【 神様の殺し方 】
◆pxtUOeh2oI




35 :No.09 神様の殺し方 1/5 ◇pxtUOeh2oI :09/10/19 15:44:04 ID:rnQpe/yt
 目の前を疾走するスポーツタイプの自転車。持ち主の青年は自転車用のリュックを背負い、ペダルを回す。そ
のフレームだけで三十万はするらしい高価な自転車を追って私は安物の中古スクーターをせかしていた。自転車
が一瞬だけカーブミラーを確認して、脇の小道へと入る。スピードはほとんど落ちていない。見上げれば気持ち
の良い青空の下に一方通行の標識が立っていた。ただし、自転車は除くと書かれた状態で。
 なんであの人は、三浦は、後ろから私が追っていることを知っているのに、一方通行を選ぶのだ。こっちは通
れないから回り道しなければならない。答えは、ただ客のことを第一に考えているから、ということなのだろう
けど。年下のくせに生意気だ。
 正規の道を通り、前を走る三浦のいる道に合流した。さっきより二十メートルほど離されている。だが、目的地はもうすぐそこだ。この横に続く長い塀が、そうだと告げている。塀が門に変わったとき、そこが今日の仕事
場なのだ。あまり乗り気はしないが、仕事なので仕方がない。
 巨大な花輪が立つ、入り口の前で彼は自転車が飛び降りた。チェーンを掛けているところで、追いつき私も彼
に続いて、建物の中へと向かう。和風な家。かなり広い。そして門の横には、いかつい男が見張りとして立ち、
分須組とヤクザであることを何も隠さずに大きな表札を掲げている。一体、警察は何をしているのだろうか、と
思いはするが、もちろんここで口に出したりはしない。
「通るぞ」三浦がうむを言わさず、門をくぐろうとする。
 それを止めるように、見張りの男が道を遮った。
「なんだお前、今日が何の……」
「じいさんの通夜だろ。銃で撃たれて死ぬなんて馬鹿みてーな死に方」
 何で、そんな挑発するような言い方をするのだ、こいつは。
 それに三浦の格好は黒を基調にしていたとはいえ、明らかにこういった場に適した格好ではない。どこかの売
れないミュージシャンみたいな薄手のトレーナーを着ているのだ。
「てめえ」
 男が、三浦の胸ぐらを掴もうとする。
「加野は死んでないよな? 三浦が来たって伝えろ」男の顔の前に手を広げ、行動を止めた。「後ろの女はアシ
スタントだ。じゃあ、急ぐから」
 三浦はそれだけ言うとすたすたと室内に上がり込む。男は自らの脅しが効かなかった相手に、何も言えずに固
まっていた。
「失礼しまーす」私も一礼だけして、三浦に続く。
 池のある庭に面した廊下を進み、遺体のある部屋と三浦が突き進む。鹿威しの悠長な響きなど彼にはまったく
届いていないようだ。

36 :No.09 神様の殺し方 2/5 ◇pxtUOeh2oI:09/10/19 15:44:42 ID:rnQpe/yt
「失礼します。この度はご愁傷様です」
 障子を開き、部屋の入り口に三浦が立つ。そのまま、集まっていた人に頭を下げた。
 部屋の中には大勢の人間がいた。明らかにカタギではない人間が八割、一般人だが付き合いがあったのか、と
いうような人がちらほら。そして残りは、葬儀関係者、坊さんや通夜の支度をしている人間だった。半分ぐらい
の人が泣いている。
 私の目に、子供の姿が映った。
 この部屋に子供はその少年しかいない。だから、目に付いた。なんだかぼーっとしていて、場の空気に馴染め
ていないような子供、何を考えているのかは、まるでわからない。少なくとも悲しみに溢れているという表情で
はなかった。少年は、母親らしき女性のスカートに捕まって、所在なさげに豪勢な仏壇の方を眺めていた。
「しばらくの間、みなさんは外に出ていてください」三浦が声を大にして言う。
 若い構成員らしき男が、場違いな格好で現れて、いきなり場を取り仕切る三浦に詰め寄ろうとした。だが、そ
の前に、別の男が三浦の前に現れ、頭を下げていた。
「今日は、お忙しい中ありがとうございあます。奥様のとき以来ですが、よろしくお願いします」
 三十を過ぎたぐらいだと思われる男が言った。見た目は、酷く怖い人であるのに、言葉はとても丁寧で、声は
低く落ち着いていた。場の空気のせいだろうか。ただ、逆にこの声と風貌で脅されたら怖い、とも思える。全体
として、かなり偉い部類の人間なのだろう、と評価できた。
「普通に生きてれば、あと十年後ぐらいに来る予定だったんだけどな。お前の予定は何年後だ? それも俺がや
らなければダメか?」
「それでは、よろしくお願いします」
 男は三浦の問いに答えなかった。部屋にいた者たちを隣の客間に連れて出て行った。
「なんで、挑発するようなこと言うんですか?」
「だってむかつくし、面倒なんだよ。こいつらのせいで仕事が増えるから」三浦が子供のように答える。「子供
がいたのに、気付いていたか?」
「ええ」
「あれが、今日のメインの客だ」三浦がリュックから仕事道具を取り出しつつ言った。「じゃあ始めるぞ」
「はい」
 ここからが、私たちの仕事。その本番だ。死化粧師として。
 三浦が棺桶に近づき、全体の扉を開く。私の仏壇の周りの装飾を横に避けていた。それを終えて、ある程度の
スペースを作り終えると、私は棺桶の中にいる、遺体の顔を拝んだ。何かに怒っているような崩れている顔。通
常ならばここまで酷い形で固まることはないだろう。銃で撃たれ、そして警察の解剖に回されたから、落ち着く

