【 姫というくびき 】
◆VrZsdeGa.U




15 :No.05 姫というくびき 1/5 ◇VrZsdeGa.U:09/07/26 23:21:04 ID:ulyiO9/1
 平原の果てに小さな家々が並んでいるのを認めると、青年は後ろを振り返り声を上げた。
「お嬢様、町が見えました」
 彼の後ろには額に汗を光らせながら歩く少女の姿があった。ブロンドの長い髪がふわりと揺れ、白い肌を素地とした
端正な顔は青空のもとでまばゆく見えた。服装こそレースのついた白いブラウスに、赤と黒のチェックのスカートという
ありふれたものであったが、その姿には非凡な気品が漂っている。
「ようやく着いたのね」彼女は少し息を切らせながら言う。「どこまで続くのかと思ったけれど、終わりがあって良かったわ」
 口調には、オアシスにたどりついたような安堵の感がこもっている。青年の隣に立ち、確かな町の光景を認めると、
少女は顔に開放的な笑みを湛えた。青年が、多少たじろいでしまったほど、美しく無邪気な笑みだった。少女は一息ついた後、
「さあ、参りましょう、ヘルマン」
 と言い、再び町へと向けて歩み始めた。ヘルマンと呼ばれた青年もそれに従いながら、かしこまりました、と穏やかに応えた。

 少し前まで少女は城で暮らす姫であり、ヘルマンは彼女に従う執事であった。王制の下で国の平穏は保たれ、
姫もまた城内で穏やか、かつ優雅に日々を送っていたかに見えた。
 ところが十六歳になった彼女はある夜、ヘルマンと共に城を飛び出した。金庫から失われたいくらかの金銭、
姫の部屋から持ち出された衣類、姫とヘルマンの密会。様々な痕跡が残され、城の人間は憶測をいくつもたてた。
父である国王はいずれにせよと前置き、各地の領主に姫の捜索を命じた。
 一体何が彼女を駆り立てたのか。原因は、一年ほど前にさかのぼる。親睦深めるという名目の下、
隣国の王子と姫の縁談が持ち上がったのだ。大臣から示された提案とはいえ、父である王もまんざらではない様子で、
「相手の顔を見るだけでも、決して悪くはないことだと思うぞ」
 と娘に話しかけてくるのであった。母である王妃や、使用人もしきりに縁談を受けることを勧めてきた。
姫はそれに対し、ささくれ立った反発を示した。何故自分の身が、尊重されてしかるべき自分の意志が、無視されるのか。
隣国との親睦。確かに大事であろう。しかし国の姫を出汁に使って作り上げる友好など、何の意味があろうか。
縁談は、是が非でも断らなければならぬと思った。他人の利害の下で我が身が決されることに、強い憤りを覚えたのだ。
 結果、姫の拒絶により話は破談となったが、その件は彼女の心に王国に対する深いわだかまりを生むこととなった。
このまま王国にとどまっていれば、自分はずっと振り回されながら生涯を送る羽目になるかもしれない。
しかし、しがらみから逃れるためにはどうすればよいのか。彼女は懊悩を続けた。
 そんな折、彼女の許に現れたのが、新たに城の執事として加わったヘルマンだった。
この赤銅色の髪を持った人当たりの良い青年は、姫の心の底から発せられる訴えを親身になって受け止めてくれたのだ。
「私は”くびき”から逃れたいの」ヘルマンと話す際、彼女は口癖のようにそう言った。自分を縛る王族という血筋、
我が身を取り巻く義務、半ば強制的にもたらされる理不尽な環境。すべてから脱したい。彼女は心に抱くありのままを、

16 :No.05 姫というくびき 2/5 ◇VrZsdeGa.U:09/07/26 23:21:18 ID:ulyiO9/1
ヘルマンに対し吐露した。可憐な顔立ちが表す真に迫った表情を見て、ヘルマンはこう訊ねた。
「お嬢様は、いかがなさるおつもりですか」
 ヘルマンは、あくまで姫の意向を引き出そうとした。誰にもおもねることのない、姫自身から発せられる意志。
彼はそれを待ち望んでいた。姫は多少ためらいつつも、何者をも許容する豊かな草原めいた青年の表情を見ながら、声を発した。
「このお城を、いいえ、姫という自分の立場を捨てたいの。何にも縛られない、一個の、普通の人間として暮らしたい。
特別な待遇なんていらない。私は、与えられたもので自分を表現したくはない。自分で自分を率直に表現できる人間になりたいの」
 そして、姫は意を決したように、
「ヘルマン。一緒に、このお城を飛び出してくださらない? もちろん、あなたの意思は尊重するわ」
 と、訴えたのだ。ヘルマンに、申し出を断る理由はなかった。むしろ、姫が自分の意志を強く表明したこと、
目的を達する上でのパートナーに自分が選ばれたことを嬉しく思った。彼は何もかもを許容する、
豊かな草原のような微笑みを湛えながら、喜んでお供いたします、と答えた。

