【 シンデレラは笑うけど 】
◆pxtUOeh2oI




71 :No.18 シンデレラは笑うけど 1/5 ◇pxtUOeh2oI :10/01/31 23:18:29 ID:IJ2f65kC
 皆江貞治は、自分とその周りにある幸せをかみしめていた。そして、娘への土産を考えていた。
 ただ、それだけだった。かわいそうだなんて、少しも思わずにいられたのだ。


 〜昨日のこと〜

「ワタシ、買いませんか?」
 東南アジアの古都アユタヤ。自動三輪車と安物の車がエンジン音を立てて行き交う往来で、皆江貞治は、少女
に声をかけられていた。瞳が赤く、浅黒い肌の少女。みすぼらしい布きれをまとっている。
「ワタシ、アリョンといいます」
 慣れぬ国での突然の日本語に、皆江は戸惑い声を出せない。それは後ろにいる部下の折部眞子も同じようだっ
た。二人が、顔を見合わせると、少女はそれを気にせず言葉を続けた。
「一万リヴィでいいね」
「えっと」皆江は言葉を詰まらせる。
 そんな風に慌てていると、トイレへ行っていたコーディネータのリシュン・スズキが戻ってきた。
「どうしました?」スズキが聞く。
「彼女が、『ワタシ買いませんか?』って」
「ワタシ、アリョンと言います。夜のホテルはどちらで……」
 折部のその風体から察したのか、スズキは、すぐに少女と皆江らとの間に体を入れると、少女を突き飛ばした。
小さな体が転がって、砂埃が舞い上がる。
「行きましょう。お待たせしてすみませんでした」スズキは笑う。
 その行いに、戸惑ってみていた眞子は驚いた声を出す。
「何をするんですか」眞子は、少女の近くに行くと、しゃがんで彼女を支えた。「大丈夫?」
「この子は、ミナシ・レニョンです」
「ミナシ・レニョン(見えない子)?」皆江は尋ねた。
「はい、存在しないし、生きてすらいないとする子供です」スズキはたんたんと語る。「この国は、日本みたい
に裕福ではありません。なので、こういった身寄りのない子供たちはいくらでもどこにでもいるのです。いちい
ち相手にしてはいられませんし、病気を持っている可能性があります。もし、買うにしても、店を通すべきです」
「そんな言い方!」
「この子たちもそういった扱いに慣れています。ほら」

72 :No.18 シンデレラは笑うけど 2/5 ◇pxtUOeh2oI :10/01/31 23:18:58 ID:IJ2f65kC
「ワタシ、買いませんか?」少女は立ち上がり、皆江の袖をつかむとまた商談の言葉を口にした。
「行きましょう」
 スズキは、皆江の袖につまかまる少女を優しく引き離した。眞子の手前、厳しくするのは改めていたが、その
表情から、優しさは感じられない。
「ワタシ……」
「ごめんね、そういうことはできないの」眞子は、しゃがんで少女と目の高さを合わせると、バッグから小さな
動物のぬいぐるみを取り出した。「おわびにだけど、これあげる。わかる? プレゼント」
「アリガト……」少女はぬいぐるみを受け取ると少しだけ笑って路地裏に戻っていった。

「ミナシ・レニョンだなんて」
 三人、仕事の為に郊外に建つ資産家の家に向かっていた。そこで美術品について商談があるのだが、眞子は、
そんなことを忘れているかのようでスズキに先ほどの不満を漏らしていた。
「ああいうことをしていては、この国でやっていけませんよ」スズキもそんな眞子に少々怒っていた。
「かわいそうじゃないですか」眞子が言う。
「あの子、日本語をしゃべっていたね」皆江が煙草を煙を吐き出して、そしらぬ風で呟く。
「前は、どこかの店にいたのでしょう。客引き、などでいくつか日本語を教わります。自己紹介と値段について、
それから『アリガトー』などですか」
「なんで日本語?」
「女の子を買いにくる裕福なアジア人は、大抵、日本人です。中国人は、自国内で済ますのかあまり来ません」
「それはなんとも……」皆江は、煙草を携帯灰皿に入れた。「あやまりたくなるような話だ」
「最低です」眞子は言う。
「そうですね」スズキは頷く。「ですが、そんな子供たちに関わっていられるほどの余裕がこの国の人にはない
ことが現実なのです。彼女たちが客をとり、そんな彼女に子供ができれば、また新しいミナシ・レニョンが生ま
れる。中には日本人の血をひいている子もいます。そして、これからも増えるでしょう。彼女たちは、この環境
から這い出すことのできるわずか一パーセントを除いて、大人になれません。だからレニョン(子供)なのです。
だからミナシ(見えない)と呼ぶのです。関わっても、どうしようもできないのです」
 眞子は、あまりの現状に反論の言葉が思い浮かばないのか、口をつぐんで押し黙った。
「お二人とも、おかしなことを考えないでくださいね」スズキが指を立てて言う。「助けてあげようだなんて、
考えてはいけません。たくさんいるのです。いくらでもいるのです」
 スズキの真剣な忠告に、いつしか三人は無言になっていた。そんな空気で十分ほど進んだところで、皆江は口

