【 Rip it off 】
◆D8MoDpzBRE




24 :No.06 Rip it off 1/5 ◇D8MoDpzBRE:09/09/28 18:03:27 ID:fKnWRe01
 五年前の夏、僕とミサキは二人で丘の上に立っていた。土煙の中に消えていく飛行船。
 ずんぐりと大きくて、空に浮かぶ鯨のようだと言ってもまだ足りなかった。そもそも僕たちは鯨なんて見たこと
がない。つまりそれは形容できないほどに大きな代物だった。
 砂漠の向こう側に、僕たちの知らない国があるのだ。
「アレに乗ることが出来たらなあ」
「アンタにはまだ早いわよ」
 ミサキが言った。茶色のロングヘアーは、ほんの少しウェーブがかかっていた。その時十四歳だった彼女は
永遠に僕の二歳年上で、同じように僕を見下し続けるつもりなのだ。
 飛行船の定期便は三ヶ月に一本、乗客は四十人。二十四時間にわたる飛行は、砂漠の変化に乏しい気候
と相まって快適な空の旅を約束するらしい。
 運賃はかなり張るという話だが、家を売り払えば何とか乗れなくもないという具合だ。だから金持ち以外が乗
り込んだ場合、大方こちら側には帰ってこない。
 飛行船の出現以来、徒歩やラクダで砂漠を横断しようと試みる者は珍しくなった。それもそうだ、あんなもの
に空を飛ばれた日には、命がけの旅程なぞ馬鹿馬鹿しく思えて当然だろう。
「君はアレに乗ってみたいと思わないのかい? 高いところは好きなんだろう」
「どこに行って何をするのよ? 今わたしたちがいる世界がわたしの全てなの。あんなものに乗っても無意味
だわ」
 ミサキは既に地平線の彼方に消えた飛行船に向かって、悪態をつくように言った。飛行物体が消え失せた
後の空はいつものように空虚で、塵のような雲がまばらに浮いているだけだ。
「僕と離れたくないんだろ」
「そ、そんなこと言ってないでしょ! 根拠のない自信だけはたいしたものね」
「ちがうよ、そう言ってくれたら嬉しいなって思っただけさ」
 半ばからかうような口調でミサキに言うと、ミサキは頬を夕日のように染めてそっぽを向いた。年上のくせに
うぶなのだ。そしてそれを必死に隠そうとしている。
 僕はそんな彼女が好きで、いつまでもそのままでいて欲しいと思った。

 ミサキは馬鹿か煙かのように高いところが好きだった。普通の女の子なら、木登りが趣味だなんてちょっと
言えやしない。その頃には僕も十四になっていた。つまり彼女は十六だ。結局、彼女の行動原理の中に『年
甲斐』なんて要素はこれっぽっちも勘定に入っていないのだ。
 むしろ木登りよりも過激な遊びを求めていた。

25 :No.06 Rip it off 2/5 ◇D8MoDpzBRE:09/09/28 18:03:51 ID:fKnWRe01
「山の上に高圧電線を送る鉄塔があるの」
「君はその年で死にたいのか?」
「大丈夫よ、ハシゴが付いているくらいだし。それに、過剰な電圧が夜空に放つスパークが見られるかも知れ
ないわ」
 わざわざ真夜中にそれをやってのけようと言うのだ。
「アンタも来るのよ」
「人を呪わば穴二つ、って意味が違うか。結果は同じだけど」
「下らないことばっかり言わないで。わたしがむざむざ死ぬようなことするわけないでしょ」
 決行は午前二時。
 別に昼間であったとしても、こんなところに人は来ないだろう。うっそうと茂り狂った林の奥深くに、粗末な鉄
柵に囲まれた鉄塔が建っていた。
 絶縁体で手足を覆い、鉄柵を乗り越えた。触ってはならない場所はおおよそ分かっている。要はハシゴ以
外の構造物に手を触れなければいいのだ。
 ゴム長靴とミニスカート。ミサキを下から見上げるここは、長らく僕の特等席だった。あまりに自然にパンツ
を見せてくるので、お互いこれをいやらしさと連想する発想自体が希薄だった。当時の年齢のせいもあるか
も知れない。
 まあ、どの道この日は暗すぎて余りよく見えなかったのだけど。
 一番背の高い樹木よりも高いところへ、僕たちは辿り着いた。砂漠の玄関口と呼ばれた街の灯りが、暗闇
を溜め込んだ貯水槽に浮かぶ蛍の群れのように眼下に広がった。確認できた地形はそれだけだ。後は星空
が上空を満たしている。
「頂上はもう少しよ」
 ミサキが言った。僕は黙って従った。
 その時、僕は奇異な光を見た。それらは、蛍の群れのように見えた街灯の中で、実際に生きた蛍のように
動いていたのだ。それも一つや二つではない。
「てっぺんに着いたよ!」
 彼女の声は先程よりも幾分遠ざかって聞こえた。僕はハシゴを登る足を止めていたのだ。その代わり、僕
の耳は低く唸るような雑音をキャッチしていた。大きな虫の羽音のようでもあった。
「ミサキ、あれを見るんだ」
 それらは近づいていた。飛行船。こんな夜中に定期便は発着しない。
「何、あの不気味な模様」

