【 一つのメタファー 】
◆VrZsdeGa.U




31 :No.07 一つのメタファー 1/5 ◇VrZsdeGa.U:09/12/13 23:45:06 ID:rt4Ai3W3
 昔、ある藩では藩主がことのほか相撲を好んだため、領内の村の偉丈夫たちを藩邸にまねき、定期的に相撲大会を催し
ていた。優勝した者の住む村はいくぶんの税が免れるとあって、村々は選りすぐりの力士を藩邸に送ったものだから、毎
度なかなかの盛況を博したという。
 東の村には才蔵という好力士があった。張り手やぶちかましは樹齢の長い大木すらも揺らし、米を運べば一度に八俵を
担ぐほどの怪力で知られ、相撲をはじめて間もないながら、村では敵がなくなりつつあった。東の村では代表を決める際、
藩の大会と同様、参加者全員の総当たり制を採っていたが、村人の間では、才蔵が代表になるだろう、というのがもっぱ
らの評判であり、早々と参加をとりやめる者もあらわれるくらいであった。
 しかし、こうした評判に心中穏やかでない者もある。的次(てきじ)という男がいるのだが、彼は才蔵が頭角を現すま
で、長きにわたって村の代表を務めた力士であった。大会でもそこそこの成績を常々残していたのだが、才蔵が相撲を覚
えると、相手にしてもまるで歯が立たず状況は一変し、村の代表さえも危ぶまれつつあったのだ。才蔵の力は認めこそす
れ、これ以上自尊心を崩されるのはたまったものでない。的次にしてみれば、今度こそ、と勇み立つはものの、まともに
立ち向かったところで返り討ちにされるのは目に見えている。どうにか勝つ方法はあるまいか、と悩んだあげく、的次は
才蔵の稽古をこっそり盗み見ることを思いついた。
 思い立ったが吉日、とばかりに明くる日、的次は才蔵の住居に出かけ、敵情を視察することにした。されど、目につく
ものは、自らの体より一回り大きな岩を抱えながら家のまわりを走る姿や、その岩を砕かんばかりに浴びせられる張り手
など、むしろ的次の戦意を失わせる光景しかなかったのである。
「いまさらだが、こいつは勝ち目がねえな」
 木陰にて唖然としつつ、的次はつぶやいた。彼のことを知ってか知らずか、張り手を止めたかと思いきや、才蔵は疲れ
も見せず、ぶちかましの鍛練へと移っていた。右半身にありったけの力を込め、岩に当たるさまは、さながら猪を彷彿さ
せた。呆然とながめつつも、的次はふと我に返り、その様子からあることに気づいた。才蔵は右半身のぶちかまししか試
していないではないか。いつか左半身に移るのか、と思いきや、満足したらしく、川の方へと水浴びに行ってしまった。
「もしや」と、的次はひとりでに言った。「立ち合いで右に避ければいいのではないか」
 つまり、真正面からあのぶちかましを食らってはひとたまりもないから、かわすことで隙を見出そう、というはらづも
りである。たしかに的次にとっては、有効な策だったかもしれない。とはいえ、立ち合いで肩すかしをくらわすことは、
真っ向勝負を捨てることを意味し、好ましくないとされている。繰り出そうものなら、いかに村の顰蹙を買うか。しかし、
的次はそんなことなど気にも掛けず、すぐさまその場を離れ、自らの特訓に向かった。勝利と言う大きな影が、面子や体
裁という光を呑みこんでいたのだ。

