【 アーティのいる空 】
◆I52ZckmjZ1vV




21 :No.7 アーティのいる空 1/4 ◇I52ZckmjZ1vV:09/08/02 22:37:28 ID:v9ipAMhn
 アーティが煙突から落ちて死んだ夜、僕はアーティの夢を見た。十年以上経った今でも僕はまだ、夢の中でア
ーティの言った一言一言までしっかりと覚えているから、あれはただの夢ではなかったのかもしれない。感覚で
言えば、現実からは半歩だけしか出ていなかったと思う。
 僕はその夢の中で、空にハシゴをかけて登っていた。やたらと晴れていて、風はほとんど吹いてなくて、雲も
手の届きそうな範囲には見当たらなかった。登り始めた時の記憶は無く、気づいたらもう頂上が見える所までき
ていた。僕は一歩一歩を確かめるように登って、やがて長い長いハシゴが終わった。
 するとそこに、アーティがいた。何にも掴まる事なく、青い空に座って、クレヨンを片手に何かを描いている
ようだった。僕はその、明らかに不自然な場所にいるアーティに何の疑問も抱く事なく、こう問いかけた。
「やあアーティ、何をしてるんだい?」
 アーティは振り返って、僕と同じ小学生とは思えないくらい大人びた微笑みをたたえて答えた。
「空を塗っているのさ。青色でね」
「どうして?」
 僕が素朴な疑問を投げかけると、アーティは僕に向き直って、その金髪で癖の強い髪をぼりぼりと掻いて言っ
た。
「それは空を塗っているのがどうしてって事? それとも、どうして青で塗ってるのって事?」
「どっちもさ」僕は答える「もしかして、煙突掃きの仕事はもうやめちゃったの?」
 アーティは少し考えた後、僕の両目を見据えた。
「うん、あれはもうやめたんだ。給料がいまいちだし、何よりこっちの方が楽しい」
「詳しく聞かせておくれよ」 
 僕はハシゴの先端に両肘をついて、話を聞く姿勢をとった。
 アーティは、僕の親友であり、僕の尊敬するヒーローだった。親友の意味は、同じ学校に通っていた友達の中
で一番信頼出来て、一緒にいて一番楽しかったって事。ヒーローの意味は、度胸試しでふとっちょマリー先生の
ケツを思いっきり蹴飛ばしたのはアーティが最初で、多分最後になっただろうという事。もちろん、それからア
ーティはこっぴどく叱られて、美術の成績は酷い物となったのだけれど、まさか本当にやるとは誰もが思わなか
ったし、誰も出来なかったんだ。マリー先生を怒らせるのは、学校生活において最悪な出来事の一つだったから。
「空は放っておくと、はげていくんだ。くすんだ青になる。そうするとどうだろう。君は空を飛びたいと思うか
い?」
 僕はあまり得意ではないけれど、アーティに促されて考えてみる事にした。くすんだ空、か。確かに飛んでい
てもあまり気持ちが良さそうでは無い。そう思った後、気になった事が出来て、早速訊いた。


22 :No.7 アーティのいる空 2/4 ◇I52ZckmjZ1vV:09/08/02 22:37:55 ID:v9ipAMhn
「どうして僕が空を飛びたいって事を知ってるの?」
 アーティは大きく笑った。空の端っこがもしもあるのなら、届きそうなくらいよく通る声で笑って答えた。
「空を飛びたいと思っていなかったら、こんなに長いハシゴを登ろうとはしないよ」
 確かにそうだ。アーティは凄く頭が良くて、美術の成績以外は抜群だった。
 アーティの家は貧乏だった。アーティの朝は新聞配達から始まり、学校から帰ったら煙突掃き。だから僕達学
校の友達とどこか遊びに出かける事はあまり無かったけど、月に一回くらいは遊べる日があって、その日は僕に
とって特別な日だった。
 街の外れにある、幽霊屋敷に二人で行った事があった。話の最後を言ってしまえば、それは幽霊屋敷でも何で
もなく、偏屈で頑固なお爺さんが手入れもせずに住んでいただけなのだけど、そうと知らなければ、幽霊が住ん
でいてもおかしくないと思わせる迫力があった。何せ、壁はおろか屋根まで所々剥がれていたし、蔦は絡まりに
絡まり窓は割れて、とても人が住めるような建物だとは思えなかったからだ。その幽霊屋敷の謎を解いたのもア
ーティだった。
 あろう事か、アーティは幽霊屋敷に住んでいたそのお爺さんと仲良しになって、更に僕に少しだけ家の中を見
せてもらったんだ。どうやって仲良くなったかまでは教えてくれなかったけど、とにかく僕にとって幽霊屋敷の
中は衝撃的だった。外見にも負けず劣らず、人が住めるような様じゃなかったからだ。
 だけどお爺さんを見て納得したんだ。お爺さんは、正直に言ってしまうと毛むくじゃらの化け物みたいで、少
なくとも人間には見えなかった。
「ねえアーティ、どうやって毛むくじゃら爺さんと仲良くなれたんだい?」
 アーティは青いクレヨンを持った手を休ませる事無く、だけど僕の質問には真剣に答えた。
「どうやってって程の事でもないさ。ちょっとだけ、そうだな、時間にして五分くらい話をしただけだよ。なん
で仲良くなれたかを強いて言うなら、僕と爺さんは、似てる所が多かったからじゃないかな」
「そんな事無いよ!」僕はなぜか慌てて否定した「アーティと爺さんは全然似てない! 髭なんて生えてないし、
腰も曲がってないし、口だって臭くない」
 アーティはまた笑ってくれた。「そういう事じゃないよ。それよりもっと大事な部分が似てたんだ」
「大事な部分?」
「いずれ分かるさ」
 その時僕は、自分を納得させられなかったと思う。だけど聞けなかった。なんとなく、恥ずかしい事のような
気がしたからだと思う。


