【 廃棄処分 】
◆h97CRfGlsw




41 :No.13 廃棄処分 1/5  ◇h97CRfGlsw:09/12/07 00:16:41 ID:o+WXVvXs
「では、今日も一日お客様に感謝と愛情を持って接客できるよう、笑顔の練習を行います」
 朝礼の締めにいつもやっているスマイルトレーニングというやつなのだが、しかし私の正面にいる女の子の表情筋は、
ぴくりとも動かなかった。仏頂面とはまた違う、声が届いているのか不安になるような無表情。私がにこりと引きつった
笑みを向けても、彼女はじいとこちらの顔を見つめるばかり。28歳独身、店長歴二年。親から押し付けられた小規模
スーパーを手探りで経営する日々に苦労は尽きないが、流石にこれは初体験だった。
「て、店長、すみません! マリちゃん、笑顔を浮かべるのが苦手なんです」
 どうしたもんだろう、と困惑していると、山田君が女の子を庇うように前へ出て言った。背の高い、綺麗な顔の青年だ。
「い、いや、その、別にいいんだけれどね。……いや、よくはないけど」
「すみません。ほらマリちゃん、にこってしてみて?」
 山田君に促され、女の子もといマリちゃんはにこっとするかと思われたがしなかった。彼の顔をじいと見上げ、特に何も言う
こともなくぴたりと固まっている。困り顔の彼に唇の端を持ち上げられても、笑う気はさらさらないようだった。
 彼女を一日、バイトとして社会勉強させてほしい。そう山田君に頼みこまれ、そっか彼女いたのね君と消沈しつつも承諾し、
そしてやってきたのがマリちゃんだった。身長は百四十センチ程度。漆黒の髪が腰辺りまで伸び、長い前髪は垂れ幕を開くように
ヘアピンで左右に分けられている。小ぶりな顔に大きな目が載っているが、しかしその瞳は、半分ほど瞼に隠れてしまっていた。
黒と白を基調としたひらひらのゴスロリ服が似合う、不思議な少女だった。お店統一のネーム入りエプロンが、驚くほど似合わない。
 山田君の知り合いなら問題ないだろう、と簡単に考えていたのが間違いだったのかもしれない。連れてこられた女の子は
確かに愛らしくはあったが、彼女をスーパーの何処で使えばいいのか、少し見当がつかない。
「じ、じゃあ、とりあえず解散。各自持ち場の準備を開始してください。……あー、それと君は……」
 変な意匠の女の子に興味を示しつつも、とりあえず各部署に散っていく従業員を視界の端に、私はマリちゃんと改めて
向き合った。まあレジを触らせておけばいいかな、という安易な考えは、黙して語らぬ彼女を前に断念せざるをえないだろう。
「じ、じゃあ、お惣菜にでも行ってもらおうかな。そこなら、山田君もいるしさ。ね?」
 丸投げできる部署を候補に挙げる。しかしその提案は、マリちゃんよりも山田君のお気に召さなかったらしく、
「何言ってるんですか! 万が一マリちゃんの手に油が跳ねたら、一体どうなってしまうんですか!?」
「や、火傷するんじゃないかな」
「駄目です駄目! そんな危ない所は却下です! 今日は僕が彼女について回りますので、他の部署を!」
 鬼気迫る表情の山田君に詰め寄られ、事務室の壁に背をつけてどうどうと宥める。鼻息を荒くする彼と、素知らぬ
顔で壁に貼られた今週のチラシを見つめるマリちゃん。事務室にちらほら残っている従業員たちが誰も助けてくれないので、
私は仕方なく自分が普段手伝っている品出しの仕事を勧めることにした。
「まあ、いいでしょう。……ただ、絶対に彼女が怪我などしないよう留意して下さい。いいですか、万が一は許されません」
 は、はい、と思わず頷いてしまう。随分彼女を大切にしているんだなあと、少し悲しくなりつつ、私は小さく溜息をついた。


42 :No.13 廃棄処分 2/5  ◇h97CRfGlsw:09/12/07 00:17:29 ID:o+WXVvXs
「マリちゃん、いい? 今から店長が指示を出すから。ちゃんと言うことを聞いて、迷惑かけないようにね」
 子供に言い聞かせるような口調でマリちゃんに念を置くと、山田君は惣菜コーナーのチーフに腕を掴まれて
引きずられていった。ついて回る、と言ってはいたが彼にも仕事がある。従業員の少ない小規模小売店、欠員を
出すわけにはいかない。ということで、事務整理を後回しにして、私がマリちゃんの世話役を務めるわけだ。
