【 Recover 】
◆kP2iJ1lvqM




57 :No.15 Recover 1/6 ◇kP2iJ1lvqM:07/08/12 16:31:20 ID:vnA3/Jml
 一年くらい前の話。季節は秋で、朝晩には涼しさよりも寒さを感じる頃だった。
 僕は大学の講義を休み、K市から電車を乗り継いで赤坂まで足を運んだ。二歳下の弟が大麻不法
所持の容疑で捕まり、留置場へ入れられていたのだ。特に予約などせず、行けば会わせてくれると
いう親の言葉を信じてアポなしで行った。
 警察署は思っていたよりも綺麗な外装で、かえって僕を威圧した。臆する理由はないのだから、
と自分に言い聞かせ、バッグと紙袋を抱えて自動ドアを抜ける。受付で用件を告げると、婦警さんが
道順を手振りつきで説明してくれた。署内の端っこにあるエレベーターに乗って、二階で降りてすぐ
だという。礼を言ってそちらへ向かう背中に、これは妄想なのだけど、後ろ指をさされている様な気
がした。
 エレベーターを降りると狭い廊下に出た。右手に受付があり、そこで所定の用紙に記入をさせられ、
差し入れの内容も書かされる。紙袋の中にはセーターと下着が二枚ずつ入っていた。これは母親が実家
から送ってきたものだ。僕は煙草を一カートンと小説を一冊持ってきた。本の題名は、その時お気に
入りだった阿部和重の『インディビジュアル・プロジェクション』だった。
 カバーはあらかじめ外してある。太ももをあらわにした下着姿の美人の写真が、でかでかと載って
いたからだ。
 ただし、そうでなくとも本類のカバーは外すのが規則なのだと、頭に白髪の混じった受付の警官が
教えてくれた。理由は聞いていない。弟は本なんて読まない性格で、本音を言えばそのカバーをつけた
まま渡してやりたかった。手に取れば少しは興味をかきたてられるだろうから。
 受付の近くに非常扉があり、その前の小さな薄暗いスペースが待合室代わりになっていた。そこで
三十分くらい待った後で名前を呼ばれた。受付の奥の二重扉を抜けると、中心をガラスで区切られた
部屋がある。そこが接見室だった。
 弟は既にそこで僕を待っていた。伸びた髪の毛、真っ白な顔。留置場に入ってそうなったのではなく、
一年前に会った時から変わっていない。十九歳にしてはとても童顔で、そのくせ目元は涼しげだ。
身だしなみを整えればもてそうな感じだが、シャイなのか本人は彼女を作った事がないと言っていた。
 弟はこちらを見るとはにかんだ様に微笑んだ。こんな状況で照れるというのも変な話だけれど、久し
ぶりに会う弟へ僕も照れ笑いを返す。もともと叱るつもりなどなかった。僕にそんな資格はない。弟が
大麻に手を染めていた事を、家族の中で僕だけは以前から知っていたのだ。

58 :No.15 Recover 2/6 ◇kP2iJ1lvqM:07/08/12 16:32:24 ID:vnA3/Jml
 ◇
 それは今から二年前に遡る。
 夜更けになって母親が消沈した声で電話をかけてきた。弟が家出をしたという。
「置き手紙があって、I県の知り合いの所へ行くって……」
 詳しい事情を聞くと、どうやら弟はだいぶ前から父親と反目しあっているらしかった。実家は北海道
で農家をやっているのだが、弟は農薬を使う事に反対していた。有機栽培にこだわっていたそうだ。
しかし父は、経験もなく聞きかじりで得た知識に耳を貸さなかった。何度も大喧嘩をして、最近では
一緒に暮らす事に耐えられないと漏らしていた。
「あの子は純粋すぎるから……」
 母親がかばう様に言う。が、声のトーンはしだいに複雑な色へ変わっていった。
「虫を殺すと怒り出すのよ。殺された虫の気持ちを考えろって」
 行きすぎは否めないが、どうやら弟の主張じたいは両親ともに理解している様子だった。ただ、それ
が現実的でないのだ。
 僕は上京してからほとんど実家に帰省しない無精者で、そんな事態になっているなんて露ほども気づ
いていなかった。
 これからどうするのか聞くと、母は捜索願いは出さないと言った。一応弟とは携帯電話で連絡がつく
らしく、メールで僕の所へ行くように薦めた。戻って欲しい気持ちはあるが、知らない人間の世話になって
いるよりは安心できるのだろう。
 事態に戸惑いつつも、僕は頷くほかなかった。
 それから二ヶ月ほどして、弟が僕のアパートに現れた。
 戸口に立った彼のみすぼらしい姿に、僕は何だかショックを受けた。伸び放題に伸びた髪に、よれよ
れのパーカーとジーンズ、汚いスニーカー。両手に提げた紙袋の中には生活用品がぎっしり詰まっていて、
浮浪者と見間違えられてもおかしくなかった。いや、じっさい弟はその時浮浪者だったのだから、そんな
身なりでいるのは当然なのかもしれないが。
 しばらく会わない内に想像もつかない方向へ変化していた弟に驚いたけれど、できるだけ優しく接する
様に僕は心がけた。彼を否定しない事、まずはそれが第一だ。
 僕たちは趣味の話をした。弟はギターをやっていて、あるバンドに心酔していた。CDを持ってきて
いたので聞かせてもらうとそれは洋楽のロックバンドで、映画のサントラくらいしか聴かない僕には
理解の及ばない趣味だ。弟が言うには、そのバンドはとても自由なのだそうだ。