37 :No.09 神様の殺し方 3/5 ◇pxtUOeh2oI:09/10/19 15:45:10 ID:rnQpe/yt
間がなくこうなってしまったのだ。
「上にのっかているドライアイスを片付けろ」
 私は頷いて、指示通りにする。
「どこの医者だよ、こんな下手に縫い付けやがったのは、メスをくれ。一回、切っちまう」
 横の道具箱からメスを手渡すと、三浦は、すぐにそれを首元に入れた。血は出ない。死んでいるので当然だ。
 遺体には銃創が二つあった。首元とお腹の辺り。お腹の方は白装束を着せてしまえば隠れるので、問題はない
が、首元は隠せない。だから病理解剖した医師も一応、取り繕っておいたのだろう。穴は一応は糸で集められ、
小さくなっていた。だけど、まだ新米の私の目から見てもそれは酷い対処だと思えた。これなら、何もしないほ
うがいいのではないか、というぐらい。
 三浦のメスが銃創をくり抜いた。取った肉は足下の壺に入れる。これは後で、火葬のときに一緒に燃やすため。
「ろの三をくれ。一番、小さいので良い。あと詰め物の……」三浦の要求。
 私はすでに自分の判断で準備していたそれを三浦に渡した。人工皮膚の番号「ろの三」と「詰め物の葉肉」を。
 三浦が、それを受け取り、葉肉を銃創に押し込むと、人工皮膚に薄糊を付け遺体に貼り付けた。そして馴染む
ように、メスの背で隙間から空気を抜いていく。そして腰のベルトから取り出した筆で境目に透明の糊を塗って
いく。それの作業が終わると、傷などなかったかのように、自然に汚れた肌がそこに存在していた。私には到底
できないレベルの技。
「本当なら、こんな傷、隠す必要ないんだ」三浦が言葉を漏らす。
 体の方を終えると次は、顔の化粧が始まった。
「ポンプ」
 言われた通りに、渡す。三浦はそのポンプから伸びるホースを遺体の口にテープで取り付けると、力を込めて
レバーを押し込んだ。
 遺体の頬が急激にふくれると、ポンプ内に入れられていた水溶液が鼻から固まった血とともに噴き出した。三
浦がポンプのレバーを戻し、テープを外すと逆流して汚れたボトルごとこちらへ投げる。
 私はそれを使用済みのシートの上に置いた。遺体の顔を見る。血とさまざまな液体で汚れていた。そして私は
その顔を純粋で湿らせた脱脂綿で拭いていく。はじめは、何でこんな酷いことをするのだろうか、と思ったこと
がある。もう死んでしまっている人の顔を内側から痛めつける作業。でも、これは必要なことなのだ。硬直して
しまった死体の表情を少しの間だけ生き返らせるために。
「ドーラン」三浦が口の中に右手を突っ込みながら、左手を伸ばしてきた。「右の頬に適量塗って」
「はい」
 私は指示通りに、もごもごと動いている頬にドーランを塗った。作業は続く。だがそれもあと三十分いないで

38 :No.09 神様の殺し方 4/5 ◇pxtUOeh2oI:09/10/19 15:45:33 ID:rnQpe/yt
やらねばならない。化粧に白装束の着替えに、仏壇の再設置。やることはいくらでもある。時間だけが足りない。
 そうやってその後も、遺体を誠実な遺体へと作り替えていった。それは偽物であるのだけど。