「あの、マリちゃん、気をつけてね。結構重たいものが多いから、怪我しないようにしてね?」
 店の裏側の、倉庫兼搬入口の隅に二人、私はマリちゃんに品出しを手伝うように指示をした。聞いているのかいないのか、
判断に困る無表情で頷きもしない彼女だったが、くるりと私に背を向けると近くの台車をからからと転がしていった。
 彼女は一体、どういうタイプの人間なのだろうか。それなりに長い人生を送ってきたが、こうまでコミュニケーションを
頑なに拒む女の子は初めてだ。別に悪いダメだと言うつもりはないけれど、人生、あれで渡っていけるのだろうか。心配だ。
 しかしマリちゃんは意外にも、黙々と台車に籠を乗っけている。大きめ青のエプロンが右へ左へ、小さな体で頑張っている。
私も頑張ろう、と手近にあったお菓子の籠に手を伸ばしたところで――ガシャン!という大きな音が倉庫に響いた。
 見れば、マリちゃんの御御足を、パック牛乳の詰まった籠が思い切り押し潰していた。
「ま、マリちゃァァ――ん!?」
「……」
「いや『……』じゃないよ! だ、大丈夫!?」
 慌てて駆け寄り、裕に十キロはある籠をぬおーっと脇にどかせる。足の甲に籠の角がめり込む、もの凄く痛そうな絵だった。
しかし当の本人は、足の痛みより急に大声を出した私の方が気になるのか、ついと顎をあげて私の顔を見つめていた。
「へ、平気? 痛くないの? 我慢しなくても、私は笑ったりしないよ?」
 昔は自分も、こういうミスをやらかしたものだ。重さもあり、手を引っ掛ける部分の小さい籠は、ただでさえ持ちにくいうえに結露して
滑りやすい。自爆した挙句笑われた苦い経験があるので、私は大いに彼女の心中を察して顔をしかめるのだが。
「……」
 結局、彼女は何も言わないまま牛乳の籠を持ち直すと、台車に危なげなく積み直した。そしてゆっくりとそれを押して、
売り場の方へと消えていってしまう。ぽかんとその背を見つめて、私は困惑に眉根を寄せた。本当に、平気なのだろうか。
「なんだか大きな音がしましたけど。マリちゃん、ちゃんとやれてますか?」
「え!? あ、う、うん。今、売り場の方に品物を運んで行ったよ」
「そうですか。マリちゃんのこと、よろしく頼みますね。……くれぐれも彼女に傷をつけないよう、お願いします」
 顔を覗かせて含みのある言葉を告げる山田君にひやりとするものを感じつつ、私はわかってるよと頷き返し、慌ててマリちゃんの
後を追った。再び腕を引かれていく彼の視線を背中に感じて、頬を冷や汗が流れていった。
 売り場に出ると、マリちゃんは早速牛乳を棚の奥に詰め込んでいた。妙な耐久力を発揮した彼女を横目に、私も品出しの作業を始める。
山田君は怪我に気をつけて、と言っていたが……あの様子だと、彼女は手に油が跳ねた程度では全く動じないような気もする。


43 :No.13 廃棄処分 3/5  ◇h97CRfGlsw:09/12/07 00:18:08 ID:o+WXVvXs
 初めて彼女と相対したときには一体どうなってしまうのだろうと心配していたのだが、仕事ぶりを見ているとそれは
杞憂だったらしい。せっせと商品を並べていく彼女は相変わらずの無表情だったが、仕事中なんて皆あんなものだろう。
 この様子なら、放っておいても平気かも知れない。高い場所に商品を置くために精一杯の背伸びをしているマリちゃんは、
もはや一端のアルバイターと呼んでも過言ではないだろう。あれなら大丈夫だよね、と目を放したところで――
「ねえお嬢ちゃん、お醤油ってどこにあるか知ってるかしら」
 彼女に話しかけるお客様が現れた。私の判断は早かった。マリちゃんが反応を返す前に台車を放り、彼女の許へと
ダッシュで駆けつけ、ようとしたところで首根っこを掴んで止められた。ぐえっとむせつつ振り返ると、やはり山田君だった。
「店長、ここはマリちゃんに任せてください。あの子にだって、案内程度はできるって僕は信じてます」
「失敗したとき困るの、私なんだけど……」
 私の意見は聞き入れられず、彼に腕を引かれるまま陳列棚の陰に隠れて様子をうかがうことになった。マリちゃんは
緩慢な動作で客のご婦人を振り返ると、私にしたようにじいと顔を見つめ始めた。しばしの沈黙の後、これなんだけどとチラシを渡されて、
今度はそれに視線を向ける。注視した後、彼女は誰かを探すように辺りを見回したが、助け船は陳列棚に引っ掛かっている。