23 :No.7 アーティのいる空 3/4 ◇I52ZckmjZ1vV:09/08/02 22:38:20 ID:v9ipAMhn
 アーティの父親はのんだくれだった。一日中、アーティの稼いだお金で酒を呑んでいた。珍しく仕事を見つけ
てきたと思えば三日でやめて、親戚はおろか近所の人にも金をせびっていた。親友の実の親をこう言うのはどう
かと思うけど、はっきり言って最低だった。
 僕が毛むくじゃら爺さんを初めて見た時の印象は、どこかアーティの父親に似ていたんだと思う。だから僕は
必死でアーティの言葉を否定した。今更だけど、そう考えれば納得が行く。
 それから僕は、話を変えようと思った。少し焦っていた。その時、なぜかは分からなかったけど、時間が迫っ
ている感覚がした。
「ところでアーティ、ふとっちょマリー先生のケツを蹴っ飛ばした時、どういう気分だった」
 アーティはニヤリと笑い、しゃくりあげて言った。
「最高だった」アーティの芝居がかったその仕草が、僕は好きだった「マリー先生のあの顔ははっきり覚えてる
よ。まるでカエルを握りつぶしたみたいだった」
 僕は笑いすぎてハシゴから手を離しそうになった。どうにか耐えると、アーティも笑っていた。このままの時
間が続くと思えた。思わなければ、今にも崩れそうだったからだ。
「でもさ、どうしてマリー先生のケツを蹴っ飛ばす事になったんだっけ?」
 僕が何気なくそう尋ねると、アーティは小首を傾げてとぼける。
「さあ、そんな前の事もう忘れちゃったよ」
 僕は、覚えている。幽霊屋敷から無事に生還した僕達に、ガキ大将のニックが「俺だったら本物の幽霊だって
怖くないね。俺には怖い物なんて無いのさ」と言った。アーティがそれに対して、「そこまで言うならマリー先
生のケツを蹴っ飛ばしてみろよ」と煽ったんだ。で、結局ニックはビビってやめて、アーティが本当に蹴っとば
したんだ。
 そこまでは、きっとアーティ以外の友達なら誰でも知ってる事。そしてここからが、多分僕しか知らない事。
アーティは前に授業で絵を描いた時に、マリー先生に指摘されたんだ。「あらアーティ、空を大きく描きすぎよ
」って。木のスケッチをする授業だから、マリー先生の言う事もごもっともといえばごもっともだけど、その時
のアーティは明らかに怒っていた。それから描いてる途中の絵を放り出して帰ったんだ。マリー先生も友達も何
でアーティが怒っていたのか分からなかった。だけど、僕だけは分かったんだ。
「アーティは、将来画家になるのかい?」
 唐突だったけど、僕はアーティにそう聞いてみた。アーティは一瞬だけ手を止めて、またいつもみたいにとぼ
ける。
「さあ……どうだろうね」

24 :No.7 アーティのいる空 4/4 ◇I52ZckmjZ1vV:09/08/02 22:38:37 ID:v9ipAMhn
「絶対なれるよ」
 根拠は無かったけど確信があった。美術の成績じゃ人の絵のうまさなんて分からない物だから。
「それじゃあ君は、何になりたいんだい?」
 そう返されて、僕は少し慌てた。またハシゴから手を離しそうになった。アーティはかまわずに続ける。
「僕だけ夢を当てられたんじゃ公平じゃないから、僕も君の夢を当ててみせよう」
 僕はどぎまぎしながらアーティの青い眼を見つめた。それはよく透き通っていて、朝一番の海のようだった。
「分かったぞ」僕は思わず視線を逸らす「君の夢は、パイロットだ」
 正解だった。誰にも言った事が無かったのに、アーティは見事に僕の心を当ててみせた。でもアーティなら、
当然の事のようにも思えた。僕ははにかんで、アーティは微笑んだ。
「さて、僕はそろそろ行くとするよ」
 何かを決心したかのようにアーティがそう言った。
「どこに行くんだい?」
 無垢な問いは不安の象徴だった。僕には支えが必要だった。アーティは偉大なヒーローだった。
「まだ仕事が残ってるんだ。僕一人でこの空一面を青く塗らなくちゃいけない」僕の表情を正確に読み取ったん
だろう「何もそう寂しがる事じゃないさ。仕事が終わるまで僕はこの空にいるから、会いに着たかったらいつだ
って来ればいい。その時は、ハシゴじゃなくて飛行機に乗ってさ」
 アーティ、君はそれで、満足なのかい?
「それじゃ、また」
 アーティは立ち上がって歩き出した。僕が両腕で抱えたハシゴは後ろへとゆっくり倒れていく。アーティがど
んどん離れて行って、やがて見えなくなった。
 そこで僕の夢は終わる。何度も何度も思い出してきた。僕がこうして飛行機に乗って、大空を飛ぶ度にだ。
 僕は操縦席から空を眺めた。操縦桿を握った手が、自然と汗ばんでいく。
 いつもそこにアーティはいる。あの頃と変わらぬまま、青いクレヨンで空を塗りつぶしている。
「アーティ、ごめんよ」
 僕は小声で、だけれどきちんと聞こえるように囁いた。
「僕にはもう、空がくすんだ色にしか見えないんだ」
 なぜだか涙が溢れてくる。アーティが死んだ夜に出なかった分の涙が、今更になって湧いてくる。
「これから僕は、知らない街に爆弾を落としに行くんだよ。アーティ」





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