【 勇者様のおかげでしたか 】
◆CCb81EcM0A




15 :No.06 勇者様のおかげでしたか 1/3 ◇CCb81EcM0A:10/01/16 23:46:31 ID:ZhT2w3to
 窓の外をみると、桜の葉に希釈された陽が、ゆるやかに地面に降っていた。駘蕩とした春の日である。
 絶好の休息日和といった空模様が、見かけに似合わぬ力強さで俺を春眠の向こう側へと誘っていた。高校の入
学式という、極めてプライオリティの高い行事があってこそ、それもどうにか暁をおぼえようというものだった
が、当の式はすでに終わって今は教室だ。未だ見知らぬクラスメイトが順に自己紹介をしていく現場となっては、
もはや俺の頭がかくかく船をこぐのを邪魔するものはない。
 さて、自分の相枝、という名字に課せられた、いつどこであってもクラスの先陣を切らねばならぬ義務を果た
し終えると、俺は机につっふして全身から「お前らの自己紹介にはそれほど興味ありませんよ光線」を放出し始
めた。得意技だ。
 そうして、眠れるようなら寝てしまおうかな、と俺は思った。子守歌は俺の後ろのクラスメイトの自己紹介だ。
「――あー、えっと井上です。えっと……趣味は、読書です。体力がないので、高校生活中に運動を頑張りたい
と思ってます。あと、えっと、アルバイトをしてみたいなと思ってます。よろしくお願いします」
 そんな控えめ自己紹介のあと、特にオチもなく着席音がした。耳に入ったその声は、頑張ってしっかり発音し
よう、という努力は感じ取れたものの、逆にいえばそうした努力が透けてみえる程度に頼りなかった。『えっと
』を三回も連発するしゃべり慣れてなさも相まって、「ああ、別段特徴のない地味男くんなのね」と十人中十人
に思わせる高校デビューだったといえる。きっと眼鏡かけてるんだろうなこいつ、などと俺は思った。
 ……それからいくらか時間が経ってから、二、三度の会話の機会ののち、その予想は後者が正解で前者が大き
な間違いだったことを、俺は知ることになる。
 つまり、井上は事実眼鏡をかけていたが、しかし決して、俺の思うところの地味男くんなどではなかった、と
いうことだ。

 ***

「……あ、ねえねえ相枝くん」
 と初めて井上に声をかけられた頃には、寒の戻りでどうにか見るところのあった桜も「あかんもうむり」とば
かりに散りきっていた。そんな諸行無常を眺めながら席についた俺を、人畜無害極まった笑顔が迎える。
「なんか、用か」
「僕さ、この前の日曜からバイト始めたんだよ」
 返事をした俺の無愛想と対称的に、井上の笑顔は開始前のジェンガさながら崩れない。俺がさらに表情を険し
くして発した「興味ねえよ光線」にも怯まず井上は続け、「だから、いま勇者やってるんだけど」という。
 はぁん、勇者ね、いいんじゃねえの、と欠伸をかみ殺して俺は席につき、そうしてから井上の顔を二度見した。

16 :No.06 勇者様のおかげでしたか 2/3 ◇CCb81EcM0A:10/01/16 23:47:19 ID:ZhT2w3to
 融資、という単語と若干似ているあたりでなにか経済に関するお仕事かと一瞬思ったが、その時に限っては明
瞭極まりなかった井上の発音は途方もなく『勇者』、と空気をふるわせており誤魔化しようもない。俺の井上に
対する評価が「地味男くん」から「空気読めない」を経て「すこしふしぎちゃん」へと変貌した瞬間だった。
「……え? 勇者?」
「うん。勇者。時給はそんなによくないんだけど、資格もいらないしね。よかったら、相枝くんもどう?」
 井上は変わらずニコニコとしたまま俺を勇者に勧誘した。これが普通のケースだったら俺のレスポンスは「俺
お前とべつに仲良くなった覚えねえし、バイト紹介される謂われねえし正直ウザいんだけど」だったろうが、い
くらなんでも職種にツッコミどころがありすぎる。
「え、それは……どんなことすんの?」
「たまに異世界いってモンスター狩って経験値稼いで……最終的には魔王を倒す、のかな」
「倒しちゃうんだ魔王……」
 しかも異世界で。
「あ、僕もまだ面接の時に一回しかいってないから、こういうの知ったかぶりなんだけど……」
 あはは、と頬を染めて、井上は恥ずかしそうに鼻の頭をかいた。
「いやいいよそんなとこで照れなくて。っつーか勤務形態とかどうなってんの。次いついくの」
「実はこれから行こうかな、って思ってて……悪いんだけど、先生に早退しますって伝えてくれるかな」
「それは構わんけど。……てか、え、マジで? これから? これから行っちゃうのセフィーロ(異世界名)」
「うん。やる事たくさんあるしね。あとヴァンテリカっていう世界なんだ」
 そういって、「じゃあ、行ってくるね」と笑って井上の体が透けた。
 そのまま、ふ、とかき消えてしまう。
 かき消えてしまった。
 井上が地味でもKYでもふしぎちゃんでもなく、どうやらマジの異世界戦士だ、ということを俺が飲み込むの
は、その光景を目の当たりにしてもなかなか容易なことじゃなかったけれど。