「わからないかしら?」
 じい、と彼女はチラシを見つめ直した。よく見れば僅かに瞼が持ち上がっている、ような気がする。張り切っているのか
焦っているのはかは判然としないが、マリちゃんは自分で何とかしようとしている。頑張れ、と背後の山田君が呟いた。
 そしてついに、マリちゃんが動き出した。お客様にふいと背を向けると、ゆっくりと歩く。ついてきて、と背中が語っていた。
後に従って歩くご婦人と一緒になって追跡すると、マリちゃんは滞りなく、特売で普段とは違う陳列のお醤油の許へと辿り着いた。
「あら、いつもの場所にないと思ったら、ここにいっぱいあったのね。ありがとうお嬢ちゃん、助かったわ」
 ご婦人は、お醤油を見つめるマリちゃんの頭を軽く撫でると笑顔を浮かべ、お礼を言った。手を振って立ち去っていくご婦人を
見つめる彼女は相変わらずの無表情ではあったが、なんとなく、感じ入っているようにも見えた。少し、嬉しそうだ。
「ほら、やっぱりマリちゃんだってやればできるんですよ! 仕事だってできる! 店長も、そう思いますよね?」
「う、うん。ぼーっとしてるようで、なかなかやると思うけど」
「じゃあ、次はレジを任せてみてください」
 え、ええー……。それは流石に早急というか無理なんじゃないという意見は、目を輝かせる山田君を前に封殺された。
山積みされたお醤油の前で固まっていたマリちゃんに駆け寄り、ちょいちょいと手招きして、レジの方へと連れていくことにする。
「えっと、次はレジの方をやってもらうんだけれど……大丈夫かな」
「マリちゃん、接客は笑顔が重要なんだよ。ほら、にこってしてみて?」
「……」
 石膏の像のように、しかし彼女の表情は変わらない。山田君が少し落胆した様子で惣菜の厨房へと引きずられていくのを視界の端に、
とりあえず今レジを担っている女子大生の子に交代を告げる。私を背後霊にして、無口少女マリちゃんはバーコードリーダーを装備した。


44 :No.13 廃棄処分 4/5  ◇h97CRfGlsw:09/12/07 00:18:56 ID:o+WXVvXs
「店長、お疲れ様です」
 午後も二時を過ぎた辺りで、ようやっと私も休憩を取ることができた。詰め所に入ると、手近な席でおにぎりを
咥えていたパートさんが片手をあげた。口元が緩んでいるのは、私と件の少女の一幕を覗き見ていたのだろう。
 マリちゃんは、流石に若いだけあって物覚えは良かった。レジの使い方は私の実演と簡単な説明だけでマスターし、
リーダー捌きも実に卓越していた。代金の打ち込みも早かったし、お釣りの額も間違えなかった。私より優秀かもしれない。
 しかしやはり、まったく客と会話をしようとしないのだった。マリちゃんが無表情のままてきぱきとバーコードを読み取り、
料金を私が横から告げ、彼女が差し出された代金を受け取りお釣りを渡し、私がにこにこセンキューと頭を下げるのだ。
「じゃ、あたしは持ち場に戻りますので。マリちゃん、午後も頑張ってね」
 パートさんは隅の椅子にちょこんと腰かけているマリちゃんの頭を撫でると、にこやかな笑顔を残して部屋を出ていった。
小動物的な愛らしさを発散しているのか、彼女は客からも時々頭を撫でられていた。当然私はスルーなので、結構所在なかったりする。
「そういえば、マリちゃんはどうしてここでバイトしようと思ったの?」
 休憩時間がずれこんで、詰め所には私とマリちゃんしかいない。手持無沙汰なのもあったし、しんとした空気に耐えきれなかった
こともあって、私はなんとなく話題を提供したが、例によって例のごとく彼女はこっちを見るだけだった。
 彼女はパックに入ったゼリー飲料を唇に咥えている。ラベルのない銀色のパックだったので、何かの特注品かもしれない。
それって何?どこで買ったの?と質問をしたところでまあ、返答はないのだろうけれど。はふ、と小さく溜息を吐いたところで――
「……求められている」
 ぼそり、とやや掠れた声で、言葉が発された。顔をあげると、マリちゃんは口からパックを離し、視線を少し下げていた。
顔を会わせて早四時間、ようやっと会話が成立したことに、私は思わず感動してしまった。
「も、求められてるって、なにを? 山田君に? どういうこと? アルバイトに関係があるの?」
「……」
「す、すみません」