 姫とヘルマンは城から出た後、ひとまず遠くの町を目指し歩くことを決めた。少し歩いた程度の場所では、すぐ見つかってしまう。
捜索の手が及ばず、姫の顔が知られていない遠くの町まで。当然頼るものなど何もない、浮浪者同然の旅である。
人の足を拒むかのように険しい山道、終末を描いたような茫漠とした荒野、哲学者が為す思索のように深い森。
多くの苦難は、姫の繊細な足を容赦なく襲った。途中見つけた村落で宿をとったこともあったが、二人は大抵野宿で夜を越していた。
 温室で育った姫にとっては、これまで経験しえなかった困難を伴う旅。しかし、彼女は決してめげなかった。
王国という追跡者から逃れ、出奔を成し遂げるため。頭をもたげる弱音を抑え、自分を奮い立たせながら彼女は歩き続けた。
ヘルマンもまた、執事としての立場もさることながら、旅を共にするパートナーとして彼女を励まし、
時に助け合いながら添い続けた。旅を続けるうち、彼らは主従を超える親密な関係を築きつつあった。

「ふん、たいそうないきさつをお持ちでいらっしゃるわけだぁ」
 二人は農夫の家を訪れていた。このがっしりとした肉体を持つ農夫は、彼らが二人きりで旅をしているということを聞き、
自らの家を宿とすることを快く勧めてくれたのだ。農夫の家は修繕の跡が目立ち、家族の服装からも貧しさがうかがえた。
かつての住居とは天と地以上の差がある宿ではあったが、それ以前に二人にとって、農夫の優しさはこの上もない救いだった。
「しかしなんだ、自由を求めて旅をなさっているのに、あなた方を取り巻いているのはとても不自由な環境なわけだ。
なんとも、皮肉というか、矛盾しているというか」
 妻の作ったスープをすすりながら、農夫は難儀そうに言った。
「ええ、そうなりますね。でも、自分で選んだ道ですから」微笑みながら姫はそう答えた。
「でもだよ」農夫は声を張り上げながら言う。「人間だれしも、自分の生まれは選べないもんだ。農民、商人、

17 :No.05 姫というくびき 3/5 ◇VrZsdeGa.U:09/07/26 23:21:35 ID:ulyiO9/1
色々とあるが、お姫様みたいな特別な立場ともなると、自分の生まれに対する複雑な思いもなおさらだろう。
逃げ出したくなるのも道理だ。けど、苦労から逃げることで余計苦労を背負うっていうのは、なんだかなぁ」
 腕を組み、難しい顔を浮かべ話す農夫に、姫は柔和な表情を見せながら語りかけた。
「けれど、仕方のないことでございます。人間は、はじめから”くびき”のようなものに、しばりつけられているのだと思うのです。
農民というくびき、商人というくびき、王族というくびき。それから逃れるためには、自ら新たなくびきを作るのだという強い意志と、
膨大な苦労が必要になるのだと考えております。いうなれば私たちは今、かつてのくびきから離れた代償を払い、
新しいくびきを作るための資金を蓄えているのかもしれません。ですからこの苦労も終わり、やがて報われると信じております」
 口調に、偽りはうかがえなかった。自分の道をひたすら邁進するのだという強い意志が、そこにはこもっていた。
姫の話を、農夫はスープをすすることも忘れ聞き入ってしまっていた。彼は感嘆のため息をつきながら、
「王族の方ってのはお坊ちゃまやお嬢様ばかりで、ひ弱い人間しかいないと思っていたが、お姫様は一味違うようだぁ」
 と口に出した。姫はそれに対し謙虚にいえいえ、と応えた。
「俺は学がないから、くびきとかいうのはわからねえんだけども、つまりはあれか。今俺は麦を作ってるけれど、
たとえば米を作りたいと思ったところで、相当な手間と金がかかっちまう、っていうことか」
「そんな簡単な話じゃないでしょう」調理場の方から妻の咎めるような声が聞こえ、農夫は途端に恐縮したような体になってしまった。
しかし姫とヘルマンは馬鹿にすることもせず、むしろ微笑みながら、農夫に助け舟を出すようなことを言った。
 どちらかといえば、農夫の持ち出した喩えは的を外したというか、事を矮小化しすぎているきらいがあった。
二人の抱える問題は極めて複雑なものであったが、彼らにはあるいは、農夫の喩えに賛同することで問題を
単純化しようとする節があったかもしれない。それが果たして正しい態度であったかどうか。二人にとって、考えの及ばぬ所であった。

