【 白い部屋(お題:タイムリミット) 】
◆Mulb7NIk.Q




16 :No.04 白い部屋 1/3 ◇Mulb7NIk.Q:09/11/16 00:58:36 ID:tdvUfiAZ
 私は白い部屋の中にいた。四畳ほどの空間。天井はそう高くなく、大体二・五メートルくらいだろうか。部屋に
は窓も扉もない。白い壁が四方を囲っているばかり。壁自体がなにか光を放っているようで、部屋の中は眩しいく
らいに明るかった。電灯らしきものは見当たらない。
 他に有るものといえば、壁の上方にシンプルな丸い掛け時計が一つと、その下に長方形のデジタル表示機が埋め
込まれているだけだった……。
 
 この部屋には奇妙な機構がある。時計の針が十二時きっかりを指したとき、表示機が点灯するのだ。
『03:00:00』と。
 そしてだ、ここからが重要なのでどうか笑わずに聞いてほしい。
 表示機の点灯に合わせて、壁から一本の脚が水平にせり出してくるのだ。感動するほど滑らかな動きで。
『02:59:99』
 表示機は稼動する。私に与えられたのは三分間。三分を過ぎると、脚は再び壁の中へ……。
 
 何もない白い部屋の中で、十二時間周期の「脚いじり」だけが私の娯楽であった。
 脚は塑像などではなくて、本物だ。指先で押すと柔らかな弾力が返ってくるし、近くで見ると産毛が確認できる。
触ったときに感じる肌理の細かさや、しなやかな形から判断するに――成熟した、女の脚。
 私は脚を眺めたり、触ったりするのに飽き足らず、舌で舐めることもしばしばあった。土踏まずの辺りをくすぐっ
たりもした。その度に、身悶えするように軽く痙攣するので面白かった。風采こそ大人のそれであるが、反応は生
娘そのものだ。
 脚は素足でせり出してくることもあるし、紺色のニーソックスや、網タイツの場合もあった。
 しかし、どんなときでもただ一つだけ共通している事項がある。
 脚は汗に蒸れて、強烈な匂いを放っているのだ。月並な言い方ではあるが、腐ったチーズのような芳香を周囲に
漂わせている。
 残念ながら私は、汗の匂いに対するフェティシズムを持ち合わせていなかった。
 臭気にまみれつつ、怒涛の三分間を如何にして楽しもうか。十一時間と五十七分ある空き時間を最大限に活用し
て、私は私なりに考え抜く日々を過ごしていた……。

 *

17 :No.04 白い部屋 2/3 ◇Mulb7NIk.Q:09/11/16 00:58:59 ID:tdvUfiAZ
 ここから唐突な話になるのだが、ある日私は死のうと思った。
 しかしだな、ちょっと想像してみたまえ。白い部屋のことを。こんな、わけの分からない部屋に長い間幽閉され
たらば……苦痛どころの騒ぎではない。特殊な拷問だ。だから、私が死にたいと思っても、そいつは人としてまっ
とうな考えだとは思わないか? 同情して欲しいのではない。ただ、私は一縷の理解を求めておきたいだけだ。
 
 そして私は自死のために行動するわけだが、白い部屋の不思議な作用はそれを許さなかった。
 白い部屋ではまず、腹が減らない。息を止めても苦しくならない。自分で自分を殴ってみても、手ごたえはある
のに衝撃がない。殴る瞬間だけ、骨や筋肉が一つ残らずゴムみたいに柔らかくなったような感覚。当然、舌を噛む
にも力が入らなかった。私は悲嘆に暮れつつ、掌を見た。視線を五本の指から、腕、そして胴体へ移す。顔は、見
えない。当たり前だ。しかし、顔が見えないのはそら恐ろしいことだと感じた。私は果たして、本当に私自身なの
だろうか。せめて鏡の一つでもあればいいのに。いや、それでは意味が無いのかもしれない。一番確実なのは他者
との関係において自身の立ち位置を認識することだ。この作業は急を要する。無理な注文だが。
 もう一度、掌を見た。薄く、とても薄くではあるが――自分が白くなっているように感じた。