26 :No.06 Rip it off 3/5 ◇D8MoDpzBRE:09/09/28 18:04:18 ID:fKnWRe01
 ミサキが不安そうな声を出した。
 今や編隊と呼べるまでにその数を増やした飛行船の群れが迫っていた。星灯りに照らされて微かに判別で
きる外観は、迷彩が施されている。夜の闇に紛れて、誰も気づかないだろう。
「戦争でもおっぱじめるんじゃないか」
「そんなこと聞いてないよ、わたしたち」
「良い報せを運ぶ船にしては、面構えが悪すぎるんだよ」
 僕たちはその場で凍り付いたように動けないまま、船団を見送った。禍々しい迷彩模様、必要最低限の
寂しい照明。鉄塔のすぐ脇をかすめるように、彼らは通り過ぎた。十隻以上はいただろう。
 その晩、結局のところ送電線は青白いスパークを放つことはなかったし、僕たちはそれ以上意味のある
言葉を交わすこともなかった。

 程なくして戦争の報せが街を駆け抜けた。
 傷ついた飛行船が帰還するようになり、傷ついた兵士が街の病院に収容されるようになったのだ。こうも
なると、戦争の事実自体を公表しないわけにはいかない。
 それでも戦場はここから何百マイルも離れている、と発表されていた。実際に銃声やら爆音を身近で聞く
ことのない街は、半ば他人事のように戦争という一連の騒ぎを傍観していた。
 火事は対岸のようで、あるいは人々は必死にそこから目を背けていたのかも知れない。
 しかしある時、火事は対岸のものではなくなった。敵の飛行船団がやってきて、ある日爆撃を始めたのだ。
 目覚まし時計の音で飛び起こされたかのごとく、騒ぎが騒ぎを呼ぶこととなった。
 いよいよ戦火があらゆるものを巻き込みはじめたのである。

「今日も火の粉が降ってくるね」
「街の方角から見て、ここは風下にあたるみたいだから余計にね。みんなきちんと避難したかなあ」
「わたしたちが一番危ないんじゃないかな」
 丘の上から眺める街の景色は、硝煙と火の手が入り交じってきつく淀んでいた。全てが収まる頃には、
溜息が出るほどの廃墟が出来上がっていることだろう。
 敵の飛行船がここまで姿を現すようになって、早二年以上が経過していた。
 戦闘行為に対して街の人たちはおおよそ必要な免疫を完成させていた。避難警報、防空壕、大して足の
速くない飛行船団による攻撃から身を守るためには、その程度の防御システムが稼働していれば十分だっ
た。爆弾が落ちる日には必ず街外れの防空壕に集合して、ひとときの蹂躙をやり過ごせば良かった。