59 :No.15 Recover 3/6 & ◆J.IuHZb4yc :07/08/12 16:32:55 ID:vnA3/Jml
「この人たちはさ、著作権なんていらないって言ったんだ。ネットで配信するのも自由だし、どこで
曲をかけても怒らない。利益はCDの売り上げだけ。すごいよね?」
 それは確かに凄い事だと思ったので僕は頷く。弟は部屋の本棚を見た。
「福本伸行ばっかじゃん」
 僕の本棚には『カイジ』や『銀と金』『アカギ』『天』はもちろん、『最強伝説黒沢』や少年マガ
ジンに連載していた作品やその他の短編集も並んでいる。面白いぞと言うと、弟は笑う。
「影響受けた?」
「え、うん、まあ。そうかもね」
 CDの解説に出てきそうな表現に苦笑しつつも僕は肯定する。その時は小説なんて書いていなかった
ので、単純に人生の話として受け取った。熱い漫画が好きな僕は、やはり熱い生き方に憧れる。弟も
そんな僕に苦笑していた。
 それから僕は、弟がこの二ヶ月間どこでどうやって生活をしていたのか聞きだした。
 なんでも彼はインディアンの宗教を崇拝する、ある団体の長の家にやっかいになっていたという。
彼らはヒッピーの生活を模倣し、自由気ままに暮らしているのだそうだ。ただしその長とやらは、
健康体であるにも関わらず嘘の申請をして生活保護を受けているのだと弟は言った。
「何だそれ」
 そう言わずにはいられなかった。
「凄くいい人たちだったよ。ネットで知り合ったんだけど」
 彼は紙袋からパンフレットを一枚取り出した。
「その人たちはさ、大麻を合法化する活動をしてるんだ」
 パンフレットには例の葉っぱのマークが大きく印刷されていて、大麻が煙草よりも害のない物である
事や、合法の国もあると訴えていた。だから日本でも許可せよ。
 ヒッピーであるには大麻がなくてはならないのだろうか。そんな事を考えたけれど黙っていた。
 ただ、これだけは聞いておこうと思った。
「今も持ってるのか?」
「いや、持ってない」

60 :No.15 Recover 4/6 ◇kP2iJ1lvqM:07/08/12 16:33:48 ID:vnA3/Jml
 マリファナには中毒性がないとも聞くし、あるとも聞く。それから一緒に住んで様子を見ても弟に
禁断症状は見られず、僕の煙草への執着のほうがよほど強いと思えるくらいだった。
 本音を言えばもちろんドラッグなどやめてほしかった。何も法律で禁じられている事に拘らなくても、
合法的に気持ち良くなれる遊びなんて腐るほどある。でも僕は何も言わなかった。
それから一ヶ月して弟は部屋を出て行った。弟から聞いた話は、親には黙っていた。よけいに父との
仲がこじれると思ったのだ。下手をすれば家族を一人失ってしまうのではないか――それがとても怖かっ
た。老衰で死んだ祖父との別れとは全く違う、考えた事もない種類の恐怖だった。
 ◇
 弟と共同生活を送っていた時、よくエイリアンごっこという遊びを思い出した。要は鬼ごっこに近い
のだけど、階段などの段差を登れないという条件が鬼につく。なぜエイリアンなのかは解らない。子供
の頃に近所の仲間が集まってよくやった遊びだ。そこに最年少の弟が混ざる事があり、その時はたいてい
彼が鬼役をやらされた。僕らはトラックの荷台に登ったりして、弟が車の周りをぐるぐる回って身体に
触れようとするのを避ける。普通の鬼ごっこよりもスリルがあって楽しかった。
 エイリアン。僕にとって弟はそんな感じだった。
 だから一年後に大麻所持で捕まった時、彼が東京にいたにも関わらず僕の所へ来なかった事にも残念
だけど納得した。
 彼はI県で知り合った友達を頼って東京へ出てきた後、しばらく車上生活を続けていた。深夜、車の
中で寝ている時に職務質問を受け、トランクを開けさせられた。トランクの中には乾燥させた草が積ま
れていて、優秀な警官だったのかすぐに大麻と見破られた。十グラム程度だったと聞いている。北海道で
野生のものを採ったのだそうだ。
 僕は何も知らず、親からの電話でその報せを聞いた。