73 :No.18 シンデレラは笑うけど 3/5 ◇pxtUOeh2oI :10/01/31 23:19:23 ID:IJ2f65kC
を開いた。
「しかし、残酷だけどミナシ・レニョンと呼ぶのはおもしろいね」皆江がふらっと町を見渡して言う。「グルー
プに名前を付けることによって、個人という尊厳を奪う。ある特定の少女ではなく、少女たちだと。そうするこ
とによって人間扱いしないことに対する罪悪感が薄れるんだ。他にも大勢いるのだからと。これは、時代によっ
て、芸術の傾向が同一であると勘違いしてしまっている人にも通じる価値観だ。アールヌーヴォ時代のものなら
ば派手な様式であるはずだなんて人と同じ」
「おもしろくないです」
「そうかもね。だけど、折部くんは、あの少女の名前を覚えている?」
 その質問に、折部眞子は言葉を詰まらせた。
「アリョンだったかな?」皆江が答えを言う。「グループ名を付けられたことに対する抵抗としての自己紹介。
名前を覚えて貰うことで邪険に扱われないようにする。個人の尊厳を取り戻し、罪悪感を植え付けようとする。
やはり、こういった縮図はおもしろいと思うけどね。さまざまな美術品に、本質とはなんら関係がないタイトル
が付けられていることなんかそうだろう? モナ・リザという名前を聞いて、あの微笑みの絵を思い浮かべない
人は少ない。絵は、本来、タイトルになど意味を持たずに、目から得られる情報によってのみ評価されるべきも
のなのに、現物を見たことのない人間が、名前だけを聞いて、想像の絵を頭に思い描く。タイトルだけが一人歩
きしている作品がいくつもあるだろう?」
「話がおかしいです」
「そうだ」皆江は、立ち止まる。「そしてこれから、もっとおかしな話をするのかもしれないから、そろそろ忘
れよう」
「着きましたよ」スズキが、右腕を上げて、門の方を指し示した。
 そこには、この町に似つかわしくない豪勢な家がきらびやかに存在していた。


 〜翌日〜

 路肩のベンチに座っていた皆江貞治は、煙草の煙をはいた。昨日はさんざんな日だったなと。駅から乗り込ん
だタクシーに何故か途中で放り出され、道途中では、少女のせいでコーディネータと部下がケンカまがいの諍い
を起こし、あげくの果てに、商談に付いて見れば、すべてが紛い物の贋作ばかり。本物ならば億円の単位での商
談となるやもしれなかったのに、とんだ無駄足となってしまった。一体、何の為にここまで来たっていうんだろ
うか。皆江は、家で待っているだろう嫁と娘の顔を思いだした。

74 :No.18 シンデレラは笑うけど 4/5 ◇pxtUOeh2oI :10/01/31 23:19:46 ID:IJ2f65kC
 昨日は、本当なら娘のピアノの発表会に行くはずだった。絶対、見に来てよ、と言われていたが、突然の仕事
でキャンセルしたのだ。何か、お土産でも買っていかなくてはならないな、と皆江は町を眺めていた。さてどう
しようか。
 飛行機のチケットをとってある明日の夕方まで、特にやることもなく皆江は暇だった。眞子には、自由時間を
与えたので、スズキとともにどこかで買い物でもしているに違いない。
 適当に見物でもしていくか、と煙草を携帯灰皿に入れ潰し皆江は立ち上がった。これでも美術商なのだ。適当
にバザーでも見て掘り出し物でも探すことにしようと。そんな風に歩き始めると、昨日と同じ場所でまた声をか
けられた。
「ワタシ、買いませんか?」
 場所も同じなら、その子も昨日と同じ少女だった。ただ一点違うのは、顔の右側に真新しいアザがあることだ。
誰かに買われて、情事のさいに暴力でもふるわれたのだろうか。
 ふと、この少女をここから連れ出したらどうだろうか、と考えた。日本につれて行き、娘として育てる。誰も
が反対するだろうけど、それができるぐらいの金は持っていた。娘と同じぐらいの少女がかわいそうだったから、
そんな言葉で同情をしてくれる人間もいるだろう。部下の眞子などは、そういった優しさを夢見ているかもしれ
ない。でも、そんなことはありえない。

75 :No.18 シンデレラは笑うけど 5/5 ◇pxtUOeh2oI :10/01/31 23:20:09 ID:IJ2f65kC
「ワタシ、買いませんか?」
「買わないよ」皆江は、ただ歩く。
「一万リヴィでいいね」
「いらない」ふりかえらずに歩く。
「ワタシ、アリョンといいます」
「知ってるよ」早足になった。でも、付いてくる。
「ワタシ、買いませんか?」
 言葉と同時に、アリョンが、皆江の腕をつかんだ。そして目を輝かせて、買いませんか、と言う。自分の体を、
その小さな体を弄ぶ快楽をお金に換えてくれませんかと。
 皆江は、腕を振り払うと、アリョンを蹴飛ばした。肉の感触は薄く、骨にあったた堅さだけが感じられた。
 腹がたっていたのもある。しつこかったこともある。ただ、自分の娘と同じぐらいの人間を蹴ってみたかった
という小さな無意識の欲求もあったかもしれない。
「ミナシ・レニョン(見えない子)」
 皆江は、携帯灰皿の口を開け、アリョンの頭の上で逆さにした。灰と吸い殻がぱらぱらと落ちて、アリョンを
汚す。灰が口の中に入ったのか、それともにおいのせいか、アリョンは咳き込んだ。
「これが代金だ」
 皆江は、財布から札を取り出すと白く汚れたアリョンの上に、放り投げた。全部で五万リヴィ。日本円にして
千円にも満たないお金。だけど、少女が一晩体を売っても手に入らないお金。
 その代金を受け取って、アリョンは、ぬいぐるみをもらったときなんかよりも本当に嬉しそうな顔をした。ア
リョンにとって、どんな「かわいそう」なんて言葉よりも、暴力をふられようが、犯されようが、金銭をくれる
人間の方が優しいのだ。そうでなければ、ミナシ(見えない)と嘘をつくのが良い。
 それは、残酷だけれど、おもしろい。
 灰まみれのアリョンは、不幸な満面の笑みで口を開いた。
「アリガトー」                                       <了>



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