【 君達の肩に降る小説 】
◆EqtePewCZE



31 名前:No.08 君達の肩に降る小説 1/5 ◇EqtePewCZE 投稿日:10/04/04 21:57:01 ID:ALlKmexY
 俺は児童文学作家志望の人間がいちばん嫌いだ。
実際のところ、児童文学作家という職業の人間には面白い人が多いし、付き合っていても楽しい。
しかしそれを志望する人間となると、なぜかこぞってある種の気色悪さが浮き上がって見えてひどく不快なのだ。
まず彼らは非常に傷つきやすい、と思いこんでいる。
おそらく、ナルシストをこじらせた成れの果てが児童文学作家志望の人間なのだろう。
偽りの純粋をなぜあんなに恥ずかしげもなく人々にアピールできるのだろうかと不思議でならない。
自分は無邪気ですよと笑顔で触れまわられては、その裏に潜むなにかを邪推してしまうのは当然の人の性だろう。
彼らは天真爛漫を装って、そのくせいつも必死だ。
常に子供の目線、子供の感性というものにこだわっていて、その定義から逸脱することにひどい罪悪を感じるようだ。
見るものにいちいち感動しなければならない、「小さな発見」とやらを毎日しなければならない、
その上、人に接するときは素直であどけない自分を演出しなければならない。
まったく、疲れないのかと思う。そう思った次には嫌悪感が湧く。
そんなことにこだわっているから、いつまでたっても作家志望の人間にすぎないんだ。
作家という人間を見て生きてきた今なら分かる、そんな児童文学作家は幻想だし、憧れるようなもんじゃあないと。
そうだ、俺が今そう思うのは、たくさんの児童文学作家と児童文学作家志望を見てきたからだ。
俺が児童文学作家志望の人間を一人しか知らなかった頃は、もっと青臭い理由で、児童文学作家志望の思考回路が
嫌いだった。
必死で、苦しそうで、そんなに辛いならやめればいいじゃないかって思っていた。
もっと打ち解けて、素直な気持ちで会話がしたいと思っていた。
なんだって、そんなに傷つきやすいんだって、なんだって、そんなに悲しそうなんだって。
勘違いして、いろんなことにがんじがらめに絡まって、不器用だった。
彼女を苦しませるから、児童文学作家志望の思考回路なんか嫌いだった。


32 名前:No.08 君達の肩に降る小説 2/5 ◇EqtePewCZE 投稿日:10/04/04 21:57:31 ID:ALlKmexY

 私達が校舎を出る頃になって急に、空が泣き始めてしまいました。
一歩先を歩いていた糸井君は、あわてて下駄箱のところまで引き返してきました。
私の隣に並ぶと、糸井君はちっと舌打ちをして空を見上げました。私は、こんな時間まで文芸部の冊子作りを
手伝ってもらったという負い目があったので、ひどく肩身が狭い思いをして押し黙っていました。
しばらくの間、沈黙と雨が降り続けました。私はあと三分後には止むかも、を頭の中で繰返しすぎてうつらうつらと
してきていました。
糸井君は不意に
「日本の小説の中には雨が降っている」
と言いました。大きな声ではなかったはずなのに、はっきりと聞こえました。
「え?」
私が聞き返すと、海外の小説家が言ってた、多分、とつまらなさそうに答えました。
私は糸井君の顔を見ました。糸井君はずっと前を向いたまま、さして何も考えていなさそうな表情をしていました。
けれどそれは私がそう思っただけで、実際には糸井君は雨の風景から海外の小説家の言葉を思い浮かべているのだと
知って、私は少し落胆しました。私も前を向いて、雨を見詰めたけれど、これまで何人の人が使ったかわからないような
「空が泣く」という比喩しか浮かばなくて、より一層肩を落としました。
私は一生懸命、何かいい言い回しができるような文章を考えました。考えても考えてもなにも思い浮かばず、
ほとほと困りました。
「どういう意味だと思う」
また、唐突に糸井君が言いました。
「え?」
私がまた聞き返すと、さっきの、と言ったきり黙ってしまいました。