61 :No.15 Recover 5/6 ◇kP2iJ1lvqM:07/08/12 16:34:39 ID:vnA3/Jml
 ◇
 二人の間には透明な壁がある。
 接見室は白を基調にした、わりと明るめの部屋だ。そこにはガラスを挟んで二人ずつ人がいた。弟の
方には面会の立会人が一人、奥の椅子に座って手もとの記録用紙に目を落としている。僕の後ろには
受付の警官がいて、面会は十五分までだと告げて出て行った。
 近くで見ると弟の顔からは疲れが滲んでいた。
 僕は馬鹿みたいに、その場を盛り上げようと馬鹿な事ばかり話した。スカイダイビングのインストラ
クターになりたがっていた友達が、実際空を飛んでみたらあまりの怖さに諦めた話だとか、刑期も定か
でないのにここを出たら農大に行ってみたらどうだろうと薦めてみたりだとか。弟は笑いながら話を
聞いて、勉強は嫌いだから大学には行かないと言った。
 十五分はすぐに過ぎた。弟は、最後に僕の目を見てこう言った。
「大麻はもうやめる」
 取調べの最中、刑事に熱心に説得されたのだそうだ。身体への害はもちろん、社会的にも害がある事。
家族に迷惑がかかる事。弟は納得している様子だった。
 そうか、とだけ返事をして、挨拶をして弟と別れた。
 受付の人にお礼を言ってから外に出ると、いっきに緊張が緩んだ。もうすぐ正午だったが僕は食事を
とらず電車に乗った。
 電車に揺られながら、弟が最後に言った事について考えた。
 僕は弟の前で動揺を隠していた。
 彼は大人の言葉を聞く耳を持っていたのだ。それなのに勝手な思い込みで常識は通用しないと決めつけ、
誠意のある言葉をひとつもかけてやらなかった。思えば僕は空回りばかりしていた気がする。
 帰り道を歩きながら、弟を説得してくれた刑事こそがあるべき大人の姿なんだろうな、と考えた。その
一方で、他人だから好き勝手が言えるのだという負け惜しみも心のどこかにあった。
 最良の選択、正しい大人。頭の中で、そんな言葉がぐるぐると回り続けていた。

62 :No.15 Recover 6/6 ◇kP2iJ1lvqM:07/08/12 16:35:17 ID:vnA3/Jml
 ◇
 数ヶ月後、近所に住む従姉が結婚した。その折に母が上京してきたので弟の近況を聞いてみると、
最近になって再び家を出たという。今度は道内でアイヌ民芸品を作っている女性の元を頼っている
らしい。家出とは違う様で、きちんと住所を教え、親を説得して実家を発ったそうだ。
 三年間の執行猶予をもらって大人しくしているかと思えば、やはり弟は弟だった。僕は呆れると
同時に顔の広さに感心もした。あの弟なら、こんな調子でずっとやっていけるのかもしれない。
 式の引き出物は、カタログの中から好きな品を選べる形式だった。僕はその中からインスタント
カメラを選び、母から教えてもらった住所へ送ってやった。
 しばらくして弟から送られてきた封筒は、写真の束で膨らんでいた。
 そこには日常風景の数々が収められていた。構図や手ぶれなど気にせず思いのままにシャッターを
切った感じで、写真の下に必ずコメントがついているのが微笑ましい。中でも目をひいたのはアイヌ
衣装を着た女性の写真で、服や屋内外を変えて何枚も写っていた。弟と同じか、少し若いくらいだろう。
彼女はレンズの奥を愛しげに目を細めて見つめていた。写真の一枚に居候先の娘だという様な説明がある。
 その事を母に教えると写真を送ってくれと頼まれ、僕は快諾した。ずいぶん喜んでくれた様で、
食べきれない量の果物とお菓子がその後アパートに届いた。

 母に送らなかった写真も一枚だけある。
 そこにはソファに寝転がり、本を開いている弟の姿が写っていた。斜め上からのショットで、
リラックスした表情と本の背中が見える。が、よく見ればそれはカバーを外した裏表紙とわかる。
 写真下には、珍しく読書中とのコメントが丸っこい字で書かれていた。『珍しく』の部分に傍点。
 僕はたまにその写真を取り出して眺めるたびに、いつの間にか笑ってしまう。いつか返してもらう
時にどんな感想が聞けるのか。弟がその本を読み終わるのにどれだけかかるか解らないが、僕は今から
楽しみにしている。(了)



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