 二人は町を出て、再び旅を続けた。彼らは最終的に、隣国へ向かうことを目的としていた。恐らく、そこまでなら捜索の手は
及ぶまいと想定した上でのことだった。しかし、もし王が隣国に協力を求めたならば。二人は、そのことを考えないようにした。
終着のない、永遠に続く逃亡劇。安住の場も、頼る当てもない旅。二人はそれらを思考の範疇から外し、ひたむきに歩き続けた。
だが王族の血筋という影は、常々彼らについて回ることとなった。時には脱走者を匿うという罪を厭い、一様に宿泊を断る村さえあった。
牧草地などに立ち寄れば、姫はかつて自分を取り巻いていた自然を懐かしみ、その影を広大な草原に重ねることもままあった。
外見はともかく、内面、それももっと深い遺伝子レベルの上で自分を変えることはできないのだと、姫は思い知った。
とはいえ、二人に歩みを止めるという考えは浮かんでこなかった。理由は何より、彼らを突き動かす意志の力によるところが大きかった。
 そして、二人は港町へと着いた。船に乗れば隣国へと着き、旅に一段落をつけることができる。半ば安堵を抱きながら、
場末の食堂で幸せな昼食を取っていた時のことであった。ドアベルが店内に鳴り響き、一人の男が店に入ってきたのだ。
「親父、いつものね」
 そう言って奥のテーブルに座った男は、この町の領主に仕える衛兵であった。当然二人はそんなことも知らず

18 :No.05 姫というくびき 4/5 ◇VrZsdeGa.U:09/07/26 23:21:49 ID:ulyiO9/1
各々の食事と会話に勤しんでいたが、衛兵は彼らの姿を見逃さなかった。ブロンドの髪を持つ姫と、赤銅色の髪を持つ執事。
手配書の通りであった。何より、姫は忘れていただろうが、衛兵は一度彼女の姿を目にしたことがあった。数年前、
領主の護衛として王城に訪れた際に見た可憐な顔立ちは、衛兵の目に強く焼き付いていた。比べると、いくらか大人びてはいたが、
彼女の顔に面影は確かに残っている。手柄を得る絶好の機会だ。とはいえ、下手に動いて取り逃がしてもいけない。
「おぉい」と彼は店員を呼び寄せた上で、わずかな金銭を与え、このことを本営に伝える役目を与えた。
 着実に仕掛けられていく、包囲の網。そんなことを知る由もない二人が食事の勘定を終え、店の出入り口へと向かったその時だった。
「我が国の王女、アンネ様と、その執事、ヘルマンと、お見受けいたします。我々とともに、ご同行ください」
 四、五人の武装した衛兵たちが、さながら防波堤のように、二人の目の前に立ちはだかっていた。ヘルマンは姫の前に立ち、
「お嬢様、ここは私に任せお逃げください!」
 と叫んだ。でも、と言いかけた姫の背中を無理に押し、ヘルマンはこう言うのであった。
「私のことはどうだっていい、何より、何より大事なのは、姫が自由になることなのです。お逃げ下さい、姫」
 未練を振りきり、姫は走り出した。追え、という衛兵の叫びがあたりに響き、二人の衛兵が彼女を追う。
ヘルマンはそれを妨げるため、彼らの前に立った。何があったのかと、あちこちから人が集まってくる。
意を決し、ヘルマンは衛兵たちに飛びかかった。敵うはずはない。装備も、人数も、明らかに足りなかった。
人だかりも、助けの手を差し伸べる様子はない。何もかも、地獄のように絶望的であった。