27 :No.06 Rip it off 4/5 ◇D8MoDpzBRE:09/09/28 18:04:41 ID:fKnWRe01
 それでも早々に街での暮らしを諦めた人たちは一定数存在しており、遠く離れた山村に間に合わせの集
落を作ったり、とにかく散り散りになっていた。
 僕たちは、街での生活にこだわり続けたクチだ。
「おうちが燃えちゃったらどうしよう」
「うちに来るといいさ。母さんは話が分かる人だ。父さんはいないし」
「アンタの家が燃えたら?」
「おい、縁起でもないこと言うなよ。まあしかし、もし仮にそうなったとしたら野宿でもするほかないな」
 僕たちはその場に座り込んだ。空には硝煙の筋がいくつもなびいていたが、本来の雲は一つとしてない。
時折燃えかすやら灰やらがまばらに降ってくるだけだった。
「もし戦争なんて起こらなくて」ミサキが僕の方を見て話はじめた。「もしこんな戦争が起こらなくて、まだ飛行
船の定期便が昔のように運行していたら、一緒に乗りたかったね」
「君は、あんな乗り物なんか無意味だって言ったろ」
「いつの話よ、ずっと昔じゃない。あの頃はわたしたち、まだ子供だったでしょ」
 ミサキが頬を紅潮させて言った。そして言ってしまったことを少し後悔するように溜息をついた。
「いいんだ、確かに僕たちはあの頃、まだ子供だった」
「でも、本当のところは子供だとかそういうのは関係ないの。結局わたしが子供だろうが大人だろうが、わた
しにとっての世界はここにしかないもの」
「やっぱり、ミサキは僕と離れたくないんだ」
 からかい半分の口調で言うと、ミサキは昔のように怒ったりはしなかった。頬は既に赤みがかっていたので、
変化は捉えようもない。口をつぐんで、草むらの上に寝転んで空を見上げている。
 十九歳になったミサキは、いつの間にか僕に身長を抜かれていた。時間が流れるとはそういうことだ。どち
らが望んだ変化というわけでもなく、ただそれだけを運んでくる。
 そして僕たちは望んで、お互い離れがたい存在であることを確かめた。昔のように、離れたくないという気
持ちを示すのに、恥じらいや表向きの否定の態度などは必要なかった。
 たわいもない冗談のように「ずっと一緒にいよう」と言ったときにはそれが本心だったし、じゃれ合う動作も
キスも自然に覚えていったものだ。
 だが、時間の流れはそんなささやかな営みに対しても介在した。
 僕たちには時間がなかった。
「砂漠の向こうには大きな国があって、海があって、綺麗な街があるの。でも本当のところはよく分からない」
 ミサキが言った。見たこともない国。僕たちは今、その国と戦争している。

28 :No.06 Rip it off 5/5 ◇D8MoDpzBRE:09/09/28 18:05:06 ID:fKnWRe01
「一緒に行きたかったけど、どうやらアンタの方が先になりそうね」
「うん。来月、僕は十八歳になるからね。徴兵される身だ」
「こんなに人の誕生日が来なければいいのに、って思ったことは初めて」
 十八歳になれば、この国では晴れて成人と見なされ、軍隊への編入を余儀なくされる。あこがれの飛行船
にも乗れるし、好きなだけ人を殺められるのだ。望むと望まないとに関わらず。
 いよいよ敵の攻撃が止んだらしい。遠目には引き返していく敵の飛行船団が見える。
 僕たちは、家路へ就くことにした。昨日よりもうずたかく積もった瓦礫の山をかき分けて。自分たちの家が
ひどいことになってなければいいけれど。
「そうだミサキ、もし僕が飛行船に乗ることになったら、一つだけ欲しいものがあるんだ。お守りのようなもの。
高所安全のお守り」
「何それ?」
「今まで、僕が高いところに登るときには、必ずそれを拝んでいたものさ。だけどそいつを身につけていたの
は決まって君の方だった。まあ、あまりそういったものを人にあげるという習慣はないかも知れない。まして
使い古したものなら、なおさらね」
 ミサキはよく分からない、といった顔つきを見せた。
 僕はそれ以上言うのはやめにした。答に感づいたとき、ミサキはどんな顔をするのだろう。ましてどうやって
僕にそれを手渡すのか。それを想像するだけでも少しおかしかった。
 もし希望が通るのなら、水色の横縞が入ったやつを所望しよう。まあ、何でもいいけれどね。

   [fin]



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