 遺体が三浦の手を離れた。最後に蓋を閉めるのは彼の役目で、三浦は一度、大扉を閉めてから、もう一度、子
扉を開け表情を確認する。私は、作業の終了を告げに行き、多くの人が、部屋に戻ってきた。空は赤色に染まり
始め、雲がオレンジに輝いている。もうすぐ通夜の始まる時間だった。
「ありがとうございます」加野と呼ばれていた男が三浦に挨拶をする。
 目からは涙がこぼれていた。きっと、化粧をし直した遺体を見たのだろう。それは他の多くの人も同じだった。
さっきまでのただ悲しい浮いた空気ではなく、本当に死を受け入れる空気ができていた。
 それが三浦の力なのだ。
 ただ死んだと伝えられただけでは、死を受け入れられない人がいる。生き返るのではないか、どこかで生きて
いるのではないか、そうありえない感傷から抜け出せない人がいる。三浦の死化粧は、そういった人たちに、冷
たい現実を教えるものだった。
 もう、その人は死んでしまったのだよと。
「おじいちゃん、死んじゃったの?」
 さっきの少年が、棺桶なの前に立ち呟いていた。
「おじいちゃんはね、天国に行かれたのよ」母親らしき女が少年に優しく話す。
 たが、少年はその言葉を受け入れなかった。その大人の優しい嘘を。
「違うよ。おじいちゃんは、悪いことばかりしてきたから自分は地獄行きだって、言ってたよ。死んじゃったの
なら地獄に連れてかれちゃうんでしょう。やだよそんなの、かわいそうだよ。僕にはあんなに優しくしてくれた
のに。ねえ、生き返らせてよ。みんな凄い人たちなんでしょう」
 少年は今にも泣き出しそうだった。けれど泣いたら認めてしまうことになりそうで我慢しているように見えた。
さっきまでは、昼間はそんなことを考えてもいなかっただろうに、今、死を知ってしまったのだ。三浦と私の手
によって死化粧を施された祖父を見て。
 加野が、少年の元に近づいていた。何かを言うつもりなのかもしれない。ただ、三浦が右腕を広げ、加野を止
めた。そして代わりに近づいていく。
 少年のすぐ目の前まで進み、母親に微笑んでから、しゃがみ、少年を抱きしめた。
「おじいちゃんはな、死んでしまったんだよ」
 その言葉を聞き、少年は三浦にしがみついた。

39 :No.09 神様の殺し方 5/5 ◇pxtUOeh2oI:09/10/19 15:46:02 ID:rnQpe/yt
「それは、もうわかるよな?」丁寧に、だけど厳しく、整えた言葉を三浦は話す。「生き返るなんてことはでき
ないんだ」
 少年は、目を見開き、一度、間を置いた後で頷いた。
「良い子だ。じゃあ、もう一つだけ、教えてあげよう」三浦が少年の頭をさする。「おじいちゃんは、悪いこと
をしていたと言っていた。君は、おじいちゃんは、優しくしてくれたと言っていた。どちらも、たぶん、正しい。
人間は、いろんな人と生きてきて、いろんな人を傷つけたり、優しくしたりして生きていく。でも、それが悪い
ことだとか、良いことだなんて、誰にも決められない」
 三浦が少年をぎゅっと強く抱きしめる。
「天国や地獄なんてないんだよ」
 少年は、じっと話を聞いていた。
「人は死んでしまったら、消えてしまう。体だけを残すけれど、それもいずれ消えていく。だからって、思い出
の中で生き続けてるなんて馬鹿なことは言わない。わかるよね?」
 少年が頷く。
「おじいさんは、死んでしまった」
 三浦は抱きしめていた腕を離した。
「それだけを、思い出と一緒に覚えていてあげればいい。天国も地獄も、神様だって決められない。死んでしまっ
た者は、もうどこにもいないから。だから、生きている君が……」
「僕が頑張らなくちゃいけない?」
「そう。自分で言えたね」
 少年は、三浦に抱きついて泣き始めた。通夜の会場になんて相応しくないくらいの大きな泣き声だった。だけ
ど、それが一番、真摯で、本当の意味で合っているようにも思う。
 少年の声に合わせるように涙を見せる人たちがたくさんいた。その人たちは、きっと何かしらの思い出を故人
に持っているだろう。
 私も、三浦も泣くことはなかった。いつも通り、喪主とその近くの人に挨拶をして帰る。それが、きっと正し
いのだ。関係のない人なのだから。これは仕事なのだから。泣くことが、涙を見せることが礼儀などではない。
 帰り道、前を進んでいた三浦が止まり、ケータイを取り出した。
「明日は、学校で飛び降り自殺した高校生の案件だってさ」三浦が無邪気に微笑む。「平和な世の中だよね」
「そうですね」
 その返事は本心だった。死者を、真実ではない形に作り替える、こんな仕事が必要とされる世の中なのだから。
 生きている人に、優しさが溢れているのかもしれないと。                  <了>



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