32 :No.07 一つのメタファー 2/5 ◇VrZsdeGa.U:09/12/13 23:45:31 ID:rt4Ai3W3
 やがて、代表を決める日が訪れた。このたびの参加者は才蔵と的次の二人だけとなったため、人々はいささか興が削が
れると残念がっていたが、的次にとっては好都合だった。他の力士との取組で疲弊し、いざ才蔵と顔を合わせた際、動き
が鈍ってしまっていてはせっかくの策も意味をなさない。取組の時間まで、的次は余念なく立ち合いの動きを確かめてい
た。右に変わって、がらあきの体をつっぱる、右に変わって、がらあきの体をつっぱる。相変わらず、それが身にならぬ
ことに気づかぬまま。
 二人の土俵入りが行われる頃には多くの村人が集まり、声援を送り始めていた。もちろん、歓声が多く寄せられるのは
才蔵の方である。劣勢に立たされた的次であったが、本人にとっては目論みがばれぬよう平静を装う方が重要だった。泰
然と構える才蔵のまなざしを受け、尻込みするようなことがあってもならない。高鳴る鼓動をおさえつつ、的次は先に仕
切り線に手をついた。はやる気をうかがわせるためである。遅れること数秒にして、才蔵も両手をつく。観衆は固唾を呑
んで見守っていた。
「見合って見合って」行司が声を張り上げる。「八卦良い!」
 立ち合った瞬間、観衆の期待は大きく裏切られた。巨体と巨体が壮絶にぶつかりあう、と思いきや、あろうことか的次
が右に避け、肩すかしをくらわせたのである。目標を失った才蔵の体は隙だらけになり、的次のつっぱりをあっさりと許
し、土俵をあえなく割ってしまった。結果は結果。だが観衆が憮然としただけでなく、行司さえも軍配を示すのを忘れる
ほど、あっけなく、納得のいきがたい結果だった。
 本来は勝利の喜びに湧き立つはずだった的次の心も、土俵を包む雰囲気のせいか、空虚なものを覚えていた。

 ともあれ村の代表になった的次であったが、藩の大会については他村の代表全員に負けるという、惨憺たる結果に終わ
った。単純に的次が弱かった、というのもあるが、才蔵を負かすことに躍起になるがあまり、自己の型というものの確立
を怠ったのが一番の原因だった。その証拠に、取組の大半は立ち合いの変化に失敗し、みじめに土俵を割ってしまう、と
いうものばかりだったのだ。大会の途中、的次はようやく自らの怠慢に気がついた。しかし、いまさら取り口を変えたと
ころで遅い。真っ向から臨んだところであえなく負かされてしまう彼の姿には、村の人々のみならず、藩に仕える人々さ
えも目を覆ってしまう有様。
「なんだありゃあ」「どこの村の力士だよ」「才蔵のかわりがあんなんじゃ張り合いがないぜ」
 だんだん、的次はいたたまれない思いに駆られ始めていた。目先の敵にかかずらい、自己を見失う。愚か者の典型に嵌
まった的次だったが、彼はそのことを恥ずかしく思っていたのでなく、我が身が非難にさらされることがたまらなく嫌だ
った。結局的次は村の恥さらしとみなされ、次の大会に参加することを禁じられてしまった。