 表情は変わっていないが、こちらを見つめる視線に少し棘があるような気がする。しかし、気になることだらけなのだ、
問い詰めたくもなるというもので。色々と知りたいこともあるが、とりあえず一つ、彼女に尋ねる。
「求められてる、っていうのは?」
「笑顔」
「どうして?」
「必要。主の名誉の為、私は応えなければならない」
「……そ、そうなんだ?」
 今一意味のわからない内容のお話だが、当の本人は極めて真剣なようだった。凝り固まって動かないように思えていた表情も、
少し陰っているように見えた。それきり黙りこんでしまった彼女をじっと見つめて、今日の昼休憩は、終わりを迎えた。

45 :No.13 廃棄処分 5/5  ◇h97CRfGlsw:09/12/07 00:19:38 ID:o+WXVvXs
 結局今日一日、彼女が笑うことはなかった。レジの仕事自体はきっちりとこなしてはいるものの、マリちゃん一人に
任せるということはまだ無理だ。喋ってくれればまだやりようもあるが、彼女は口も開かない。
 彼女の顔を見つめていると、時々、睫毛や口元が揺れるときがある。笑顔を作ろうと頑張っているのだろうと思うと、横から
何故和笑わない、などと無粋な注意などは出来ようもなかった。彼女だってきっと、そんなことはわかっているのだ……。
「今日は一日、ありがとうございました」
 午後六時ごろ、二人は揃って仕事を終えた。私も彼女の監督という仕事から解放されて、ほっとするかと思ったが、
残念だと思う気持ちの方が大きかった。礼を述べる山田君の隣に佇んでいる彼女はなんだか、より小さく見えた。
「ごめんね。あんまり社会勉強、させてあげられなかったように思う。役に立てなかったね」
「いえ、店長には無理を言ってしまって。……それにもう、いいんです。多分僕には才能がない。手を尽くしても、この様です」
「な、なんの話?」
 マリちゃんといい彼といい、今日はどうにも自分の世界からものを言われることが多い。聞き返したが、山田君はいえ、
とはぐらかし、マリちゃんの手を握った。彼女の腕を引いて帰ってしまおうとするのを、私は慌てて止めた。
「ま、待ってよ。今日一日だけなんだから、ここでマリちゃんにお給金を渡しておくよ」
「……それもそうでした。じゃあ、僕は先に行っているので」
 引きとめられて足を止めたが、彼は彼女を置いてさっさと行ってしまった。今朝方からの過保護ぶりを鑑みると、冷たさ
すら感じるような淡白ぶりだった。そんなに彼女が笑顔を浮かべなかったことが不満なのだろうかと、少し眉をひそめる。
「ほら、これ。ちょっとだけど、色をつけておいたから。今日はご苦労様だったね」
「……」
「ゆっくり休んで一杯寝れば、すぐに疲れもとれると思うからさ。足も、もしまだ痛いようだったら、お医者さんに診てもらってよ?」
 厄介そうな女の子だなと、初対面で思った印象はなりを潜めていた。たった一日だけの関わりではあるが、なんだか
少し、親しくなったように思えた。おそらく一方的な感情だとは思うけれど、いい。また一緒に、働きたいとすら思った。一日は短い。
 彼女はただ、じいと私のことを見つめていた。給料の入った白い封筒を小さな手に握りしめて、じっと、私のことを見つめていた。
確かに無表情ではある。それでも、私は悲しそうな顔だと思った。表情という出力が働かなくても、感情そのものは、確かに彼女の内にある。
 僅かに彼女の顔が下がった。そしてくるりと踵を返すと、先に行ってしまった彼を追って歩き出した。一日が終わり、彼女とはこれで、お別れだ。
「また、練習しにおいでよ。待ってるから」
 ――こちらに向けられた小さな背があまりにも寂しそうに見えて、私は思わず呼び止めた。彼女は立ち止り、首だけを曲げてこちらを見やった。
 笑顔とは、なんて講釈は止めておいた。顔の筋肉は手段でしかなく、感情は理屈ではない。それを知っているから、彼女は笑みを浮かべられない。
笑顔に大切なのはきっと、それを向けられることだと思う。だから私は笑顔で手を振って、またねと彼女に伝えることにした。また、またいつか。
「……うん」
 見間違いだったかもしれない。しかし確かに、こちらに手を振り返した彼女の顔には、彼女自身気付かないような、僅かな笑みがあった。



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