を見て、焦燥感を覚えずにはいられない。
 これは由々しき事態だ。彼女は雪のように美しく冷たくなくてはいけない。そうでないと今ここに居る僕は彼女と釣り合わないではないか。
僕はそんな風に笑えない。会話もできない。そんなのは……西春さんじゃない。
 自分が歪んでいることは分かっている。だがそれがいいんじゃないか! と、心の中で憤慨していると、例の誠が話しかけてきた。
「透、何イライラしてるんだよ?」
「別に」

39 :No.10 僕の暦 3/5 ◇InwGZIAUcs:09/07/19 23:44:33 ID:j97vl9MB
「ふーん」
 毎度のことだが僕の時間を砕くのが巧い奴だ。長年の修行してきたに違いない。
「西春変わったな」
「ああ」
「いいのか行動しなくて? あんな風に笑うようになってから彼女のファンが急増したらしいぞ」
 知ってるよ。だからムカついてるんだ。あいつ等は西春さんの本当の良さを分かっていない。
「大丈夫だよ。僕はもう気付いている」
「何をだよ?」
 教えるものか。多分、誰一人気づいていない事を僕は知っている。そしてそれが正しければ、僕にもチャンスがある筈だ。
「まあいいや、俺ももう一度アタックしてみるかねー」
 やめておけ。僕の勘が正しければ凍てついた所をハンマーか何かで粉々にされるのがオチだ。
 まあ、僕が今の彼女に告白したとしても同じ結果だろうと思う。


 後日、誠が真っ白になっている所を見かけたが、声を掛けはしなかった。恐らくその心象風景には同情の余地はあるのだろうが、面倒だった。
 そして、西春さんが変になってから一か月が経った。
 そろそろ僕の出番だ。僕は大きく息を吸い一気に吐く。冷めていく頭を感じながら、教室の扉を開いた。
 昼休み、その時は来た。
「あの、透君。何か困ったこと……ありませんか?」
「ないよ。ただ、西春さんに聞きたい事ならある」
 僕は努めて冷静に言葉を紡いだ。表情は……冷たかったと思う。
「西春さんはこのクラスの一人一人、一日一日順番に声を掛けていったよね? そして会話をした。そんなの、君らしくないじゃないか」
 僕の言葉を呑みこんで、西春さんは僕を見つめた。そう、その眼だ。西春さん。あなたには細く切れるような眼差しが良く似合う。
 すると、彼女はそっと顔を近づけてきた。心臓を止める暇など無い。僕はただ目を見開いた。
 彼女は耳元で囁いた。
「知りたかったら、放課後屋上に」
 彼女は席に着いた。そして凍りついた教室は、昼休みの終わりを知らせる鐘が解きほぐしていった。


「本当に来たんだ」

40 :No.10 僕の暦 4/5 ◇InwGZIAUcs:09/07/19 23:44:56 ID:j97vl9MB
 寒風の中、西春さんはコートやマフラーに包まれ僕を待っていた。
 長い髪は風に晒されているのに、短めのスカートがめくり上がることはない。どんな奇跡かは知らないけど。
「透君は人に興味が無いと思ってたけど?」
「ああないよ。僕と君は同じだ」
「虫酸が走る、止めて」
 そう言って彼女は僕を睨みつけた。教室での視線が温かく感じる程今度は明確な憎しみを持った眼だ。僕は、憎まれたくはない。
「透君は興味の無いふりをしているだけでしょ? 赤子が泣いて気を引くように、不貞腐れて人の気を引こうとしているだけの愚者だわ」
 誠と同じ事を言う。僕は顔が赤くなっていくのを感じた。
「自分の心を見つめる事すら放棄した人間に私の気持ちなんて分からない。分かる筈がないのよ」

――僕は彼女と似ている自分が好きだった。

 本心に問う。僕と西春さんは似ていたか?
 そうだ、僕と彼女は似ていた。いや違う。僕は、僕は彼女に似ようとしていた?
「……じゃあ、西春さんと僕の違いは何?」
「簡単よ。私は本当に人に興味が無いの。誰がどうなろうと知ったことではないの……そしてそんな自分が堪らなく嫌な所よ」
「だから一人一人声をかけた? 興味を持つために?」
 彼女は眼を閉じた。
「私、明日から病院に入院するの。不治の病よ。きっとすぐに死んじゃうんじゃない?」
 唐突の言葉に僕は息が詰まる。なんて言った。彼女は明日から入院? じゃなくて、不治の病?
「変よね。今はこんなにピンピンしてるのに。でも医者にそれを教えられた時思ったの。このまま変わらない自分で最期を迎えるのは嫌、
一度きりの人生後悔はしたくない。だから一日に一人、順番に関わっていこう。そう目標設定したんだ」
 今月は二月だ。僕たちのクラスは確かに丁度二十八人だった。順番に回っている、その意味を僕は初めて知った。
 クラスは彼女の暦だった。
「私、変われたかな?」
「変わった。大好きだった君を嫌悪するくらい変わったよ」
「そう、じゃあ心おきなく病院に行けるわ」
 彼女は笑った。不覚にも、その笑顔はとても綺麗だと思った。
「ああ、それと透君。私君みたいな人タイプじゃないから……ありがとう」
 笑い涙を浮かべ小指で救い、そう言って踵を返した。僕は動けない。彼女は屋上を後にした。

41 :No.10 僕の暦 5/5 ◇InwGZIAUcs:09/07/19 23:45:14 ID:j97vl9MB
 呆然と立ち尽くした僕は、脱力感に襲われていた。もう一歩も動けない。全ては終わったんだと理解した。
 だけどそれはほんの数秒の事。
 気づけばお腹の底から何かが湧き出でき来きた。熱い、それは熱い何かだ。
 気づけば僕は走り出し、西春さんが降りていった階段に向け叫んでいた。
「じゃあ僕も変わる! 変わって変わって、また西春さんの前に現れるから! 絶対、絶対にだ!」
 僕の咆哮は暫く続いたらしい。あまり覚えていないけど。


 翌日。
 西春さんの言葉通り、彼女は入院し退学することになると担任から連絡があった。
 そんな事はもう知っている。だからそんな事はもうどうでもいい。
 僕はもう変わらなければいけない。自分という形を思い込んでいた僕は、変わらなければいけない。
 そして、僕の暦が始まる。



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