33 :No.07 一つのメタファー 3/5 ◇VrZsdeGa.U:09/12/13 23:45:54 ID:rt4Ai3W3
 あくる年、才蔵は再び村の代表に選ばれた。的次の参加禁止により、村で立ち向かおうとする者がいなくなったため、
戦うことなく代表になった才蔵ではあったが、それをもろともせず、無類の強さはいかんなく発揮された。八戦終わって
全勝。残り二戦の相手は、七勝一敗の前回の準優勝者と、全勝の前回の優勝者であり、事実上三つ巴の様相を呈していた。
 これを面白くなく思っていたのは的次である。嫌な記憶があるとはいえ、彼はどうにも才蔵のことが気にかかり藩邸へ
と訪れていたのだ。彼にとって何より我慢がならなかったのは、取組が終わるたび、才蔵が村の人間から手厚く歓迎され
ることだった。見捨てられた自分に対し、温かく迎えられる敵。なぜそうなっているのかも知らぬまま、的次はその光景
を恨めしく眺めていた。取組が終わるたび恨みは募り、彼はふと、村人の前で才蔵に恥をかかせてやれないか、と思った。
「へぇ、あいつに弱点なんてあるのか」
 的次は次の相手となる力士のもとへおもむき、彼に才蔵の弱点を教えてやる、という相談をもちかけた。
「そうだ、俺は去年村の代表を懸けて戦ったんだがな、才蔵はいつも右を前にして立ち合うんだ。そこでこっちから右に
避けてやればあいつだってひとたまりもない、って寸法だ」的次は得々として力士に語った。
「ふぅん、なんだか信用ならねえな、お前が風評を流してるとも限らんし」
「べつにそいつは心配いらねえよ、第一あんたも俺が去年ここで恥かいたことは知ってるだろう? てことは、俺が的次
に勝った証拠でもあるわけだ。それに、俺はやつの恥をかいたところが今一番見たいんだ」
 ふぅん、と力士は再びうなりながら、的次の顔つきをまじまじと見つめていた。まもなく嘘はないと踏んだのか、
「ようし、まぁ参考くらいにはしてやるよ」と、ふんぞりかえって言った。
 的次は右だからな、と念を押すように言ったが、彼にはもはや誇りや羞恥というものは全くうかがえず、復讐だけに身
を任せた俗物の表情だけがあらわれていた。
「しかしなんだ」力士は的次の顔を見ながら言った。「お前、相当な愚物だな、”はらから”を売るなんてよ」
 唐突な言葉に、的次は竦然とした。そもそも自分が愚かな振る舞いをしている、との自覚がないままの行為だったため、
驚きはひとしおであった。立ち上がって会場へと向かう力士をよそに、的次はずっとすわりつくしたまま、言葉の意味を
はかりかねていた。愚かだというのか、他人の手とはいえ、自らの敵を倒すことが。いや、むしろ才蔵を敵とみなすこと
が。的次はうすうす、心におだやかならぬものが湧き始めているのを感じ取った。

34 :No.07 一つのメタファー 4/5 ◇VrZsdeGa.U:09/12/13 23:46:15 ID:rt4Ai3W3
 的次が会場に着くころには土俵入りが終わり、両者は仕切り始めていた。
「八卦良い!」
 行司の声が轟くが早いか、力士は右へと変わった。本来なら才蔵はのれんに腕押しとばかりに、だれもいない空間へと
突っ込むはずだった。現に、才蔵は右を前にして立ち上がっていた。されど、才蔵は相手の動きを読み、瞬時に左へと力
の方向を変えたのである。変わることばかりに意識が集中していた力士は、注意が散漫になり、一気呵成に土俵外へと突
き出されてしまった。
「東!」行司の軍配が上がる。
 倒れこんだ力士は、信じられないといった具合に宙を見上げていたが、的次は状況を即座にのみこんだ。才蔵は自身の
弱点を理解した上で、対抗策をすでに講じていたのだ。自らの野望が打ち砕かれたと同時に、的次は先程感じ取った感情
の正体を知った。罪の意識である。才蔵は雌伏の時も努力を重ね、欠点を克服していたというのに、自分はと言えばより
によって彼の敗北を願っていた。なんと恥かしい行いであろう。力士としてだけでなく、人間としても、的次は自分が才
蔵に劣っていることを思い知った。
 良心の目覚めは、的次を贖罪へと駆り立てた。次の相手は才蔵と同じく、ここまで全勝を保つ力士である。ならば、せ
めて才蔵を楽にさせるために、相手の特徴を知らせねば。的次は方々をまわり、情報を仕入れようとした。
「あいつは突っ張りが得意なんだよ。そのかわり、まわしをつかまれると、とことん駄目になっちまう」
 彼の奔走は果たして、力士と対戦した者から情報を得ることによって実を結んだ。的次はすぐさま才蔵の許へとおもむ
き、そのことを知らせようとした。
「おう、的次じゃないか、お前も応援に来てくれたのか、ありがたい」
 才蔵は的次をすがすがしいまでの笑顔で迎えた。それは的次の心を強く締め付けたが、今はそれどころではない。
「才蔵、次の相手だがな、やつの弱みを教えてもらったんだ。これで次の取り組みは楽になるだろう」
 親切心から発した言葉だったが、存外、才蔵の反応は芳しくなかった。
「いや、悪いが気持ちだけ受け取っておこう。いらぬ節介はしないでくれ」
「いらぬ節介だと?」的次は思わず声を荒らげそうになる。「優勝すれば税はまぬがれ、村が楽になるではないか。お前
は期待を背負っておるのだ、つまり村の利益にもなる。それがいらぬ節介とはいかなる了見か」
「敵の弱みにつけこむなど、性に合わん。それよりもおれは真っ向勝負で相手に勝ちたい」
 的次には、才蔵の言葉が綺麗事にしか聞こえず、憤慨のあまり才蔵の両肩に手を当て、
「生ぬるいことをぬかすな、俺の今の有様をみろ、負けたらかくも無残になるのだぞ」と言う。
 的次の怨念まじりのにらみに対し、才蔵は誠実なまなざしで返した。的次がたじろいでしまうほどに。
「的次、お前は勝てば村の利益になると言ったな」才蔵はゆっくりと言った。「確かにお前の言うとおりかもしれない。
だがおれはそれ以上に、村の誇りを代表してここにきているのだ。敵の弱みにつけこんで、得意然とした顔で優勝を勝ち