33 名前:No.08 君達の肩に降る小説 3/5 ◇EqtePewCZE 投稿日:10/04/04 21:57:58 ID:ALlKmexY
私はええと、と考えました。
「日本の小説の中には雨が降っている?」
糸井君はやっぱり黙ったままうなずきました。私は雨の風景を描写するあれこれを考えるのをやめて、
その言葉の意味について考え始めました。
「なんとなく、陰湿な感じ」
海外の作家から見ての日本ですから、おそらくそういうニュアンスなのでしょう。じめじめしていて、暗い。
そう言われればそんな小説も多い気がします。
恥の多い生涯を送って来たとか、いま世の中で一ばん美しいのは犠牲者だとか。
私がそんなことを考えていると、糸井君はかすかに笑ったみたいでした。そして「もっと単純」と言って、
すっと玄関に向かって歩き出しました。私も少しあわてて後について行きました。
糸井君は玄関から腕を突き出して、遠くを指さすようにしました。雨粒が一斉に糸井君の手に降り注ぎます。
そしてその指を上から下に向かって振りました。雨をなぞるように繰り返します。糸井君は「これ」と言いました。
「小説を上から下に向かって読むのは、雨が降るのに似てるって」
ざあざあと音を立てて、雨は降り続いています。私は、その一筋一筋が、それぞれ一つの文となって降り注ぐのを想像しました。
私も、恐る恐る雨の中に手を伸ばしてみました。雨は私の手に当たっては、どんどん流れて、こぼれ落ちて行きました。
「いま、俺の手に当たった雨粒一つが、××君っていう言葉かもしれない」
××君というのは、私が書いた小説に登場する男の子の名前でした。
「いま当たったのが、『そして』かも。いま落ちた雫が、『眠った』かも」
糸井君は次々雨粒に言葉をのせていきました。魚、海、おじいさん、ひとり、うさぎ、音、先生、ねこ……
「俺は好きだと思ったけどな」
私が書いた小説のことを言っているのだと分かりました。そう言えば、さっき糸井君が挙げた言葉は全部、私が書いた小説に
出てくる言葉だったような気がします。


34 名前:No.08 君達の肩に降る小説 4/5 ◇EqtePewCZE 投稿日:10/04/04 21:58:21 ID:ALlKmexY
 私は急に恥ずかしくなりました。糸井君が、あんなに文芸部のみんなにぼろぼろに言われた私の小説を、
なんとかフォローしようとしてくれることが分かったからです。私は雨にさらしていた腕を下げました。とたんに、暗く
重い気持ちがのしかかってきました。
情けなくて恥ずかしくて、私は小さく震えていました。震えているんだ、という事実がまた私の情けなさを増幅させます。
それでも、せっかく好きだと言ってくれたのだから、ありがとうを伝えるべきだ、伝えなくちゃならないと思いました。
けれど、いまなにか言えば確実に涙がこぼれてしまいます。私はぐっと眉間に力を入れました。
糸井君の方が、ずっと物語を書くのがうまいことは、ずっと見ないふりをしてきたけど分かっていたことでした。
物を感じる力も、頭の回転が遅い私に比べてずっと素晴らしいものであることも知っていました。
「どうしたの」と糸井君に問われて、ああ、いまの私はすごい形相をしているんだろうなと思いました。
「私、帰る」
絞り出したのはそんな言葉でした。私は雨の中に飛び出しました。ざあざあという音が、じかに私に降り注ぎます。
後ろで糸井君が短く声を上げたような気がします。水たまりを踏みつけて、泥が靴下に跳ねました。
私は弾丸のように雨の中を駆け抜けて、正門の門柱のところにさっと身を寄せました。
一瞬後、糸井君が駆けてきて、私の目の前をすごいスピードで走り過ぎました。黒い学制服が、ノイズをかけたようにかすんで
遠ざかっていきます。私は心の中で、その後ろ姿にやっとありがとうが言えました。
お礼を言うと、やっぱり涙がこぼれてきました。自分が情けなくてたまりません。目もくちびるも頬も指先も、
頭のてっぺんから足の爪の先まで、なにもかも恥ずかしいものであるような気がします。
小説の雨が、私に降り注ぎます。『人間失格』が『こころ』が『伊豆の踊子』が『或る女』が、
『まぶた』が『ぬるい眠り』が『放課後の時間割』が『1973年のピンボール』が私の目にうつる世界を浸します。
肩を濡らす雨は、私の小説の一文でしょうか。どこか私を責めているかのように、冷たく感じます。
私は泣きながら、糸井君が走り去った方とは反対に向かって歩きました。
苦しい、苦しい。糸井君の隣に居ることはやっぱり苦しい。
私の目からこぼれる涙の粒は、どんな言葉だろう。それは熱くて熱くて、次から次へと溢れて、
とめどなくて、視界が、滲んで――。