 ***

 そうして三年が経った。俺の学業は微妙であり続けたが、しかし井上の勇者業はそれなりに順調だったようで
ある。突然消えるのと同様、帰ってくる時も井上は突然で、異世界から戻るたび、少しずつ面構えは精悍になっ
たが時にはひどい怪我をしていることもあって、俺を含めたクラスメイトを彼は常にはらはらさせていた。
 しかし何かを達成した時の井上の笑顔が、日々、俺になにかを与えてくれていたこともまた、事実だった。

17 :No.06 勇者様のおかげでしたか 3/3 ◇CCb81EcM0A:10/01/16 23:48:04 ID:ZhT2w3to
 ある時は、休み時間に現れ、「やっとヘロティアと同盟が結べたんだ。こんな時に人間同士が争っている場合
じゃないよね」と満足げに語ってくれた。ヘロティアがどこだかは知らないが、その日、八月九日は俺たちのな
かでヘロティア記念日になった。
 ある時は授業中、「ディアーロス! ディアーロォース!」と叫びながら教室に出現した井上が「なんでだよ、
ディアーロオオオオオス!」という慟哭と共に泣き伏した。ディアーロスが何者かはわからないが、教師の一声
でクラス一同は、見知らぬディアーロスのために一分間黙祷を捧げた。
 一番記憶に残っているのは食料集めだろうか。「隊の食べ物が足りないんだ!」と戻ってくるなり叫んだ井上
のために、俺と何人かのクラスメイトは授業をサボり、カレーの材料を買いに走ったのだ。持てるだけのカレー
材料を袋詰めして渡し、俺たちは旅立つ井上を見送った。楽しかった。俺も、冒険に参加してるみたいだった。
 ……なんだかんだで将来を考えると異世界に旅立っている暇はない、と感じていた俺ができることといったら、
ロープ、ホチキス、小麦粉……そんなアイテムを集めてくるくらいのものだった。それでも異世界の勇者が、俺
を少しでも頼ってくれて、それに応えてやれることは嬉しかった。
 井上が、空気の読めない奴で、よかったと思う。他人に無関心だった俺は、あいつが最初に話しかけてくれな
かったら、輪に入って楽しんだりは、できなかったんじゃないか。
 そして、やがて俺たちが卒業を間近に控えたある日、ヴァンテリカの三大国家の精鋭が、力を合わせ魔王軍に
立ち向かうことが決定した。結界によって拮抗する戦場をくぐり抜け、魔王の元へと向かうのはもちろんカレー
勇者井上だ。彼はあまりに恥ずかしい呼び名と、次が最後の戦いであることをクラスメイトに打ち明けた。
 そして、笑って最後の戦いへと旅だった井上は、そうしてそのまま帰ってこなかったのだ――、が、
 ……その後に、俺は実は一度だけ井上に会っている。卒業式の日に、なんだか空しくなってサボってしまった
屋上で。そうして、なにをしていたわけでもなく寝ていた。昼寝はずいぶん久々のことだった。
「――相枝くん」
 と声がした。そう、帰ってきたあいつが何かを必要とするかもしれないから、俺は無駄に眠りに落ちることを
極力避けていたのだ。「……井上?」と俺は薄目を開けて聞いた。たぶん、頷く気配がしたと思う。
「終わったよ。凄く、空しい戦いだったけど……これから、平和な時代がくる。僕は、その時代のために尽力し
たいと思った。だから、もうこっちにはこられない……」井上は一息にそういって、「これを置いてくね、もう
必要ないから……」それから、なにかを俺のそばにおいた。「それじゃ……」
 別れを告げる友人に、俺はなにかをいおうとしたが体が動かなかった。気がつくと井上はいなくて、見知らぬ
包みが置かれているだけだった。
 そうして、俺の不思議な友人は消えてしまった。残ったのは思い出と、俺の部屋に飾られて未だ確かな存在感
を放っている刃渡り六十三センチ『カレー勇者の剣』のみである。――正直、処分には困っている。いらんわ。



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