35 :No.07 一つのメタファー 5/5 ◇VrZsdeGa.U:09/12/13 23:47:09 ID:rt4Ai3W3
取ったところで、村の者どもは喜ぶだろうか? 敵方もすなおに褒め称えるだろうか?」
 的次の勢いはすぼみつつあったが、才蔵は依然としてまなざしを送り続けている。
「しかし、負けたところで」
「負けるのは確かに悔しい」才蔵は的次を阻んで言った。「しかし、村の者どもがあらぬとがめを被るのはもっと悔しい」
 毅然とした才蔵の態度に、もはや的次は何も言えなかった。
「負けたらその分働く、そしてその分強くなる。敵の弱みがなんだ、むしろ敵の強みに真っ向から当たって、そして勝っ
た方が楽しいではないか。そして、それを村の者どもは望んでいるだろう」
 的次の手を払いのけ、才蔵は会場へと向かった。その背中を見ながら、的次は自らの非をようやく思い知ることとなる。
敵がどうあれ、自分の姿勢をつらぬく。いまさらながら、自分は才蔵にはかなわぬとわかった。

 果たして、才蔵は優勝を勝ち取った。事実上の決勝となった取組は、藩主も身を乗り出して声援を送るほどの大相撲と
なった。相手の力士がすさまじい速さの突っ張りを繰り出せば、才蔵も負けじと重い張り手を返す。一進一退の攻防の末、
疲れが見え始めた相手力士の隙をつき、才蔵が思い切りの良い張り手をかました瞬間、勝負は決した。村人がわがことの
ように喜んだのは言うまでもなく、その集まりには的次も混じっていた。申し訳なさそうに隅っこにいた彼を、才蔵が招
き入れたのだ。
「的次、お前に去年負けたおかげでおれは優勝できたのだ、一緒に喜ぼうではないか」
 先程のやり取りなど忘れたかのように、いや、それを踏まえた上であえてだったのか、才蔵は的次に感謝の言葉を述べ
た。的次は村人の手前からか、面映ゆそうにしていた。
 後に才蔵は藩邸に訪れていた商人に見出され、江戸の大相撲へと迎え入れられることとなった。時の将軍にもその才覚
を認められた彼は、たちまち看板力士になり、江戸のみならず大坂や京都でも人気を博したという。
 一方、的次はと言えば、才蔵のはからいで村人の許しをもらってからというもの、幾度か村の代表を務めたのち、後進
や働き手をはぐぐむため相撲道場を開いた。藩主が亡くなり、大会が廃せられるまで道場は続いたが、とりわけ良い力士
を輩出するとあって、他村でも噂に上るほどのものだったという。
 ある時、道場出身の力士が江戸に招かれた際、こんなことを訊かれたらしい。
「お主は敵の弱みにつけこまず、正々堂々と相撲を取るようだが、おのずから身につけたものか?」
 力士は即座にこう答えたそうな。
「いえ、わが師、的次の教えでございます」





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