35 名前:No.08 君達の肩に降る小説 5/5 ◇EqtePewCZE 投稿日:10/04/04 21:58:54 ID:ALlKmexY

 彼女に逢うのは、本当に久しぶりだった。
卒業して、進路が別れてからまったく交友は無かったから、むしろ結婚式に呼ばれたのが意外なくらいだった。
梅雨の晴れ間を引き当てた幸運な一日で、アーチに絡まったバラは満開だった。
頬をバラ色に上気させた彼女は、純白のドレスを身にまとっているからだけではなく、
自身が発光しているのではないかと勘繰るほどに輝いていた。どんな雑踏に居たって見つけられそうだと思った。
シャンパンの気泡が嘲笑うかのようにはじけるグラスを持ちながら、遠くで彼女を見詰めていた俺を見つけて、
彼女は手を振り、こちらに近づいてきた。
「糸井君、久しぶりだね。来てくれてありがとう」
彼女があの頃と変わらない、おっとりとした口調でそう言ったので、俺は不覚にも涙が出そうになった。
ああ、とか、うん、とか口の中でもごもごやっているうちに、近くを新郎が通りかかった。
彼女がちょっとちょっと、と言ってそいつを呼び寄せる。
「この人、仕事とは違うけれど、小説を書いてるの。児童文学作家志望なのよ」
嬉しげに彼女は言う。新郎はにやつきながら、恥ずかしながら、と言って頭を下げた。
それに合わせて俺も口角をワイヤーで吊るような感覚で、ひきつった笑顔を作る。
「いやあ、にしても、彼女の知り合いに目標となる人がいるなんてラッキーですよ。よろしくお願いします、先生」
はは、と子供じみた、嫌味なくらい爽やかな笑い声を聞き、俺の顔はもっとひきつった。ワイヤーを限界まで突っ張る。
「彼女も学生の頃は児童文学作家志望だったみたいですね。けど、やっぱり先生みたいに才能のある方と
並んでたら、自分の不出来具合が分かったんじゃないですかね」
もう、何よそれ、と彼女がぺしりと肩を叩いた。新郎はへらへらと笑っている。
俺はギシギシと軋む音が聞こえてきそうな笑顔をかろうじて保ちながら、悪かったな、俺はその不出来な作品が
大好きだったんだよ、と心中で毒づいた。
「児童文学作家を目指し始めてから、毎日が小さな発見の連続ですよ。子供の目線には、驚きがあふれていて――」
目を輝かせ朗々と語る新郎のよこで、にこにこ笑っている新婦がいて、
アーチに絡むバラはぷりぷりと花弁を広げ、集まった人々はみな幸せそうに歓談していて、
俺はつくづく、児童文学作家志望の人間が大嫌いだと思った。


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