【 花吹雪 】
◆VXDElOORQI




49 :No.14 花吹雪 1/3 ◇VXDElOORQI:10/01/11 01:11:20 ID:OCl7/5iK
 夢の中に出てきた彼女は笑っていた。顔は見えないが、確かに笑っている。花吹雪の中、彼女
は僕が運転する自転車の後ろに乗っている。僕が危ないと言うのを聞かず、運転する僕と背中合
わせで二人乗り。
「吉井君。見て。すごく綺麗」
 僕は振り向く。彼女も振り向いて僕を見ていた。彼女の目に僕が映っているのが見える。
「ね。綺麗でしょ?」
「うん」
 それだけ言って、僕はまた前を向く。多分、僕の顔は真っ赤になっているだろう。ぐっと足に力を
込めて、ペダルを踏み込む。「わっ」彼女が小さな声をあげる。ひらりひらりと舞い落ちる花吹雪の
中、僕たちは速度を増していく。花びらは本当に吹雪になって、僕の眼鏡に張り付く。
 花吹雪を抜け、ゆっくりとブレーキをかけていく。自転車は次第に速度を落としていき、止まる。
はぁはぁと僕の息は荒い。
「ねえ。吉井君」
 彼女が僕を呼んだ。僕は呼吸を整えるのよりも先に振り向く。彼女が僕にキスをした。彼女の唇
は柔らかかった。ふわりと香る彼女の匂いは花吹雪と同じ匂いがした。
「吉井君」
 彼女がまた僕を呼ぶ。声が少し震えている。彼女は桜色になっていた。眼鏡に張り付いた花びら
のせいだろう。僕は返事をしようと口を開いた。
 彼女の名前を呟く自分の声で目が覚める。叫んではいないと思う。小さく彼女を呼んだだけなの
に、目が覚めた。手を自然と唇に伸びる。指で自分の唇を触るけど、彼女の唇の感触はない。た
だ乾燥してカサカサになった自分の唇があるだけだ。
 僕は体を起こして、窓際に向かう。窓から外を見る。辺りはまだ暗い。切れかけの街灯が時折点
滅しながら、ぼんやりと光っている。
 外を眺めながら、彼女の名前を呟く。窓の外を見ても彼女はいない。振り向いて部屋を見回して
もいない。もう一度、呟く。なんの意味もない。彼女の唇が恋しかった。

 シャワーを浴びて、着替える。まだ外は暗いままだ。夜明けまであとどのくらいなのかはわからな
い。起きてからまだ時計を見ていない。
 部屋を出て鍵をかける。鍵をズボンのポケットにねじ込んで、僕は静かにアパートの階段を下りる。
それでもカンカンと階段を降りる音が響く。アパートの壁に貼られた『階段は静かに!』と書いてあ

50 :No.14 花吹雪 2/3 ◇VXDElOORQI:10/01/11 01:11:39 ID:OCl7/5iK
る張り紙が街灯の灯りで、ぼんやりと浮かび上がっていた。僕はさっきよりもそっと階段に足を下ろ
す。カンと小さく音がした。
 自転車置き場の端にある僕の自転車。しばらく使っていない。少し錆びている。鍵はかけていな
い。だから、ひょっとしたら盗まれているかもと思っていた。それでも自転車は僕が最後に乗ったま
ま、自転車置き場の端にずっと佇んでいた。僕はその自転車を引っ張り出す。隣の自転車に当
たってガシャンと音がする。階段を静かに下りた意味がなかった。
 なんとか自転車を引っ張り出して、サドルにまたがる。ハンドルが埃でざらついている。
 アパートを出て、僕は真っ直ぐあの並木道へと向かう。夜はまだ寒くて、冷気が体に染みこんで
来る。それでも僕はペダルを踏み込み、自転車を走らせる。
 点滅する信号をいくつか通り過ぎ、橋を一つ渡ると、あの並木道はある。
 樹と樹の間にぽつりぽつりと立つ街灯によって、並木道全体がぼんやりと光っている。まだ花は
吹雪き続けていた。並木道で上を見上げると、舞い落ちる花びら。道を見れば、敷き詰められた花
びらの絨毯。桜色の彼女を見たときと、昼と夜の違いしかない。ここは彼女が笑った道のままだっ
た。
 僕は大きく息を吸う。そして、足に渾身の力を込めて、ペダルを踏み込む。自転車は花びらの絨
毯を引き裂くようにぐんぐん加速していく。僕の息は荒くなっていく。苦しい。それでもペダルに込
める力は緩めない。視界は夢の中と同じように次第に狭くなる。僕の背中に彼女のぬくもりはない。
花吹雪を切り裂くように、僕はただペダルを踏み込む。そして、僕の視界は桜色一色になる。
 その瞬間、スリップした。タイヤが花びらにとられたのだ。僕は自転車から投げ出され、花びらの
上を転がる。
 僕は道の真ん中で、仰向けになっていた。全身が痛い。そんな僕を気にする様子もなく、花びら
は舞い続け、僕の上に積もっていく。
 静かだった。カラカラと自転車のタイヤが空回りする音だけ響いている。相変わらず体は痛い。
だけど、もうそんなことはどうでもよかった。ただ彼女に会いたかった。会って力いっぱい抱きしめ
たかった。きっと抱き合えば、こんな痛み消えてしまうだろう。
 桜色の世界の中で、僕は仰向けのまま動かない。ここにいれば、いつか彼女、僕のことを呼んで
くれるかもしれない。そう思って、僕は自分に積もっていく花びらを払いもせず、ただここにいる。
 不意に風が吹いた。強い風だった。それは僕の上に積もった花びらを吹き飛ばす。それだけ
じゃない。花びらという花びらを空に舞い上げた。世界に色が戻る。もう桜色だけの世界ではない。
僕は上半身を起こす。まぶしさに目を細める。朝日が並木道に差し込んでいた。風に舞い上げら

51 :No.14 花吹雪 3/3 ◇VXDElOORQI:10/01/11 01:11:57 ID:OCl7/5iK
れた花びらは花吹雪となり、きらきらと舞い散り踊っている。
 花吹雪が止むまで僕はその光景を見ていた。僕は倒れた自転車を起こす。ハンドルが少し曲
がっている。サドルにまたがり、ペダルに足を置く。全身が鈍く痛む。それでも僕は足に力を入れる。
自転車はゆっくりと動き出す。また風が吹いた。花びらが彼女と別れた道で舞っている。





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