 *

 変化は時として、絶望をもたらすらしい。
 簡潔に話そう。ある日、時計と表示機とが消えたのだ。二つは音もなく、白い底なし沼へ吸い込まれていった。
小さいようで大きな変化。
 時間の感覚を失うことで、さらに私は追い詰められた。秒は際限なく伸縮する。息苦しさが増す。
 そうなると、脚だけが頼みの綱になった。「脚を待つ」行為が私の自我を危ういところで繋ぎ止めていた。
 脚がせり出す三分、その時々によって三分が三秒にも三十分にも感じられる。もう既に、脚いじりなどする余力
はない。脚が壁に飲み込まれてから、次の出現まで、永遠に近い絶え間が待っていた……。
 私は脚を待ちながら、ひしひしと感じたことがある。人間には確固たる目安が必要だ、と。朝が来て、また夜が
来るような、それくらいの確かさの中に身を置かなければ不安になってしまう。
 ともすると『不確かな私』は、時が止まってしまったのではないか、などと考え始めてしまう。ただみだりに恐
怖を太らせるのは明白であったが、それでも私は自分自身をいっそう苦しめずにはいられなかった。思考を止めた
瞬間、脚が私を見捨てるような気がして。
 そして懊悩の後に掌を見ると、確実に私は白くなっていた。白の侵蝕は進んでいる。もし私が、完全に白くなっ
てしまったら、私と部屋を区別するものは何もない。白い部屋の中に私の精神が浮遊するヴィジョン。

18 :No.04 白い部屋 3/3 ◇Mulb7NIk.Q:09/11/16 00:59:18 ID:tdvUfiAZ
 私がいつかどろどろに溶けてしまったとして、部屋が私なのか私が部屋なのか、私が白であるのか白の中に私が
いるのか、どうして決定的に区別できようかと、そういう取り留めもないことを考えた。
 自分が無機になっていく。破滅の瞬間が、指数関数的な速度で近づいてきた。

 大きな自己矛盾に気が付いたのは、心が磨り減ってしまった後だ。当初、健全な心の私は死にたいと願った。し
かしながら破滅の淵が近づくにつれ、生きたいと願っている私がいた。たいした皮肉ではないか。もう笑うしかな
い。本能のなせる業か?
 だがいくら願っても、白い部屋から開放されることはないだろう。直感で分かるほど、白い部屋は絶大な閉塞性
を誇っている。だからせめて、私は一日でも精神を生き永らえさせようとした。
 前述した通り、白い部屋にあって肉体の不滅は保証される。しかしまあ、白に飲み込まれることで、肉体がどう
なるか分かったものではないが。
 結局、私が生きるために必要なのは脚だった。せり出す脚は私にとって無言の神威を帯びた。神威にすがりつく
ことで、私は白い部屋の侵蝕に対抗した。
 しかしそれも対症療法に過ぎず、決定的な打開策は見つからない。宇宙に放り出されたような絶望が私を襲う。
最後は、神ならぬ脚に祈るほかなかった。私は奇跡を望む一本の葦になった。
 手を組み、跪き、一心不乱に祈りを捧げた。途切れかけた意識の中で、ようやく脚がせり出してくるのを目撃し、
よろめきつつ、脚の前で頭を垂れた。奇跡はその時訪れたのだ。

 脚が私を踏んだ。何度も何度も私を足蹴にする。蒸れた素足のしとった肉感を、肌で感じる。汗のおぞましい臭
気を鼻いっぱいに吸い込む。脚はあの手この手で容赦なく私を苛む。
 そして足の指を舐めるのではなく、「舐めさせられた」。その行為に、私は至上の幸福を見出した。

 美しく、臭い脚が執拗に私を責めつける。
 だが、それに伴う甘い痛みによって――生の実感を得るのであった。
 たちまち私は血色を取り戻し、白の呪縛を打ち破った。生の疼き。白い部屋は崩壊した。私は蘇った。



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