 やがてヘルマンは数人の衛兵に取り押さえられ、姫も追ってきた衛兵に捕まってしまった。姫は後ろ手のまま食堂の前まで連行され、
腹ばいになって抑えつけられたヘルマンの姿を見た。彼らを取り巻く人だかり。なのに、誰も助けてはくれない。
終わってしまうのだ。姫の目から、涙がこぼれ始める。
「悪く思わないでください」衛兵の長と思しき男が、冷酷に話す。「こちらにも、命じられた任務というものがございます」
「どうして?」絶望がもたらす悲しみに震えながら、姫は細く言った。「どうして私を解放してくださらないの?
私の意向をくんでいただけないの? 代わりはいくらでも効くじゃない。何故、よりによって私に重荷を背負わせるの」
 姫の訴えに、あたりはしんと静まった。まるで彼女の感情がそのまま移ったように、あたりを重苦しい雰囲気が包み始めた。
「もう嫌なの。利用されることも、崇めるべき存在として見られることも、何もかも嫌。そんなものに振り回されたくないの。
普通の人間として、私は生まれたかった。どれだけの忍耐を伴うことであっても、こんな苦労に比べたら……」
 悲しみの分水嶺を超えたように、姫の顔を多くの涙が伝う。その哀しくも美しき光景は人々の心を捉え、
あたりに援助の風が吹き込むかに思われた。しかし、長と思しき男がおもむろに口を開いて言った。
「王女様、確かにあなた様が自由を希求なさることは結構です。しかしあなた様にはそれが許されぬ立場というものがございます。
僭越ながら申し上げると、王女様が王国から逃れることで多くの混乱が巻き起こるでしょう。王国の求心力は失われ、
諸侯や国民は王を見放し、外国はこのことを内情不安定とみなすでしょう。さすれば、我が国は戦乱、あるいは民衆の蜂起に

19 :No.05 姫というくびき 5/5 ◇VrZsdeGa.U:09/07/26 23:22:04 ID:ulyiO9/1
見舞われることとなります。いずれにせよ多くの人々の命が失われ、不謹慎ですが、あなた様を取り巻いていた王国の存在は
消え去るかもしれません。私は極論を述べているかもしれませんが、可能性は残ります。そのことを、どうお考えでしょうか」
 再び、あたりを沈黙が包む。さながら、理想と現実がせめぎ合うように、中々その沈黙は解かれることがなかった。
やがて、せめぎ合いに終止符を打つように、長と思しき男は語気を強め言った。
「王女様はここしばらくの間、多くの人々を振り回し続けました。その最たる例がこの執事、ヘルマンです」
男は取り押さえられたヘルマンを指さしながら話を続けた。「あなた様が普通の人間になりたいと仰るのであれば、
なぜこの男を連れて旅に出たのでしょう? あなた様は既にこの男を、不幸に処したようなものなのです」
「違います! 僕はあくまで、自分の意思として――」
 男は軍靴でヘルマンの足を踏みつけ、彼の言葉を遮った。
「理由はどうでもいいのだ。私はあくまで、事実を口にしているだけなのだから」毅然とした口調は、あたりの人々をおののかせた。
「王女様、あなたがどうしても我々に同行なさっていただけない、と仰るのであれば、こちらにも方法はございます。我々は王から、
『執事を殺しても構わないから何が何でも娘を取り戻せ』という命を授かっております」
 そう言うと男は胸ポケットから銃を取り出し、銃口をヘルマンの頭に向けた。
「やめて!」引き金に指が掛かるのを見て、姫は思わず叫ぶ。「ヘルマンは何も悪くないの、お願い、撃たないで!」
「あなたを生半可な方法で連行するのは難しい。ならば最も厳しくも、有効な選択肢を取る。極めてシンプルな論理です」
男は雷のような鋭い口調で言い放った。「王女様、これもあなたの責任というものなのです。率直に申し上げますが、
あなた様の希求する自由とは、自分勝手なわがままの言い訳ではないでしょうか」
 銃撃がもたらす轟音が、あたりに大きく響いた。銃弾は、ヘルマンの脇の地面に撃ち込まれていた。
周囲のどよめきなどないものかのように、男は表情を変えず言葉を続けた。
「人間は、誰しも逃れ得ぬ宿命というものを抱えております。望む望まぬにせよ、我々はそれを全うしていかなければなりません。
王女様は、それを少しばかり理解なさったほうがよろしいかと存じます。次は、本当に頭を捉えるつもりで撃ちます」
 男は、再び銃の引き金に指を掛けた。

 十年ほど後、王国は隣国の侵攻によって大きな痛手を受けた。各地の領主は王国に反旗を翻し、いたるところで革命の火種が起きた。
戦争で疲弊した国民の不満が、そのまま王国に向かったのだ。王城は民衆の手によって占領され、王や王妃も革命の指導者によって
殺められてしまった。何が引き金となり、そのような羽目に陥ってしまったのか。我々にはうかがい知れない事だった。
 その中で姫とヘルマンは、どのような末路をたどったのか。ヘルマンは王女をかどわかした罪によって、
姫の訴えもむなしく死刑に処せられた。以来、姫はふさぎこむようになり、城から外出することは滅多になかったらしい。
民衆の軍が城に乗り込んだ際も、既に自殺を遂げた後だったという。ただその死に顔は、切望してきたことが訪れたとでもいうように、
大変安らかだったそうだ。



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